2026年7月11日(土)

讃美歌496 うるわしの白百合

    『名を呼ぶ』

しかし、ヤコブよ、あなたを創造された方イスラエルよ、あなたを形づくられた方、主は今こう言われる。恐れるな。私があなたを贖った。私はあなたの名を呼んだ。あなたは私のもの。

(イザヤ書43章1節)

 

神である主は人に声をかけて言われた。「どこにいるのか。」

(創世記3章9節)

当時のイスラエルで行われていた贖い人の制度です。名を呼ぶことによって贖いの契約が成立したしるしとなりました。

名を呼ぶ=主が声をかけてくださるという意味でもあります。

私達は主に贖われたキリスト者です。私達はイエスキリストの尊い命によって贖われたキリスト者なのです。

主に贖われた者として喜びと感謝をもって生きていくことができますようお祈りします。

土鍋でごはんを焚いてみようの会(味噌汁漬物付き)

土鍋ご飯の良いところは沸騰後15分~20分で焚け、体が温まることです。冷え性の方にもおすすめ。

みんなで食べられてよかったです。またご一緒しましょう。 (佐藤)

2026年5月20日(日)

♪讃美歌21 533どんなときでも

   『どんなときでも』

私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。私を離れては、あなたがたは何もできないからである。

(ヨハネによる福音書15章5節)

讃美歌21 533番の作詞者の高橋順子さん(1959‐1967)は、福島市の福島新町教会の教会学校に出席しておられました。骨肉腫との苦しい闘病生活の末、8歳の誕生日を迎えることなく短い生涯を終えて天に召されました。

片足を失った上での2回目の手術前日に書かれたという原詩は「どんなときでも/どんなときでも/しあわせがくるまでくじけてはならない」とあったそうです。

最後は教会に通うことは困難であったでしょうが、教会とつながって生涯を全うした方だと思います。

翌週、5月24日のペンテコステ礼拝で姉妹の洗礼式が行われます。この方も幼いころから教会につながって、ずっと歩んでこられました。

『教会に連なっているというのは祭りの神輿を担いでいるようなものです。担いでいる人の中にはぶら下がっている人もいます。ぶら下がらないとやっていけない時もあるのです。その仲間と一緒に神輿を担いでいるんだと思うのが大事です。』

洗礼準備会でもそのような話をしましたが、やはりそのまんま私達にも当てはまることではないでしょうか。

どんなときでも。。。この言葉の中には嬉しい時だけじゃなくて大変な時でも、希望というものを私達と共有していきたいと思います。

以前、Hさんから紹介してくださった【トランスパレントペーパー】で向日葵をつくりました

16枚で一つの花ができるため、5人で手分けして何回か折りました

それぞれ違った折り方ですがその違いがいい味をだしていて、世界に一つだけの向日葵ができました (黒田)

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