聖書:使徒言行録14章21~28節

説教:佐藤  誠司 牧師

「主の僕モーセの死後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた。『わたしの僕モーセは死んだ。今、あなたはこの民すべてと共に立って、ヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている土地に行きなさい。』」(ヨシュア記1章1~2節)

「二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、弟子たちを力づけ、『わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない』と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信じる主に任せた。」(使徒言行録14章21~23節)

 

今日読みました使徒言行録の物語は、パウロとバルナバの第1回伝道旅行の締め括りに当たります。聖書の巻末の聖書地図をご覧になると、お解かりになると思います。パウロたちは今、デルベまで来ているのです。ここはもう小アジアでも内陸部に属します。パウロとバルナバは、ここデルベを、この度の伝道旅行の最終地点にすることで合意したようです。

さあ、旅も最終地点ともなりますと、誰しも、それまでの歩みを振り返るものです。おそらく、パウロとバルナバも、伝道旅行を振り返って、様々に反省もし、その中から展望を新たにしたことでしょう。行く先々で会堂で伝道したのは、はたして良かったのか。語る言葉に不適切はなかったか。そうした反省を、彼らは行ったに違いありません。と言うのも、パウロたちは、行く先々で人々の反対と迫害に遭ってきたからです。会堂で御言葉を語れば、確かに、ユダヤ人と異邦人の双方に福音を伝えることが出来ました。

ところが、これがユダヤ人たちの反対に遭いました。異邦人たちが喜んで御言葉を受け入れる一方で、ユダヤ人たちが猛反発したのです。彼らの反発は、生半可なものではありませんで、パウロたちを町から追い出したのみならず、追って来るのです。そして町の人々を扇動して、パウロたちを妨害し、さらに石で打とうとまでしました。いかにユダヤ人たちの怒りが激しかったかが、これで分かります。

さて、パウロとバルナバは、伝道旅行をここで終わって、彼らが送り出されたシリアのアンティオキア教会まで戻って行かなければなりません。デルベの町は小アジアの内陸部ですから、帰路として普通考えられる道筋は、このまま陸路を東に取って、キリキア州を通過してシリアに入るというのが常識的なコースです。キリキア州にはパウロの故郷タルソスがありますから、パウロには心惹かれる思いもあったと思います。

ところが、パウロとバルナバは、来た道を引き返すコースを取りました。つまり、あの反対者たちが待ち受けている町々を通過する道を選び取ったのです。どうしてでしょうか? もう皆さん、お解かりのことと思います。あの町々には、確かに反対者も多くいましたが、その反対者に取り巻かれるようにして、生まれたばかりのキリスト者たちがいるわけです。彼らの安否を問い、励まし、祈りを共にする、その一点のために、パウロとバルナバは来た道を引き返す決心をするのです。

パウロとバルナバは、異邦人キリスト者が信仰を持ち続けることの困難さを、よく承知していました。特にバルナバは配慮に富む人物で、以前、第11章で、アンティオキア教会で異邦人への伝道だ開始されたとき、バルナバはエルサレム教会から問安使として遣わされて来るのですが、彼はそのとき、神の恵みが異邦人にも与えられたことを喜ぶ一方で、それだけに留まらずに、「異邦人信徒たちが固い決意を持って主から離れることのないようにと、皆に勧めた」と書いてありました。

パウロもその思いは同じであったと思います。新約聖書にはパウロの手紙が数多く収められていますが、あの手紙の大部分は、生まれたばかりの教会の信徒たちに宛てて書かれたものです。彼らがキリストを信じる信仰に留まり続けられるようにと、ただそれだけを願って書かれたのが、パウロの手紙です。

さて、パウロとバルナバは道を引き返します。リストラからイコニオンへ、イコニオンからアンティオキアへと引き返しながら、弟子たちを力づけ、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ました、と書いてあります。

ここに「踏みとどまる」という言葉が使われております。これは、じつは、大変に強い言葉です。「押し流されない」ということです。信仰というものは、ややもすると、押し流されやすいのです。特に異邦人キリスト者の場合は、状況が厳しいです。ユダヤ人キリスト者ですと、ユダヤの人々というのは家族揃って礼拝に出席し、家族揃って同じ信仰を持つのが当たり前でした。それに加えてユダヤの人々は信仰共同体を形成することに長けていましたから、問題はそれほど深刻ではないのです。

異邦人キリスト者の場合、救われたのは、おそらく、家族の中で自分一人です。ということは、家族が異なる信仰を持っている、ということです。しかも、その信仰というのは、ほとんどが偶像の神々を拝む偶像礼拝ですから、異邦人キリスト者の置かれた境遇というのは、もうほとんど孤軍奮闘なのです。その中で、どのようにしたら、信仰に踏みとどまることが出来ると言うのか。

ここで注目したいのが、パウロが信仰に踏みとどまるように励ました、という点です。励ましたと書いてありますでしょう? これは「慰めた」とも訳せるところです。信仰に踏みとどまるよう叱咤激励したというのではない。歯を食いしばって信仰に踏みとどまれと言ったのではないのです。では、パウロたちは、どのようにして異邦人信徒たちを慰め、励ましたのか。

使徒言行録が語る異邦人伝道の物語を注意深く読みますと、興味深いことが分かってきます。それは異邦人伝道において、福音は家族を救う言葉として宣べ伝えられた、ということです。10章と11章にローマ人コルネリウスが救われる物語がありました。あの物語の11章14節に、こんな言葉がありましたでしょう。少し前から読みますと。

「ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる。」

これ、キリストの福音のことですよ。福音が「あなたと家族の者すべてを救う言葉」というふうに言い換えられているのです。

また先々週、読んだところですが、13章の42節に、パウロが御言葉を語った会堂礼拝が終わったとき、人々は次の安息日にも今日と同じ話をしてくれるようパウロに頼み込んだというお話がありました。なぜこの人たちが、二週連続して同じ話を聞きたがったかと言うと、次の安息日に家族を連れて来ようとしたからです。家族と共に、福音のメッセージを聞きたかったのです。これを見ても、異邦人伝道において、福音は、まさに「家族を救う言葉」として語られ、かつ聞かれ、宣べ伝えられていたことが分かります。

また、16章にはパウロたちがフィリピの町で投獄される物語がありますが、あそこにパウロたちを鞭打って投獄した看守が救われるお話が出て来ます。あのとき、パウロは看守に、どう言ったか。パウロは彼に向って、こう言ったのです。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われる。」

そうすると、看守は真夜中だというのに、家族みんなを起こして来て、家族揃って御言葉を聞いて、家族揃って、洗礼を受けます。あの物語の最後は、何と書いてあると思われますか? こうなっているのです。

「この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。」

家族揃って真夜中の食卓を囲んで、パウロたちと共に喜び祝った。福音は、まさに「あなたと家族を救う言葉」として伝えられていたのです。これは、現代の私たち日本の教会、日本のキリスト者にとっても示唆に富むことではないでしょうか? 私たちは、ともすれば、福音を個人の救いに関わることに限定していないでしょうか? 福音を「お一人様用」に限定してはいないでしょうか。福音とは本来的に個人的なレベルに留まるものではなく、たとい個人の救いから始まったとしても、そこに留まることなく、救われたその人を通して福音はさらに働いていく、そしてその人の家族をも救いに導いていく。私たちは、そうした福音のダイナミズムに、もっと信頼して身を委ねても良いのではないかと思います。

さて、パウロとバルナバは、そうして信徒たちを慰め励ましつつ、彼らを残していく上で必要な手を打ちます。「弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈った」と書いてあります。教会と言っても、建物や組織があったわけでは、もちろん、ありません。あったのは信仰だけです。「二人、または三人が私の名によって集まっているところには、私もその中にいる」という主イエスの約束を信じる信仰だけがあった。そこに教会というのは成立する、そういう主張がここにはあるのです。

さて、ここに長老を任命したと書いてあります。まあ、使徒言行録における「長老」というのは、いつかお話しできるかと思いますが、これだけで一冊の論文が書けるほどの大きな主題なのです。しかし、ここでパウロたちが任命した長老というのは、そういう制度的なものではなくて、今で言えば、何々地区の世話役のようなものではなかったかと思います。そういう初歩的なものではあったのですが、パウロは、異邦人信徒たちが信仰に踏みとどまるためには、信仰共同体の確立がどうしても必要と考えて、その指導者として長老を任命したものと思われます。任命の際に「断食をして祈った」と書いてあります。これからパウロたちは、再びこの地を去って行くことになります。その間、長老たちを初めとする信徒たちが福音に立ち続け、信仰に踏みとどまることが出来るよう、祈ったのです。こうして、異邦人信徒たちのために、様々に励まし、策を立て、祈ったあとで、パウロたちは、どうしたでしょうか?

そして「彼らをその信じる主に任せた」と書いてあります。最後はやはりこれなのです。パウロの伝道はいつもそうです。20章の有名なミレトスの港での別れの場面でも、パウロはこう述べています。

「だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたを委ねます。」

あなたがたを神様に委ねる。神の言葉に委ねるのだとパウロは言うのです。このように、伝道者というのは、最終的に、主とその御言葉とに人々を委ねなければならないのかもしれません。私は今日の物語の急所は、ここだと思っております。パウロの伝道は、いつもそうなのですが、行き着くところ、いつも信徒たちを主に委ねる、神様に委ねているのです。パウロも心から彼らを愛しているのですが、最後の最後は委ね切っている。信徒たちを自分のものにしていない。主に委ねているのです。なぜなのでしょうか? 私は、ここがポイントだと思うのですが、ユダヤ人であるパウロはモーセのことを知り尽くしていたからではないかと思うのです。

旧約聖書でモーセ五書に続くのはヨシュア記ですが、ヨシュア記の最初のほうを見ますと「私の僕モーセは死んだ」という言葉と「今、あなたは立ってヨルダン川を渡りなさい」という言葉が並んで出て来ております。これ、ちょっと読みますと、モーセが死んだから、イスラエルの民はヨルダン川を渡ってカナンの地に入れるような、そんな印象を受けます。もっとひどい言い方をすれば、モーセがいたら邪魔になる、モーセがいる限り人々はカナンの地に入れない。そんな意味合いすら感じさせます。どうして神様はそのような厳しいことを言われるのでしょうか?

モーセという人はイスラエルの人々を導くために本当に苦労しましたし、また信仰の大事な場面で本当に素晴らしい働きをした人です。皆さんは、イスラエルの人々がエジプトを脱出して紅海の崖っぷちに立たされたときの物語をご存知であろうと思います。後ろからはエジプトの軍隊が追って来ています。前は海です。人々が恐れ騒いだそのときに、モーセはこう言いました。

「恐れてはならない。固く立って、主が今日、あなたがたのためになされる救いを見なさい。」

またこうも言いました。

「主があなたがたのために戦われるのであるから、あなたがたは黙していなさい。」

大変な危機に直面しているときに、このように神様の救いというものを皆の前でハッキリ告げることが出来たのです。これは大変なことです。だから、モーセは「神の人」と呼ばれましたし、神様も「私の僕モーセ」と呼んでおられるのです。そういう意味で、モーセは、かけがえの無い指導者でした。

しかし、そのことが逆に、イスラエルの人々にとって、モーセ無しには神を信じることが出来ないという、モーセ依存の信仰の体質を生み出していったのも事実です。皆さんは、モーセが神様から十戒をいただくために山に上って行ったとき、残された人々がどのような行為に及んだか、ご存じでしょう。彼らは不安に思って、ついにアロンに頼み込んで、不安を鎮めるために金の子牛の偶像を造らせたのです。あれを見ますと、人々がいかにモーセに深く依存していたかが分かります。彼らは、荒れ野の中でいろんな事に出会って、またモーセから教えられて、「神様が生きて働いておられる。神様が私たちを助け導いてくださる」ということを知っており、また信じておりました。しかし、それは聞いて信じていた、教えられて信じていたという、そのレベルだったのです。こういう信仰というのは、建前としては信じているのですが、けれども事に臨むと、神様を信じているといいながら、いつの間にか人を頼り、モーセに頼る。そういう体質が明らかになってきたのです。これで神の民と言えるのか? だから、神様はモーセに「あなたは約束の地に入ることは出来ない」とハッキリ告げられたのです。

パウロはこのモーセのことを痛いほど弁えていたと思います。だから彼はコリント教会の人々が「私はアポロにつく」「私はパウロにつく」と言って、伝道者に頼ろうとしたのを厳しく戒めたのです。これで神の民と言えるのか。これでここに主の教会が立つのか? 殊に異邦人信徒たちにとってみれば、パウロは自分たちを救いに導いてくれた恩人であり、大きな存在でした。パウロもまたそれを承知していたと思います。だからこそ、パウロは、主のその恵みの言葉とに人々を委ねたのではないでしょうか。パウロは言いました。

「だから、目を覚ましていなさい。そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたを委ねます。」

そしてこれが、そのまま、教会の伝統になりました。礼拝の最後に行われる祝祷が、そうです。あれは派遣の祝福であると同時に、じつは別れの言葉なのです。伝道者が救いの妨げになってはならないのです。神の民、まことの教会がここに建てられていくためにです。

 

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