聖書:使徒言行録17章1~15節

説教:佐藤  誠司 牧師

「彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った。それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし、彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らを投げ打ち、死んで、罪人の一人に数えられたからだ。多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった。」 (イザヤ書53章11~12節)

「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」(使徒言行録17章6~7節)

「兄弟たちは、直ちに夜のうちにパウロとシラスをべレアへ送り出した。二人はそこへ到着すると、ユダヤ人の会堂に入った。ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりの素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。」(使徒言行録17章10~11節)

 

この朝、私たちに開かれている御言葉は、使徒言行録の第7章のはじめの物語です。テサロニケとべレアでのパウロの伝道を伝える物語です。この物語はフィリピ伝道とアテネ伝道という大きな物語に挟まれた小さな間奏曲のような趣の物語ですが、私はこういうところに、いかにも使徒言行録らしい味わいがあると思っています。

使徒言行録にはキリストの福音に反対する人々の言い分と言いますか、キリスト信仰に対する批判や悪口、誹謗中傷の類が丁寧に収められているのですが、これがなかなか興味深いのです。もちろん、悪口ですから、そこには悪意があります。ですからそのまま鵜呑みにするわけにはいかないのですが、その反面で、悪口には当事の人々がキリスト教をどう見ていたかが、じつに生き生きと現れています。その中には、歪められた形ではありますが、当時のキリスト教会のメッセージの本質が見え隠れするものが、ままあるのです。例えば、今日の個所の7節に「イエスという別の王がいる」と書かれていますね。少し前から読んでみますと。

「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」

ここから分かりますのは、パウロたちはイエス・キリストを「まことの王」として、ローマ皇帝のお膝元で宣べ伝えていたということです。これはじつに大胆なことです。では、それは、どのような王だったのか?  そこが肝心要になってまいります。そこで、今日はその一点を心に留めていただいて、テサロニケとべレアでのパウロたちの働きを、ご一緒にたどっていきたいと思います。

さて、パウロたちはフィリピを出てテサロニケに入ります。ここはマケドニア州第一の町で、ローマの植民都市であったフィリピと違って、ユダヤ教の会堂がありました。ユダヤ教が公認宗教として、保護されていたわけです。しかし、先ほどの7節のキリスト教への悪口の中に「皇帝の勅令に背いて」とありましたね? 皇帝の勅令って、何なのでしょうか? じつはローマ帝国はユダヤ教を公認してはいたものの、それはユダヤ人だけで信仰を守ることを認めたのであって、ユダヤ人がローマ人に伝道することは固く禁じられていたのです。当時、キリスト教はまだユダヤ教の一派のようにみなされていましたから、人々は当然、パウロたちの伝道活動を違法行為だと決め付けたのです。

さて、パウロはここテサロニケで三回の安息日に渡って会堂で福音を語ったようです。ところが、ここに興味深いことが書いてあります。2節に「聖書を引用して論じ合った」と書いてあります。論じ合うというのは、片方だけが語ることではありません。パウロと、もう一方の人たちが議論を戦わせたということです。しかも、その議論は聖書を引用して行われた。つまり、聖書の解釈をめぐる議論だったことが、これで分かります。当時、新約聖書はまだ成立していませんから、当然、これは旧約聖書のことです。いったい、旧約聖書を巡って、パウロとユダヤ人たちの間に、どういう議論が戦わされたのでしょうか。それは続く3節を見れば、分かります。

「『メシアは必ず多くの苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた』」と。また、『このメシアはわたしが伝えているイエスである』と説明し、論証した。」

十字架と復活なのです。主イエスの十字架と復活を巡って、パウロとユダヤ人たちが論じ合ったのです。しかも、パウロの主張は、主イエスが十字架で死なれて復活なさったということに留まってはおりません。その先があるのです。それはどういうことかと言いますと、十字架で殺され、三日目に死者の中から復活された主イエスこそ、メシアだというその一点です。イエスこそメシア。これこそがパウロのメッセージの中心であり、この一点を論証するために、パウロは旧約聖書を引用して議論したものと思われます。では、その聖書の引用とは、どういうものであったのか? そこがもう一つの焦点になりますが、そこに入る前に、今一度、福音書を振り返って、主イエスご自身が聖書とご自分の関係を語っておられるところを抑えておきたいと思います。ヨハネ福音書の5章39節に、こんな主イエスのお言葉があります。

「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。」

もちろん、この聖書も旧約聖書ということです。主イエスご自身が旧約聖書は私について証しをするものだと言っておられるのです。また聖書といえば、私たちが以前に読みましたルカ福音書24章のエマオへの道の物語を外すわけにはいきません。夕暮れ迫るエマオへの道を二人の弟子たちが歩んでいます。主イエスの復活を、彼らは知らされてはいるのですが、二人の顔は晴れません。いや、主の復活が彼らをさらに困惑させていたのです。そんな彼らに復活の主イエスが近づき、一緒に歩んでくださる。そして歩みながら聖書を説き明かしてくださるのです。実際に読んでみますと、ルカ福音書24章の25節。

「そこで、イエスは言われた。『ああ、物分りが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。』そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。」

モーセというのは律法全体のことですから、「モーセとすべての預言者」というのは旧約聖書全体ということになります。つまり、イエス様は、先ほどのヨハネ福音書の御言葉同様に、ここでも旧約聖書は私について証しをするものだと言っておられるのです。

こういうところを抑えてパウロの主張に戻りますと、パウロの語るメシア像はパウロが勝手に造り上げたものではなく、主イエスご自身の御言葉に立脚したものであることが分かります。これはパウロだけではありません。初代キリスト教会のすべての伝道者が同じ聖書理解を示していたと言うべきなのです。それは、あたかも、主イエスご自身が「旧約聖書は私について証しをするものなのだから、安心して旧約で福音を語りなさい」と言っておられるようなものです。

さて、このように主イエスに背中を押されるようにして、パウロが旧約聖書から福音を語った結果、どうなったかと言うと、ユダヤ人のある者はパウロのメッセージを受け入れて従い、神をあがめるギリシア人や主だった婦人たちも同じように福音を信じたのです。ところが、やはり多くのユダヤ人が反対して、町に暴動を起こして、その暴動の責任があたかもパウロたちにあるかのように訴え出るのです。その訴えの中に出て来るのが、冒頭にご紹介した言葉です。

「彼らは皇帝に勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」

先にも言いましたように、これは悪口ですから、そのまま受け入れるわけにはいかないのですが、悪口というのは案外、的を射ていることがある。ここもそうでした。パウロたちが主イエスを「まことの王」として宣べ伝えていたことが、これで分かるのです。さあ、パウロが語り伝えた「まことの王」とは、どのような王であったか。

ところで、今日の個所は前半がテサロニケでの伝道、後半がべレアでの伝道というふうに、きれいに二つに分かれているのが特徴ですが、この二つの町の人々の反応が、じつに対照的なのです。パウロが二つの町で全く別の話をしたとは考えられませんので、パウロはべレアでも「主イエスはまことの王」というメッセージを語ったものと思われます。ところが、テサロニケのユダヤ人が猛反発したのに対して、べレアでは全く異なる反応が返ってきたのです。11節に、こう書いてあります。

「ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりの素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。」

皆さんはここを読んで、どうお思いになったでしょうか。私は、これは凄いことだと思うのです。「毎日、聖書を調べていた」と書いてありますね? どうやって調べたのでしょう。私たちが毎日にように聖書を手にして読めるようになったのは、印刷の技術が完成して後のことです。それまでは自分の聖書なんて持てなかったのです。では、どこに聖書はあったかと言いますと、会堂に保管されていたのです。しかも、それは巻物の形で保管されていた。巻物ですから、一巻で済むわけはありません。何巻もの巻物の聖書が会堂に保管されていた。それを借りて帰るわけにはいきませんから、人々が毎日聖書を調べるためには、毎日会堂に来なくてはいけません。実際、彼らは毎日のように会堂に来ては聖書の言葉を調べたのです。しかも、一般の人は聖書の言葉を書き写すことも禁じられていましたから、彼らは会堂で読んだ聖書の言葉を心に刻み付けて、果たしてパウロの語ったメッセージ、いつくもの旧約の言葉を引用して語られたメッセージが本当に聖書に書いてあることなのか。懸命になって調べたのです。

さあ、テサロニケのユダヤ人を激昂させ、べレアのユダヤ人を聖書に釘付けにしたパウロのメッセージとは、どういうものであったか? パウロが語る「まことの王」としてのメシア像とは、どういうものであったのか? そこが最後の焦点になってまいります。

ここで一つの仮説を立ててみたいと思います。パウロがテサロニケとべレアの会堂で引用した聖書の個所。べレアのユダヤ人たちが毎日会堂の来ては熱心に調べていた聖書とは、どの巻物であったか? 私は、それはイザヤ書の第53章の「苦難の僕」の歌であったと思います。これはイザヤ書に収められていますが、じつはイザヤが書いたものではありません。名も無い預言者が、あるとき、突然に、神様からの啓示を受けて、いつの世にか、こういう形で多くの人の罪を贖う神の僕が現れることを預言したのです。彼はこれを語るのに、まず驚きの言葉から始めております。

「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことであろうか。」

預言者は神様から啓示を受けて、自分でもビックリしているのです。こんなことを聞いて、いったい誰が信じるだろうかと驚愕の声を上げています。それほどに、この神の僕は驚くべき仕方で神のご計画を担っていきます。3節に、こんな言葉があります。

「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。」

ここの3節のところに、「多くの痛みを負い、病を知っている」という言葉が出てきます。「病を知っている」とは、どういうことなのでしょうか? 私たちが「私はその病を知っている」と言う場合は、私もその病を過去に経験しているから、その病の苦しみを知ってますよ、分かってますよと言う具合に、別の道を歩んでいるけれど、似たような経験があるから、知っている、分かる。そのお気持ち、分かりますよ、という、そういう意味で使いますが、ここの「知っている」というのは、そういう他人行儀の知り方とは違う、もっと深い知り方なのです。今の私のこの病の中に、この人もいる、ということです。同じ病を知ってますよ、じゃなくて、今、私を苛む病を、この人は担っている、ということです。だからこそ、次の4節に「彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであった」と書かれているわけです。おそらく、パウロが語ったのも、同様のことではなかったかと思います。

皆さんは、イエス様のことを言った言葉に「インマヌエル」という言葉があるのをご存知でしょう。「神、我らと共にいます」という意味の言葉です。これ、どういうことかと言いますと、都合のいいときだけ、神様は共におられるということではないのです。私たちが深い悩みや絶望の中にあるとき、あるいは、恥ずかしいこと、みっともないことをやってしまったとき、あるいは、ここは神様にいてもらいたくないなと思う、そのときにも、イエス様は共にいてくださる。だから、ルカ福音書は言ってますね。十字架に一緒につけられた犯罪人に、イエス様はなんとおっしゃったか? 「今日、あなたは私と共に楽園にいる」と言われたでしょう? 同じ病を、同じ時に、主イエスは担ってくださる。こんなところに、神様、おられないに決まってると決め付ける、まさにそのときに、主イエスはおられる。病を、辱めを、苦しみを一緒に担って、共におられる。「ここまでは一緒、でも、ここから先はあなた一人だけで行きなさい」、というのではない。徹頭徹尾、一緒にいてくださる。ですから、キリスト教の救いというのは、いつも、必ず、絶望からの救いなのです。

イエス様のなさる救いは、崖の上から手を伸ばして、「ホイ、頑張って手を伸ばせ、つかまれ」と言っているような救いではないのです。同じ所に、しかも、ここには神様おられるはずがないというような、どん底に主イエスは一緒にいてくださる。一緒にいて、私と一緒に歩みなさいと言ってくださる。私の前にいて、私のところに来なさいと招いてくださる。私の後ろにいて、背中を押してくださる。だから、ペトロは立ち直れたわけでしょう?

もう一度、イザヤ書に戻りますと、11節12節に、こう言われています。

「彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った。それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし、彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らを投げ打ち、死んで、罪人の一人に数えられたからだ。多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった。」

私たちの主イエスは、このようなお方です。私たちはキリストの命をかけた闘いの戦利品として贖い取られたのです。おそらく、パウロのメッセージの中心は、ここらへんにあったのはないでしょうか?

パウロは「まことの王」としてのメシア像を語りました。そして主イエスこそ、その王であると語ったのです。王の仕事は何でしょうか? それは戦いなのです。槍や鉄砲を持って相手をやっつける戦いではありません。そういう戦いは兵隊の戦いです。王の戦いとは、古い力との戦いです。古い力を倒して、それまで古い力にがんじがらめになっていた人々を解放する。それが王の戦いです。そして王というのは自分の民を持つものです。この苦難の僕が「戦利品として受けた、おびただしい人」というのは、その民のことです。そして、まことの王とは、自分の民を搾取するのではなくて、逆に自分の民を養う王のことです。自分の命をもって養う。あなたも主イエスの命に養われる、主の民、主に養われる羊の群れ。パウロが語ったメッセージ、べレアの人々が聖書に釘付けになったメッセージとは、そういうものであり、それこそが主の教会が語り継いできた命のメッセージなのです。主イエスは王としてお生まれになり、王として殺されました。しかし、主は復活され、王として今も私たちを養っておられる。これが四旬節の今日、与えられた使徒言行録のメッセージです。

 

 

 

 

 

 

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