2020年 2月15日(土)

「 キリストの真実 」

「 イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。 」     ( ローマの信徒への手紙 3章22節)

 

今日の聖書は「信じる者すべてに与えられる神の義」について書かれています。

新共同訳聖書では「イエス・キリストを信じることにより」と書いてありますが、新しく出された聖書協会共同訳の聖書を見ると「イエス・キリストの真実によって」と訳されています。「イエス・キリストを信じることにより」というのは人間の側が主体となりますが「イエス・キリストの真実によって」という表現になると、主体はイエス・キリストになっていて、イエスさまが私たち人間を信頼して下さることによってという客観的な意味となります。

私たちの信仰は主観的になってしまいがちですが、客観的信仰を大切にしなければなりません。主観的だと、他の人の信仰に対して批判的になってしまうことが多くあります。客観的信仰とは、神様が私たちを信頼し、とらえて下さることを信じることです。

ヨハネによる福音書15章でイエスさまは「わたしにつながっていなさい。」と言われ、さらに「わたしもあなたがたにつながっている。」と言われます。

教会に、イエスさまにつながれない時期が誰にでもあります。

どんな時でも、いつも私たちにつながっていて下さるイエス・キリストの真実を大事にして歩んで行きたいです。

今月の本の紹介

『 雪渡り 』   宮沢賢治

「 堅雪かんこ、しみ雪しんこ。」

雪がすっかりこおったある日、四郎とかん子は 小ぎつねの紺三郎と出会いました。

キック、キック、トントン。キック、キック、トントン。

そして二人は、きつね小学校の幻灯会に招かれます。小ぎつねたちとの 心あたたまる交流を描いた物語です。

 

次回の予定         3月21日(土)

 

 

2020年 1月23日(木)

「 礼拝者として生きること 」

「彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。」            ( ヘブライ人への手紙 11章13~16節 )

 

長く金沢で伝道されていたO先生は、以前「牧師の務めは、信徒一人一人を丁寧に天国に送ることです」と言われていました。その時は、高齢の教会員が多いので、それぞれの葬儀を丁寧に行なうことだと思っていました。

今、その言葉のことを考えると、「礼拝者としての信徒たちの意志や姿勢を、最後まで支えて 天国まで送る」ということだと思うのです。

高齢になって礼拝に来ることが出来ない、献金も出来ない、何も出来なくなってから礼拝者として輝き始める方がおられます。最後には牧師もそこに入ることは出来ず、神様と自分が1対1の関係で向き合います。 教会に来ることが出来なくても、真っ直ぐに天を仰ぎ見、礼拝者としての生き方を、ブレずに通している方もおられます。

私たちは お互いの交わりの中で、礼拝者の姿勢を学び合い、励まし合うことが出来ます。良い交わりの中で、礼拝者として支え合い、高め合っていきたいです。

 

『スーパー主婦の直伝スゴ技!』(新潮社)

今回はNHK「あさイチ」のディレクターをされていた伊豫部紀子さんの本から、片付けの方法など、実行して良かったことなどを紹介して頂きました。

片付けや整理整頓は、誰でも頭を悩ませることが多いです。

引き出し一つでも、今よく使う物を取り出しやすくすること、あまり使わない物は奥にしまう。(処分する) また、引き出しの仕切りに、道具を買わなくても 牛乳パックを利用する方法も紹介されていました。                      片付け上手な人の例として、ペンや鉛筆などは 数本出して置くと 無くなりやすいけれど、一本だけにしておくと無くならないようです。               ちょっとの工夫で いろいろな無駄を省き すっきりした生活をしたいですね。

 

次回の予定            2月15日(土)

 

2019年 12月7日(土)

「 心に場所を空けておく  」

「 宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」            ( ルカによる福音書 2章7節 )

 

アドベント(待降節)に入りました。アドベントクランツのろうそくの火が、毎週1本ずつ増えていき、4本になるとクリスマスが来ます。

日本人は、時は流れるものと考えますが、聖書では 時が満ちていくという考え方をしています。

「満ちる時」という考え方は 砂時計と似ています。実現する時に向かって、砂が落ちるのです。

旧約聖書の時代からの長い時が流れて、ベツレヘムの馬小屋で、マリアが男の子を産みました。旅の途中だったマリアとヨセフには、泊まる家が無かったのです。

「家」は「心」を表しています。人々の心に、イエスさまを迎える場所がなかったのです。忙し過ぎると、心に余裕が無くなってしまいます。

心のどこかに場所を空けておくことで、神様から良い物を頂くことが出来ます。

クリスマスに私たちは、神様から最大の贈り物「イエスさま」を頂きます。

私たちも、愛する人と一番良い物を分かち合いましょう。

 

クリスマス祝会に向けて、オリーブの会の皆さんで、歌とハンドベルの練習をしました。

毎年歌っている「とおいそらのかなたから」はフランスのカロルです。イエスさまがお生まれになった夜の様子が目に浮かぶような、きれいな曲です。

「さやかに星はきらめき」は歌詞も曲もとても美しくて、クリスマスの喜びで、心がいっぱいになるような感動的な歌です。なかなか皆さんがそろって練習出来る時間がありませんが、心を一つにして、楽しんで歌えたらいいです。

 

次回の予定         1月23日(木)

 

 

 

2019年 11月28日(木)

「 願いを素直に言い表す 」

「 イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間 病気であるのを知って、『良くなりたいか』と言われた。 」

( ヨハネによる福音書 5章1節~9節 )

ベトザタの池で、38年もの間 病気で苦しんでいる人が、イエスさまと出会いました。水が動いた時、真っ先に水に入る者はいやされると言われていました。

長年 彼はここで望みをつないでいましたが、横たわっているため、自分で水に入ることが出来ません。イエスさまは彼に「良くなりたいか」と問いかけます。

しかし彼は、その大事な問いかけに「良くなりたい」と答えることが出来ませんでした。自分の願いを、素直に言い表すことが出来なかったのです。

「水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。」と文句を言っているように聞こえます。厳しい現実の中で、自分の望みをなかばあきらめているのかも知れません。

イエスさまはそんな彼の願いを知り、病いをいやされたので、彼は起き上がって歩き出すことが出来ました。

私たちも、現実に目を向けた時、その願いが消えてしまいそうな時があります。しかし、いつでも主に向かい、願いを素直に言い表すことは大事です。

イエスさまの呼びかけを、素直に受け取る者となりたいですね。

 

 

今日は、「 なまえのないねこ 」という絵本を紹介させて頂きました。   ( 竹下文子 文  町田尚子 絵   小峰書店 )

「 ぼくは ねこ。なまえのない ねこ。まちの ねこたちは、みんな なまえを もっている。」 ねこは、まちをあるきながら、すきななまえを さがします。ひとりぼっちのねこが さいごにみつけた「ほんとうに ほしかったものとは?」メロンいろの目をしたねこの表情が、とてもいとおしくて、心がきゅんとするような 素敵な絵本です。

次回の予定       12月7日(土)

 

2019年 10月5日(土)

 

 

「杖の先に寄りかかって」

 

施設におられる方を訪問して、礼拝を守ります。賛美と祈りだけの小さな礼拝です。
認知症が進んで、言葉はありませんが、賛美をとても喜んでくださいます。
最初、私たちは、これを見て、「反応はわずかだけど、喜んでくれたね」と言い合っていました。
しかし、じつはこれがこの人の心からの礼拝だったのです。こんな御言葉があります。
「信仰によって、ヤコブは死に臨んで、ヨセフの息子たちの一人一人のために祝福を祈り、
杖の先に寄りかかって礼拝しました。」(ヘブライ人への手紙11章21節)
 この御言葉は礼拝の本質を突いています。礼拝や祈りというのは、私たちだけの行為では
ありません。相手があるものです。しかも、その相手は私たちの父なる神様です。
このお方が、杖の先によりかかる破れの多い礼拝を、心からの礼拝として喜んでくださる。
言葉にならない呻きや人知れず流す涙さえ、祈りとして引き上げてくださる。
あの姉妹のわずかな反応を「心からの礼拝」として受け入れておられるのは、このお方だったのです。
このお方への信頼ゆえに、私たちはすべてを投げ出して礼拝することが出来る。
認知症が進み、聖書も賛美歌も、祈ることすらわからなくなっても、礼拝だけは出来る。
礼拝とは、詰まるところ、そういうことだと思うのです。

今日の本の紹介  かみさまからのおくりもの(樋口道子)

子育てにつかれているお母さんに心休まるお話の本でした。ぜひ読んでみて下さい。

次回の予定    11月

 

2019年 9月12日(木)

「 イエスはまことのぶどうの木 」

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」    ( ヨハネによる福音書15章1節~5節 )

 

イエス様が弟子たちに語られたたとえ話ですが、なぜイエス様はぶどうの木にたとえられたのでしょう。本物のぶどうの木を見てから、それがわかりました。

他の木の幹は、自分が成長するために、枝から養分をもらっています。でも、ぶどうの木の幹はひょろひょろしていて、そこから枝が伸びています。枝にはぶどうの実が豊かに実っていて、幹はその枝を成長させるようにして伸びています。

イエス様は私たちを成長させるため、実を結ばせるためにつながって下さっています。

日本の社会は、自分の思い通りに出来ない、自由ではないことが多くあります。

職場や家族のことが優先されて、日曜日に教会に来ることが出来ないことも多くありのます。でも、イエス様はどんな時でも私たちにつながっていて下さるという約束を信じて、私たちも安心してイエス様とつながって過ごしていきたいものです。

 

今日は 「視点を変えて見てみれば」―19歳からのキリスト教―(塩谷直也著)という本を紹介して頂きました。(日本キリスト教団出版局)

焦る癖のある著者は「神さま、焦る心、はやる心を取り除いてください」とずっと祈っていました。「焦る自分は神さまの役に立たない。焦らない、ゆったりとした自分こそが正しい姿だ」という考えがあったのです。

しかし今は「焦る心も用いてください」と祈るようになりました。貧しくても豊かでも、満腹していても空腹であっても、ゆったりしていても焦っていても、神様は働かれるのです。晴れの日も雨の日も働いて下さる神様は、明るい色も暗い色も全ての色を価値ある色としてお使いになる方。全ての色がこの世界に必要だと気づく時、私たちは自由になり、貧しくても豊かでも、欠点があっても不完全でもいいんだということがわかるのです。

 

次回の予定            10月5日(土)

 

 

2019年 8月3日(土)

「 生活の中で養われる信仰 」

「彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」                                           ( ルカによる福音書8章1~3節 )

 

ルカは福音書の中で、女性たちの働きを、あたたかいまなざしで細やかに描いています。ルカはパウロの弟子でしたが、教会の中で女性たちが大切な働きを荷っていたことを見ていたのでしょう。イエス様によって悪霊を追い出してもらったマグダラのマリアや、ヘロデの家令の妻ヨハナ、スサンナやその他の多くの婦人たちの奉仕について書かれています。彼女たちは、自分たちの持ち物を出し合って、捧げ物の奉仕をしました。

イエス様と弟子たちの旅に同行し、食べ物や宿の準備、洗濯など、旅に必要な生活全般の奉仕を、女性らしい心使いで行っていたのでしょう。彼女たちの信仰は、生活に密着したものでした。

イエス様が十字架につけられる時、弟子たちは逃げてしまいましたが、女性たちは逃げることなく、墓に葬られる時も一緒にいました。またイエス様が復活されたことを真っ先に知ったのも、イエス様の体に香油を塗りに行った婦人たちでした。天使にイエス様の復活を知らされた時、彼女たちはすぐにイエス様が生きておられることがわかりました。

彼女たちの、生活に密着した信仰が養われ、それが後に教会を作り上げていくことになるのです。

 

現代はストレスの多い時代です。今回は、新潟大学の名誉教授だった阿保徹氏の

「病気にならない免疫生活」という本を紹介して頂きました。(中経の文庫)

ストレスの多い生活や、怒りの気持ちが多い生き方をしている人は病気にかかりやすい。癌になりやすい人は、長時間労働の人や、人間関係の中で頑張りすぎたり、手を抜けない人が多いといいます。そして「ありがとう」と感謝する生き方をすることで、心が穏やかになり、癌が自然に退縮する体へと変わっていくのだそうです。

ストレスをためないことが大事であるという話題から、皆さんが抱えている悩みや、それぞれのストレス解消の方法などについて話し合うことが出来、とても良い時間となりました。また、体と心に優しい食べ物の紹介として、野菜スープのいろいろな作り方も教えて頂きました。

 

次回の予定      9月12日(木)

 

 

2019年6月15日(土)

「 信仰を言い表す 」

 

「 あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。 」

(マタイによる福音書  16章13節~18節)

イエス様が、フィリポ・カイサリア地方に行かれた時、弟子たちに「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになりました。人々がイエス様のことを「洗礼者ヨハネ」だと言ったり、「エリヤ」や「エレミヤ」のような預言者の一人だと言っていることを、弟子たちはイエス様に伝えました。人々は、自分たちがよく知っている預言者たちの再来のように、イエス様のことを説明しようとしていました。

イエス様は弟子たちに言われました。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えます。

この信仰の告白にイエス様は「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」と言われました。カトリック教会では、ペトロという人間そのものを「岩」として解釈していますが、プロテスタントでは「ペトロの信仰の上に」教会を建てると理解しています。イエス様はペトロに「あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」と言われます。ペトロのこの告白の言葉は、人間の経験から出て来たものではなく、神様から与えられた言葉であり、賛美であり、告白なのです。私たちの信仰も、自分の経験によるものではなく、父なる神様があなたに現して下さったということを、イエス様は教えて下さるのです。

 

今回は、福井出身の宮下奈都さんの「 羊と鋼の森 」を紹介させて頂きました。

この小説は、2016年本屋大賞他、複数の賞に選ばれています。

音楽にもピアノにも全く無縁だった青年が、ピアノの調律師を目指して行く話です。

多くの人との出会いの中で、不安や劣等感を抱えたりしながらも音楽を愛し、調律師として成長していく姿は、私たちにも、努力していくことへの勇気と希望を与えてくれます。特に、主人公が耳にする音楽や音そのものを表現する言葉が、とても豊かで喜びに満ちていて、言葉や文章の美しさに自分も感動しました。

 

次回の予定           8月3日(土)

 

 

2019年 5月30日(木)

「 いやしと救い 」

「 あなたの信仰があなたを救った 」

( マルコによる福音書 5章34節 )

 

これは、聖書の中でイエス様が言われた言葉ですが、いったい何人の人がこの言葉をかけられたでしょうか?どの場面で出てくる言葉か、思い浮かべることが出来ますか?長年 出血が止まらない病気の女の人や、道端に座っていた盲人、また皮膚病をわずらっていた人など、イエス様にいやされ、この言葉をかけられた人が聖書に出て来ます。

最近、一般的にも「いやし」ということがもてはやされていますが、「いやし」と「救い」とは別のものです。教会の中でも、そのことがはっきりわかっていない人もいるかも知れません。

何年も婦人病で苦しんでいた女性は、イエス様の服を後から触った時、病気がいやされました。この時、身体はいやされたけれど、心はまだ、いやされてはいませんでした。

女性が怯えながらも、イエス様の前に出て行き、ありのままを話した時「あなたの信仰があなたを救った」と言葉をかけられ、その時、彼女の心もいやされ、救われたのです。

重い皮膚病をわずらっていた10人の人は、イエス様によって病いをいやされましたが、その中の1人だけが、イエス様のもとに戻って来て感謝を表しました。イエス様の前に出て行った時、彼はその信仰によって救われたことを告げられました。

それぞれが遣わされた場所から戻って来て、イエス様の前に出ること、これは大事な礼拝者の姿だと思います。

 

今回は、ゴスペルソングを2曲紹介して頂きました。

1 「KUMBAYA」

アフリカ民謡がもとになっているこの曲は 「主よおいでください」という曲名で讃美歌21にものっています。この曲を現代風にアレンジして、カート・カーが歌っています。とても迫力ある曲で、神様を強く求める祈りの言葉は、昔も今も、人種も国境も越えて同じなんだと深く感じました。

2 「Ⅰ NEED YOU TO SURVIVE」

曲名は、「あなたに、生き抜いていて欲しい」という意味があります。

ヘズカイヤ・ウォーカーが歌っているこの曲は、アメリカの同時多発テロの後、遺族のためのライブで歌われた曲です。自分と相性が悪かった人もテロの犠牲になり、いなくなった後で、彼に教えられたり、気づかされたことが多かったこと、また失敗や嫌な経験も、神様が必要なものとして与えて下さっていること、そんな思いがこの歌に込められているということです。

 

次回の予定                 6月15日(土)

 

 

2019年 4月11日(木)

「 命令と約束 」

「 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。 」

( ヨハネによる福音書15章4節 )

 

これは、イエス様が弟子たちに語られた大事な説教ですが、この中には弟子たちへの「命令」と「約束」が語られています。

「わたしにつながっていなさい」という命令と「わたしもあなたがたにつながっている」という約束です。

このように、イエス様の命令と約束が語られているところは他にもあり、ルカによる福音書22章では、ペトロに向かって「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と語られています。これも、「兄弟たちを力づけてやりなさい」という命令と共に「わたしがあなたを立ち直らせてあげる」という約束がこめられています。

イエス様が十字架につけられる時、ペトロは大祭司の中庭で焚き火にあたっていましたが、イエスの弟子だということを人々に指摘され、わたしはイエスのことを知らないと3度否定しました。鶏が鳴き、イエス様を裏切ってしまったペトロは激しく泣きました。人は、後悔からだけでは立ち直れませんが、イエス様が立ち直らせて下さるという約束をしっかり信じた時、ペトロはそこから立ち上がることが出来たのです。

自分がイエス様に、頑張ってつながっているだけでなく、「わたしもあなたがたにつながっている」と言われるイエス様の約束を信じることで、人は弱さから立ち上がり、また歩んでいくことが出来るのではないかと思います。

最近 受洗された方がおられます。その陰で、長年にわたる奥様の祈りがあったことを思います。自分の力だけではつながっていることが出来ない時もあります。

イエス様がつながっていて下さること、その約束をしっかり信じるということ、

この1点を忘れず歩んで行くことが、信仰生活には大事なことです。

 

今回は「 ちいさなごるり 」という絵本を紹介させて頂きました。        

( 松居スーザン 文   堀川真 絵  童心社 )

ごるりは いたずらっこであまえんぼの ちいさなばけもののおとこのこです。

ごるりはおかあさんにききます。「 ぼくって どういうぼくだろう?」

おかあさんは ごるりが どういうごるりかを やさしくおはなししてくれます。

こどもが大きくなる時、自分のこと、身近なこと、世界のことがもっともっと知りたくなり、いろいろなふしぎな質問をしてくることがよくあります。

わんぱくなごるりと、やさしいおかあさんと、そして、かわいいいもうとのてるりの、心がほかほかしてくるようなお話です。

次回の予定                 5月30日(木)

 

 

2019年3月28日(土)

「 経験の土俵から出る 」

「 わたしは復活であり、命である。 」 ( ヨハネによる福音書11章25節 )

 

イエス様は「復活」について語られ、「このことを信じるか」と言われます。

「復活」について、よくわからないという人は多いかも知れません。自分で見て納得したことは信じることが出来ますが、経験上 あり得ないと思うことは、なかなか信じることが出来ません。

聖書の中にも、証拠が無いので納得出来ない、信じることが出来ないという人は出て来ます。誰でも、自分の経験という土俵の中から出ることは難しいことだと思います。

聖書は経験のメッセージを語りません。イエス様は「わたしを信じる者は、死んでも生きる。」「生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことは無い。」と言われます。

ペトロは経験の土俵から踏み出すことが出来た人です。イエス様の「来なさい」という言葉を信じて、湖の上に一歩踏み出します。水の上を歩こうとするなんて、常識的に考えてなかなか出来ないことです。

経験の裾野は広く、私たちは、自分の経験だけではなく、世間一般の経験で多くのことを知ることが出来ます。

イエス様は、経験で知り得ないことを、たとえ話で教え、伝えてくれます。

経験や理解という土俵の中から一歩踏み出すことを、一生に一度は求められることがあるのではないでしょうか。一緒にその土俵を飛び越えて行きましょうということを、日曜日のメッセージの中で伝えていきたいです。

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東日本大震災から8年経ちました。岩手県の陸前高田に住む人からの手紙を、オリーブの会で読ませて頂きました。多くの方が亡くなられ、彼女も中学生だった甥御さんを亡くされたとのことでした。家や街は復旧できても、命は戻って来ない。

8年経っても深い悲しみは消えませんが、全国各地からボランティアが来て下さることで支えられ、癒され、感謝の気持ちは言い表せないぐらいです。「 忘れないで欲しい 」それが被災地の望みです。と書かれていました。去年の夏、北陸学院大学の学生がボランティアで被災地へ行き、地元の皆さんと花壇作りをしました。その時 持ち帰った球根の花が、この春咲きました。今、同じ時を生きている私たちが出来ることは「忘れないこと」そして「祈り続けること」。ひとつの花が咲くたびに、皆さんの心にも花が咲きますように、祈り続けたいです。

 

今回は 「 60秒の奇跡 」(子ネコがつくったピアノ曲)という絵本を紹介させて頂きました。(文 レズリア・ニューマン 絵 エイミー・ジューン・ベイツ)

アメリカで、本当にあった話です。作曲家のモシェ・コテルは町で子ネコに出会い一緒に暮らし始めます。60秒以内で曲を作ることに行き詰まっていたモシェを励まそうと、子ネコはピアノの鍵盤の上を歩きます。するとその時、奇跡のように小さな曲が生まれました!それは、1分間コンテストで演奏されて注目を浴び、子ネコは作曲者として紹介されました。小切手を受け取った子ネコは、キャットフードを沢山買ってもらったということです。この「 ピアノのための小曲:四本のあんよ 」は60秒のピアノ曲としてCDになっているそうです。聴いてみたいですね!

 

陸前高田からきた水仙

 

次回の予定      4月11日(木)

 

 

2019年 2月16日(土)

「 客観的信仰 」

「 彼らの中に、不誠実な者たちがいたにせよ、その不誠実のせいで、神の誠実が無にされるとでもいうのですか。 」

( ローマの信徒への手紙 3章3節 )

皆さんは「客観的な信仰」という言葉を聞いたことがありますか?

信仰には、「主観的信仰」と「客観的信仰」があります。

「主観的信仰」とは「自分の信仰は強い、弱い」とか「あの人の信仰は幼い」とか「熱心だ」など、人の信仰の中味を問うようなとらえ方です。そのような信仰のとらえ方は、ともすれば 人を評価したり、自分を卑下したりしてしまいがちです。

それに対して「客観的信仰」とは「神がこの人を捕らえておられる」「神がこの人を愛しておられる」というとらえ方です。

いつか誰でも、認知症などの病気や老化で、記憶や意識が無くなり、自分の信仰や神様のことがわからなくなることがあるかも知れません。その時に大事なのは「神はその人の手を捕らえて離さない」ということです。

以前、認知症で信仰の応答が出来ない方の葬儀を教会でしたいという、娘さんからの要望がありました。神がその方を愛しておられることがわかり、洗礼を受けることが出来ました。

「主観的信仰」は一人で芽生えるのではなく「客観的信仰」の揺りかごの中で育まれ、愛され、歩んで来ることが出来た、それを知っていることは大事なことです。

聖書の中には 沢山の「客観的信仰」が出て来ます。アブラハムへの祝福は、彼の行動などを問わない一方的な祝福でした。神は「私は アブラハムの神 イサクの神 ヤコブの神である」と言われます。「アブラハムの神だった」のではなく、今も「アブラハムの神」なのです。心のどこかに それを覚えていて下さい。

 

今回は 星野富広さんの「あなたの手のひら」を紹介して頂きました。

その中から「命一式」と「雪割草」の詩を読んで頂きました。

「雪割草」の中の「さあ 古い悩みなんか吐き出し 新しい困難を思い切り燃やし 今日という原野を走ろう」という言葉に元気づけられます。

また「おわりに」の中にこんな文章がありました。「絵も詩も少し欠けていた方が良いような気がします。欠けているもの同士が一枚の画用紙の中におさまった時、調和のとれた作品になるのです。これは詩画だけでなく、私達の家庭も社会も同じような気がします。欠けている事を知っている者なら、助けあうのは自然な事です。」

星野さんの描く美しい絵とやさしい文は、いつも私たちに大切なことを気づかせてくれますね。

 

次回の予定             3月28日(木)

 

恋猫

 

2018年 12月6日(木)

「 クリスマスおめでとう 」

「 おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。 」

( ルカによる福音書1章26節~38節 )

待降節に入りました。新年の挨拶を辞退する葉書を見るたびに思い出す言葉です。

毎年この時期になると、金沢のキリスト教幼稚園の子どもたちが、百貨店のステージでクリスマスソングを披露します。

子どもたちの元気な歌声と「メリークリスマス!」の声が響きます。

「メリークリスマス」の挨拶は、「おめでとう」という意味があります。

子どもたちの歌声の中に喜びがあふれています。

日本では、悲しんでいる人におめでとうを言ってはいけないという文化があります。

しかし天使がマリアに言った「おめでとう、主があなたと共におられる。」という言葉は、悲しんでいる人、苦しんでいる人、泣いている人に向けられたメッセージです。

クリスマスの「おめでとう」は「主があなたと共におられる」という喜びのメッセージであり、すべての人に告げられる救いの知らせなのです。

今年の最後に、このメッセージを聴きましょう。

 

今回は 「 やまあらしぼうやのクリスマス 」という絵本を紹介しました。

( グランまま社 )

どうぶつのこどもたちが クリスマスのげきをするきせつ、やまあらしぼうやは、げきに出たいと思っています。でも、ほかのどうぶつたちは やまあらしぼうやを

「 とげとげボール! 」と言ってからかいます。

泣いているぼうやにおかあさんは 「 ぼうやはおかあさんの こころのひかり 」 と言ってだきしめました。

さてクリスマスの日、ぶたいがかりとそうじがかりだったやまあらしぼうやに、びっくりすることがおこりました!

 

次回の予定            1月31日(木)

 

 

 

 

2018年 11月8日(木)

「 願うことと 必要なこと 」

「 あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存知なのだ。」

( マタイによる福音書 6章8節 )

 

私たちは神様に向かって、今必要なことを願ったり祈ったりします。

しかし神様は、私たちが今願うことではなく、本当に必要なものをあたえて下さいます。

私たちが思うこととは全く違う方向に、道が開かれて来ることがあります。

後になってみてから、思っていたこととは違っていたが、良い方向が示されていたということがわかるのです。

ルカによる福音書に、ザカリアの物語があります。洗礼者ヨハネの父であるザカリアは、幼子誕生の知らせを信じることが出来ませんでした。彼は、ヨハネの誕生まで言葉を奪われ、話すことが出来なくなりました。沈黙が与えられ、彼は黙想しました。

ヨハネが生まれた時「ほめたたえよ」と預言の言葉が出て来ました。

奪われたのか、与えられたのか。奪われたようだけれど、与えられていることがあります。自分の願うものではないが、必要なものが与えられるのです。

ヨブ記では、ヨブの問いかけに対しての神様の答えは、それ以上の深い呼びかけとなって返ってきます。

私たちは神様に問いかける時、物語の登場人物が、 「鏡よ 鏡よ」と問いかけるように、自分が期待している答えを求めていないでしょうか。

求めるものがそのまま返って来ないけれど、それよりももっとふさわしいものが与えられていたことが、後になってからわかるということはしばしばあるのではないでしょうか。

 

今回は 「 マローンおばさん 」 (エリナー・ファージョン こぐま社)

というポエムストーリーを紹介しました。

ひとりぼっちのマローンおばさんのもとに、弱った森の動物たちが次々訪れます。

マローンおばさんはそんな動物たちを、いつも「あんたの居場所くらい、ここにあるよ」と喜んで迎え入れ、自分のわずかな持ち物や食べ物を分け与えます。

そんなマローンおばさんの生き方に、

「悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。」

というコリントⅡの御言葉を思い出しました。

 

次回の予定            12月6日(木)

 

 

2018年10月11日(木)

 

今回のオリーブの会では、あまり人数が集まらなかったので、今後の会の予定などを話し合いました。また、殺処分から救出された犬たちがセラピードックとして活躍し、お年寄りの心のケアや機能回復のために働いてくれているという新聞記事を読みながら、それについての話をしました。

 

次回の予定            11月8日(木)

 

 

2018年 9月19日(水)

「子供たちをわたしのところに来させなさい。」

2015年9月11日に「信仰を語る女子会」として再発足したオリーブの会ですが、今月で3年目を迎え、今日が37回目となりました。

出席者が少ない時もありましたが、毎月欠かさず行うことが出来たことは感謝です。これからもこのオリーブの会が恵み豊かな場として活動していくことが出来るよう祈っていきたいと思います。

 

人々が子どもたちをイエス様のもとへ連れて来ました。弟子たちはこの人々を叱りました。すると、イエス様は「子どもたちをわたしのとことに来させなさい」と言われました(マルコによる福音書10章14節)。

「来させる」というのは「連れて来る」こととは違います。「連れて来る」のは、体を引っ張って連れて来るのです。しかし、「来させる」というのは、子どもの心に働きかけて、自分で来ようとするのを妨げないようにと、イエス様はそう言っておられるのです。

 

子どもは自分の疑問をストレートに聞いてきます。ある子どもが「ぼくらのやってる献金が先生の給料になるのんか」と訊いてきました。否定する答えも出来ましたが、牧師は「そうや、ぎょうさん献金してや」と答えました。すると、その子は嬉しそうに「うん」と言ったそうです。

牧師が講師を勤めていたキリスト教の短大で、あまり笑わないクールな学生がいました。小学校からミッションで育ち、聖書に触れていましたが、高学年になるにつれて、キリスト教が自分たちの問題や悩みに答えてくれるのかが疑問になってきます。教師に質問しても、正統性のある答えしか返って来ず、心に響く答えは聞くことが出来ません。そのようなキリスト教主義の環境の中で、キリスト教に不信感や失望を抱いて「ミッション疲れ」になってしまったのでしょうか。

 

子どもたちが抱く疑問や願いをはぐらかさないで答える教会でありたいです。子どもは、自分が受け入れられているか歓迎されているかに敏感です。いつでも子どもを迎え入れられる教会でありたですね。

 

今日は「大きな緑の木の下で」パトリク・マケリゴット著(いのちのことば社)を紹介しました。

イギリス人宣教師が日本での子育て体験を書いたエッセイです。三人の子どもたちとの暮らしを通し、神様の愛が語られています。

キャンプでのカヌーの体験の話があります。

「車に乗る時、子どもたちは後ろの席にお客さんのように座り、退屈になるのですぐけんかをします。しかし、カヌーに乗ると、みんなが力を出し合って漕ぎ、目的地に着くまで協力し合うので、けんかになりません。何でも親任せの車型の家庭ではなく、家族全員が協力するカヌー型の家庭になることで、人間関係がより良い方向に成長するのではないかと思います。」

心に残る言葉です。

 

*次回の予定 10月11日(木)

 

オリーブの会の3年目のお祝いをしました。

 

2018年 8月30日(木)

「 見ないで信じる信仰 」

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」

(ヘブライ人への手紙 11章1節)

 

復活されたイエス様とそれを疑うトマスの物語では、イエス様は 「見ないのに信じる人は、幸いである。」とトマスに言われます(ヨハネ20・29)

「見ないで信じる信仰」に目を向けると、聖書の読み方は変わってきます。

ルカによる福音書17章では、重い皮膚病を患っている10人の人をイエス様がいやされる物語があります。その時代、その病気は神に呪われていると思われていて、祭司の所で清められなければ、家族や社会に復帰することは出来ませんでした。ところが、イエス様の言葉を聞いた10人の人たちは、祭司の所に行く途中ですでに清くされ、病いはいやされました。イエス様の言葉を聞き信じたからです。 。

マタイによる福音書14章では、イエス様は湖の上を歩いて、舟にいる弟子たちの所へ行かれます。おびえる弟子たちにイエス様は「安心しなさい。」と言われました。

その時ペトロは「水の上を歩いてそちらへ行かせて下さい。」とイエス様に言います。

今までの経験や常識から考えると、水の上を歩くことなんて出来るわけがありません。

しかしペトロは、これまでの経験や常識の世界から一歩外に出て、イエス様を信じる信仰へ踏み出したのです。知っている世界、今まで見て来た世界ではない、見ないで信じる信仰へ導かれたのです。

聖書は今も私たちを、見ないで信じる信仰へと引っ張って行ってくれます。

イエス様はペトロに「来なさい」と言われました。

私たちもその呼びかけに応えて、勇気を出して歩んで行けたらいいですね。

 

今日は、バーナード・ウェーバー作 「勇気」(COURAGE)という絵本を紹介しました。

( 日野原重明 訳 )

「いろんなゆうきがあるんだ。すごいのから、まいにち であう ゆうきまで。」

「きらいな やさいも いやな かおせず たべるのも ゆうき。」

「くちげんかを しても、じぶんの ほうから なかなおりするのも ゆうき。」

「そらたかく うちゅうたんけんも、うみの そこまで たんけんするのも ゆうき。」

「わかれなければ ならない ときには さよなら いえるのも ゆうき。」

翻訳をした日野原先生は 「冒険心と、物事を選択して決断する勇気こそが、子どもを成長させる何よりのよいエネルギーとなるものと私は信じています。」と言っています。 大人の私たちも「小さい勇気」「大きい勇気」がいつも必要です。生きていくことは、いろんな勇気の積み重ねだと、この本を読んで思いました。

 

次回の予定      9月19日(水)

 

 

2018年 7月21日(土)

「 土の器 」

 

「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。

人はこうして生きるものとなった。」

( 創世記 2章7節 )

 

天地創造された神は、アダムに「命の息」を吹き入れます。これによって人は、神の呼びかけに応えて生きるようになります。「命の息」という言葉は「聖霊」と言い変えてもいいかも知れません。ここに、聖書の人間観があります。

Ⅱコリント4章7節でパウロは「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。」と言っています。私たち人間は、土の塵で創られた粗末な器ですが、神が吹き入れた命の息が、その中に宿っているのです。土の器の中に、宝を頂いているのです。

皆さんは、どんな宝を神様からもらっていますか?それに気づくことが出来る人は幸いだと思います。そして神様からもらったその恵みを分かち合うことで、恵みは増えていくのです。

今回 紹介した本は 「 初女さんのお料理 」 佐藤初女著  ( 主婦の友社 )です。

一昨年 94歳で亡くなられた初女さんは、青森の岩木山の山荘「 森のイスキア 」に、心に重荷を抱えた人をいつでも迎え入れました。

おむすびや山菜などのお料理を食べるうち、多くの人はその荷物を下ろしていました。

食は何よりも人の心を通わせると信じ、食卓を囲み、ひたすら耳を傾けます。

「 食べることは、大きな力になる。食材は口を通して体に入り、私たちのいのちと一緒に生涯生き続けていくことになるからだと思います。 」

「 手をかけて、心をかける 」それを大切にして、食を通じて人々を癒す、そんな素敵な生き方に感動しました。

 

次回の予定      8月30日(木)

 

                                                                    

2018年 6月28日(木)

「 上にあるもの 」

( コロサイの信徒への手紙3章1~4節 )

「あなたがたは、キリストと共に復活させられた」

「あなたがたは死んだのであって」と聖書に書かれているのを読んだ人は、「私は死んでないし、復活もしてない」と思うかも知れません。

「キリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。」と聖書には書かれています。

また パウロはここで 「上にあるものを求めなさい」「上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。」とも言っています。

「上にあるもの」とは、今は目には見えない希望です。

主の祈りの「天にまします」という言葉は「今は目に見えない」神様への呼びかけです。

復活されたイエス様は 「見ないのに信じる人は、幸いである。」とトマスに言われました。

私たちの信仰は「見えないものに目を注ぐ」こと。「見えない事実を信じる」ことです。

聖書はそのことを、言葉を変えて何度も私たちに語りかけているのです。

今回は ゴスペルソングを2曲紹介して頂きました。

「 Because of who you are 」

「 神様、あなただから、私はあなたに栄光を捧げます。

神様、あなただから、私はあなたに賛美を捧げます。

神様、あなたはあなただから。」

このように繰り返し呼びかける、神様へのラブソングのような曲です。

「 Total Praise 」

「 主よ、私は丘に向かって目を上げる。

私の救いはあなたから来ることを知っています。

嵐のような困難なときでも、あなたは私に平安を与えて下さる。」

 

詩編121をもとにしたというこの歌は、、その詩にあるように「全身全霊」で主を賛美する力強い曲でした。

次回の予定      7月21日(土)

 

「目に見えないものを教えてくれる書物」

今日の聖書の御言葉はヘブライ人への手紙11章1節でした。
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」
目に見えないものを信じていくことはなかなか難しいことです。でも、聖書は見て信じる幼い信仰から見ないで信じる大人の信仰へと私たちを誘ってくれる書物です。私たちも目に見えないものを大切にしたいものです。
今日はさまざまな事情で来られない人が何人かいました。でも、久しぶりの人もいて賛美歌を何曲か歌いながら賛美歌の話も牧師から聞くことができたり、お菓子作りベテランの姉妹は和菓子の「浮き島」を作ってきてくださったり和やかな時間を持つことができました。
読書本としてある宣教師の手紙をまとめたものの一つを紹介しました。
1901年、奴隷として売られる子どもたちの存在を知り、子らの奴隷施設を作り始め、
そこへ手伝ってくれる人たちとの間にドナヴァー・フェローシップが生まれ、50年の間そこの母親であった人のいろいろなひとに送る手紙です。
やみを照らすともしび   エミー・カーマイケル  (棚瀬多喜雄 訳)
最後の手紙は
「いとしい子」
わたしにとってこれほどいとしい子
主にとっては ああいかばかりか。

 

 

 

次回のお知らせ  6月28日(木)

 

2018年 4月19日(木)

「 見ないで信じる 」

「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

( ヨハネによる福音書20章26~29節 )

 

復活されたイエス様がトマスの前に現れました。

この時のトマスは、信じるか信じないかの真ん中の敷居の上に立っていました。

前回イエス様が弟子たちの前に現れた時、その場にいなかったトマスは

「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」と言いました。

現代人はこのトマスのように証拠を求め、見るまでは信じないということが多いのではないでしょうか。

これまでのギリシャ人の哲学的な考え方は、見たから信じる、

再現が可能なものを信じるという考え方でした。

けれどもヘブライ人の感性は、見ることと信じることを結びつけません。

そして信じることが愛することに繋がっていきました。

イエス様はトマスに「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と言われました。

「わたしの主、わたしの神よ」と言うトマスに、イエス様はさらに「わたしを見たから信じたのか。

見ないのに信じる人は、幸いである。」と言われます。

見るまで信じられないと思っていた私たちも、いつの間にか、見なくても信じる信仰に変えられます。

聖書がじわじわと私たちをそこまで引っ張ってくれるのです。

聖霊の導きと教会の交わりの中で、いつの間にか私たちも、

敷居から一歩踏み出して見ないで信じています。

そして子どもたちもまた、いつの間にかそこに導かれ、信じること、

愛することに繋がっていくことを私たちは願っています。

 

今日紹介したい絵本は 『 くまとやまねこ 』です。

( 文 湯本香樹実   絵 酒井駒子  )

なかよしのことりが死んでしまいました。深い悲しみの中に沈んでいたくまは、

ふしぎなやまねこと出会います。

私たち誰もが直面する愛するものとの別れ、その悲しみとどうやって向き合っていったらいいでしょう。

くまがそこから立ち上がるまでの、悲しくも希望があふれる物語です。

 

次回の予定      5月26日(土)

 

 

 

2018年 3月22日(木)

「 見えないものに目を注ぐ 」

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます」

( コリントの信徒への手紙Ⅱ4-18 )

 

新年度の「教会学校だより」が出来上がりました。

「わけるとふえる」という、子どもたちが大好きな賛美歌のことが書かれています。

子どもがささげた二匹のさかなと五つのパンをイエス様が分けると増えて、五千人の人が満腹したという聖書からとられた賛美歌です。

おやつやお金は分けると減ります。それでは「やさしい心」や「信じる心」「勇気」は分けるとどうなるか。子どもたちに問いかけると「ふえる」と答えます。

それらのものは友だちに分けてあげても減らず、かえって増えていく。

そういうことを子どもたちは、日々みことばを聞く中で学び取っているのでしょう。

これらはすべて「目に見えないもの」ばかりです。「目に見える成果」よりも「目に見えないもの」「分けると増えるもの」を重んじること。見えないものを尊び、子どもたちの内面の成長を大切にしていく時、やがて「子どもたちの主にある成長」という目に見える成果が現れてくるのだと思います。

2017年度もオリーブの会を毎月行うことが出来、感謝です。今後もこの会が良き交わりと学びの場となりますことを祈ります。

この教会学校を巣立って行った子どもたちが数名、今年成人式を迎えました。今いる場所も置かれた環境もそれぞれ違いますが、幼い頃から心に蒔かれたみことばの種はそれぞれの土の上で成長し続けていると思います。この春、卒業や入学、進級する子どもたち一人一人、教会になかなか来られない子どもたちも含めて、一粒の種が心の中で大きく育っていくことを祈り続けたいと思います。

 

次回の予定     4月19日(木)

 

 

2018年2月22日(木)

「みことばに呼び覚まされて」

賛美歌472番に続いて開かれた聖書の箇所はイザヤ書50章4節でした。

主なる神は、弟子としての舌を 私に与え、疲れた人を励ますように、言葉を呼び覚ましてくださる。朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし、弟子として聞き従うようにしてくださる。(イザヤ50-4)

「どのようにして私たちは御言葉を呼び覚まされますか?」との牧師からの質問に正直考えさせられました。
私たち神明教会はいま毎朝牧師から「みことばの配信」を頂いています。
「今日一日が主の祝福の内にあることを願い、今日のみことばを配信します。」から始まり、ローズンゲンの聖書日課から旧約聖書と新約聖書の箇所を解き明かされます。これは牧師が希望者の携帯、スマホ、パソコンに宛ててショートメッセージを添えて毎日送信するものです。旅先にも届きますし、入院しても、礼拝に行けなくなっても毎朝届く、いわば「みことばのセイフティネット」です。
もっとじっくり心して理解したいと思いながらも、朝の忙しい時間さらっと読んで終わってしまうのが、もったいないと思っています。
でも、無添加の健康食品を食べたように安心して1日が始められるのは、これはこれでいいのかと思うときもあります。忘れてもいい、また同じことを聞いて染められていく・・・・御言葉ってそんなものじゃないでしょうか?皆さんはどのように思われますか?

今日は「どうぞのいす」という絵本を紹介して頂きました。(作 香山美子 絵 柿本幸造)
うさぎさんが作った小さな椅子に「どうぞのいす」と書いた看板をおきます。まずは、どんぐり拾いをして家に帰る途中のロバがどんぐりを椅子において、疲れていたので一眠り。次から次と通りすがりの動物たちが、どうぞの椅子に置かれているものを見て、ついつい食べてしまいますが、「からっぽにしてしまってはお気の毒。」と、決してからっぽにならない、優しい思いやりあふれる物語でした。
うさぎさんは何のために「どうぞのいす」を作ったのか?答えはありません。

次回の予定   3月22日 (木)

 

2018年1月27日(土)

2018年1月27日(土)

「鹿のように」

「涸れた谷に鹿が水を求めるように 神よ、わたしの魂はあなたを求める。」

(詩編42編2節)

今日は、雪が沢山積もった中で行われたオリーブの会でした。詩編42編を歌にした「 鹿のように 」の賛美歌を歌いました。この詩編が書かれた背景を見ると、イスラエルの国が滅ぼされ、神殿は破壊され、国の重要な人たちはみなバビロンに奴隷として連行されました。神殿も無く祭司もいない。礼拝が出来ず「 お前の神はどこにいる 」と嘲られました。5節に「 わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす 」とありますが、これは過去を思い出しているということではありません。神殿は無いが、神はみことばを通して共にいて下さり、語りかけて下さることを確信したのです。イスラエルの民はそんな中にあって 「 神を待ち望め 」「 御顔こそわたしの救い 」「 わたしの神よ 」と力強く呼びかけます。同じみことばが二千年の時を越えて私たちに語りかけ、生ける命の水となって私たちを生かして下さるのです。

今日は 「しげちゃん」という絵本を紹介して頂きました。

( 文 室井滋  絵 長谷川義史 金の星社 )

女優の室井滋さんが書いた、自分の子どもの頃のお話です。

「しげる」という男の子みたいな名前のおかげで、いつもいやな思いをしたこと。

そしてお母さんから聞いたほのぼのしたお話。笑いながらも心に響くものがあります。

本を読んだ後で、自分の名前の由来や子どもの名前に込めた願いなど、「名前」の話題で盛り上がりました。名前って、あらためて大事ですよね。

次回の予定   2月22日 (木)

 

2017年12月14日(木)

「よろこびのしるし」

今日ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになった。
この方こそ主メシアである。」

(ルカによる福音書2章11節)

福音のメッセージが貧しい羊飼いたちに告げられました。
布に包まって飼い葉おけの中に眠る乳飲み子、これが「あなたがたへのしるしである」と天使は羊飼いたちに告げます。「しるし」とははっきりと目に見える形で神様が起こされた救いです。人が信じても信じなくても神様から一方的に与えられた「救い」なのです。
羊飼いたちは天使のお告げを聞くと、「その出来事を見ようではないか」とベツレヘムを目指します。そして彼らは、この幼子のことを街の人々に知らせます。
主の言葉が「出来事」として、歴史的事実となって世界の人々に福音として伝えられたのです。
先日、教会の婦人会の人たちを中心にキャロリングが行われました。お年寄りが暮らすホームでクリスマスの讃美歌を歌いました。
それは、羊飼いたちがしたことと同じ、クリスマスの嬉しい出来事を多くの人たちに知らせるためです。
イエス様の御降誕が、すべての人にとっての大きな喜びであることを、私たちも人に伝えることが出来たらいいですね。
今日は「へいしのなみだ」という絵本を紹介しました。
(こぐま社 文さとうひでかず・しなこ 絵つかさおさむ)
キリスト伝説集を元にしたこの物語は、イエス様がお生まれになったベツレヘムでの、一人の男の子と兵士の出会いのお話です。
とても鮮やかな色彩の絵が印象的な心に残るクリスマスの絵本です

 

次回の予定   1月27日(土)

 

 

2017年11月16日(木)

「家と土台」

「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」

(マタイによる福音書7章24節~27節)

 

イエス様の話の中に出て来る言葉は、はっきりしたものが多いです。

今日の御言葉では、「岩の上」と「砂の上」、「賢い人」と「愚かな人」のように、はっきりと対比されて語られています。

建物を建てる時必要なものに「足場」と「土台」がありますが、皆さんはその違いがわかりますか?「足場」は建物が出来上がると取り外されます。

「土台」は建物が建つうちに見えなくなりますが、建物を支えています。目には見えませんが、しっかりと残っています。

パウロもまた、Ⅰコリント3章で「土台」について語っています。

「イエス・キリストというすでに据えられている土台」と彼は言います。

それは決して揺るがぬ土台です。足場ではありません。

私たちもそんな土台の上に立ち上げていきたい。そんな歩みをしていきたいですね。

 

今日は 絵本「にぐるまひいて」を紹介して頂きました。

(ドナルド・ホール文 バーバラ・クーニー絵  もき かずこ訳)

何もかもが手作りの、大自然の中での家族の暮らし。そこには厳しいけれども、今では手に入れることの出来ない、豊かな人々の暮らしがあります。

アメリカの古き時代の、ある一家の一年間の営みが、優しい絵と素朴な文で語られ、心あたたまります。

 

次回の予定   12月14日(木)

 

 

「食べること 生かされること」

【2017/10/18(木)】

「主の御使いはもう一度戻って来てエリヤに触れ、『起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ』と言った。エリヤは起きて食べ、飲んだ。」

(列王記上19章7節)

 

今日のオリーブの会は長い闘病生活を乗り越えて無事退院した一人の姉妹の証しから始まりました。いただいた梅干で作ったおかゆのおいしかったこと、食べられることの有り難さが身に沁みたこと、食事と食材を作ってくれた人への感謝に満たされたこと。それらの経験をとおして、食べることと生かされることが一つに重なったことを、心ふるわせながら語ってくださいました。

この証しに導かれるようにして開かれた御言葉が列王記上のエリヤの物語でした。必死の努力も空しく、命を狙われる身となったエリヤは今、無力感に捕らわれて、御言葉を聞くことも動くことも出来ずに、横になっています。そんなエリヤに神様は食事を与えて養おうとなさいます。そして生きる力を回復したエリヤは立ち上がり、歩み始めて神の山ホレブに、つまり信仰の原点に立ち返るのです。

私たちを生かし、日々食事を整えてくださる神様は、食べることによっても私たちを信仰の原点へと立ち返らせてくださいます。この大切なメッセージを聖書の御言葉と一人の姉妹の証しとによって生き生きと示された、幸いなひとときとなりました。

 

今回は 「さるのひとりごと」という島根県に伝わる民話を読みました。

( 文 松谷みよこ  絵 司修 )

一匹のさるが山から降りて、海に行きました。そこで起こった、

少しびっくりするような物語は・・・。

お話が終わったあとも 「このあとどうなったんだろう?」と、

皆興味しんしんで、それぞれその続きを考えてしまいました。

 

次回の予定   11月16日(木)

 

「 何をしてほしいのか 」

【2017/9/28(木)】

 

「イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。」

(ルカによる福音書18章35~43節)

 

以前、金沢の幼稚園の子どもたちと、この場面について話したことがあります。

この盲人が道端に座っていたのは、物乞いのためではないのです。

目は見えませんが、イエス様が近づく音がすぐに聞こえるように、道端に座っていたのです。

でも人々は物乞いかと思って、お金をあげました。

さて、お金をもらってこの人は、嬉しかったんでしょうか?

そんな質問に子どもたちは 「お金をもらっても、嬉しくない」と答えました。

町の人たちは、盲人の気持ちを何も聞くこと無く、お金がほしいのだと思いました。

でもイエス様は、この盲人の叫ぶ声を聞き、「何をしてほしいのか」と問いかけます。

「目が見えるようになりたいのです」という盲人のストレートな願いに、イエス様は

「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」と言われます。

私たちも 「何をしてほしいのか?」というイエス様の言葉を、自分に向けられた問いとして聴き、

祈りの中で自分の願いをストレートに、素直に出していくことを求められているのではないでしょうか。

 

 

今回は 「天使にラブソングを2」の映画に出てくるゴスペルソングを紹介して頂きました。

「 Oh Happy Day 」と 「 Joyful , Joyful 」の2曲を日本語訳を読みながら聴きました。

 

What  have you done for  Him lately?

( あなたは最近、神様のために どんな事をしましたか?)

He watched over everything , So we sing!!

( 神様は すべてを見ておられます、だから私たちは歌うのです!! )

「 Joyful , Joyful 」より

 

主をほめたたえる その力強い歌声に、心を打たれました。

 

次回の予定   10月19日(木)

 

 

「ブレない聴き方」

【2017/8/31】

 

「ひとつのことを神は語り、ふたつのことをわたしは聞いた。」 (詩編62編12節)

 

先日 「神のわざが現れるために」(ヨハネ9-3)というテーマで 中高生キャンプが行われました。

生まれつきの盲人を見たイエス様の弟子たちは 「この人が生まれつき 目が見えないのは、本人が罪を犯したからか、それとも両親か?」とイエス様に尋ねます。

過去のことを振り返って、誰かのせいにする生き方や、因果応報的な考え方は、今も昔もあまり変わっていないかも知れません。

イエス様は、このようにお答えになります。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」

中高生たちは、聖書のみことばを真正面から ブレずによく聴いています。

私たちはどうでしょうか? 神様のメッセージをしっかり聴いているでしょうか?

神様は 一つのことをブレずに語っています。しかし、私たち大人が聴く時 しばしばブレていくことがあります。そして ブレがひどくなり、二つのことになっていきます。

エバは、神様から 「善悪の知識の木の実を食べると死んでしまう」と聞いていましたが、蛇の誘惑にあった後「食べても死なないのでは?」と思い込み、木の実を食べてしまうのです。

私たちも、中高生たちのように ブレない聴き方に立ち返ることを学んでも良いのではないかと思わされます。

 

今回は 「深呼吸の必要」(長田弘)の詩集を紹介しました。(晶文社)

「言葉を深呼吸する。あるいは、言葉で深呼吸する。そうした深呼吸の必要をおぼえたときに、立ちどまって、黙って、必要なだけの言葉を書きとめた。そうした深呼吸のための言葉が、この本の言葉の一つ一つになった。」(後記より)

深呼吸が必要になったら、開いてみて下さい。

 

次回の予定  9月28日(木)

 

園庭のざくろ

 

「神に願いを言う」

【2017/7/29】

「イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間 病気であるのを知って、『良くなりたいか』と言われた。」 (ヨハネによる福音書5章1~9節)

 

今日読まれた聖書は、イエス様がベトザタの池で 病人をいやされたという物語です。

池の水が動く時に、真っ先に池に入ると 病いがいやされると言われていたため、そこには大勢の病人が横たわっていました。イエス様は、38年も病気で苦しんでいる人に「良くなりたいか?」と言われます。その問いに対し、彼が言ったのは「水が動く時、私を池の中に入れてくれる人がいないのです。」という失望の言葉でした。長年にわたる絶望的な状態の中で、願いや望みをもつこともあきらめてしまった嘆きの言葉のように思います。

以前 佐藤牧師が金沢の幼稚園で、この話をした時に、1人の園児が「みんなで手をつないで、せーので一緒に池に入ったら みんなが一番になるよ」と言ったそうです。

子どもたちは 自分がその物語に入り込んで、大人が思いつかないような発想をしますね。

イエス様の前に、自分の願いや思いを素直に出していいんです。そんな大切なことを 子どもたちから教えられることがあります。

今回は 佐野洋子さんの有名な絵本「百万回生きたねこ」を読みました。

百万回も死んで 百万回も生きた、どこかふてぶてしい顔をしたとらねこは、沢山の子どもと大人に愛され続け、私たちに何か大切なことを教えてくれますね。

次回の予定  8月31日(木)

 

 

「食べるということ」

【2017/6/22】

「あなたがたは 食べるにしろ飲むにしろ 何をするにしても すべて神の栄光を現すためにしなさい」(第一コリント10章31節)

聖書の中には 食べる場面が多く出て来ます。聖書の中に出て来る「食べる」という営みは 「食物を摂取すること」に限定せず 「食べて 生かされる」ということを意味しています。

「戦場のピアニスト」という ワルシャワを舞台にした映画があります。ユダヤ人の青年ピアニストの物語ですが 家族がバラバラになる直前 お父さんが一つのキャラメルを切って 家族みんなに分けるという場面が出て来ます。最後の食卓を 一つのキャラメルを前に みんなで囲むのです。このお父さんは 「食べること」は「生かされること」だということを知っていたのでしょう。だからこそ 一つのキャラメルをみんなで食べることによって これから家族がバラバラになったとしても 心は繋がっていて それぞれが生きていくことが出来る。そのような思いが込められていたのかも知れません。

私たちは 食べる時、生かして下さる神様が、共におられることを信じたいと思います。

 

今回は トルストイの民話 「七つの星」という絵本を紹介しました。

( 文 岩崎京子  絵 小野孝一  女子パウロ会 )

心優しい少女と、夜空の星座にまつわるロシアの民話を元にした 美しい物語でした。

 

次回の予定 7月29日(土)

 

 

 イエス・キリストを土台として(母の日を思う)

【2017/5/19】

「イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。」(コリントの信徒への手紙一3章11節)

5月の第2日曜日は母の日でした。私たちクリスチャンは1年に1度でなく、常に「母」に感謝するものですが、賛美歌には「母の日」にまつわるものがいくつかあります。
510番(1955年版) 「まぼろしの影を追いて」から始まるこの賛美歌は特に4番の
「汝がためにいのる母の いつまで世にあらん
とわに悔ゆる日のこぬまに とく神にかえれ
春は軒の雨 秋は庭の露 母はなみだ乾くまなく 祈ると知らずや」は
特に母親にとってたまらなく胸が痛くなる詞です。かつて学生時代に歌った「母の日」の賛美歌が、母となった今、また別の響きをたてるのが興味深かったです。「母」だけでなく「姑」も「義母」も「はは」と読ませる日本的習慣の中、冒頭に挙げた聖句が人間関係の土台となってくれたならと心から願います。そんな切なる願いがにじみ出た今回のオリーブの会でした。

今回の本の紹介は「100万回生きた猫」で有名な佐野洋子さんの“ヨーコさんの言葉”(北村裕花 絵)。なんとも切ない人と人の関係をにじませつつも、絵本のような楽しい本でした。

次回の予定 5月19日(金)

罪を清めてくださる方

【2017/4/20】

イースターおめでとうございます。
4月16日(日)は喜びのイースター礼拝を守ることが出来ました。今年は朝一番に教会学校の子どもたちが会堂内に玉子を隠し、主日礼拝後に大人たちが探すという新趣向のイースターエッグ探しを楽しみました。礼拝後のイースター祝会は多くの方が集い、嬉しいひと時でした。
今日のオリーブの会は、イースターの朝、一人の婦人がもって来てくださった鉢植えの「ヒソプ」から御言葉を聞きました。
「ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください。わたしが清くなるように。わたしを洗ってください。雪よりも白くなるように。」(詩編51編9節)
罪の赦しを得させる犠牲動物の血がヒソプの枝で人々に振りまかれたこと、私たちはそれよりも尊いキリストの血潮で罪赦されている恵みを、この詩編をとおしても知ることが出来ました。
また今では歌うことの少なくなった讃美歌「うるわしのしらゆり」を賛美し、しらゆりとキリストの復活とのつながりを聞くことができ、なつかしい時間を持つことができたことは感謝でした。
次回の予定 5月19日(金)

見えるものと見えないもの

【2017/3/9】(木)

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(コリントの信徒への手紙第二14章18節)
この世では目に見えるものに大きな価値を見出します。でも、目に見えないものを見つけ大切にすることで、どんなに心が豊かになってくることでしょうか。
愛する心・信じる心・勇気・・・これら「分けると増えるもの」を大切にしたいものです。
今日は岩手県の障害者施設のカナンの園について書かれた本で話が広がりました。
そこに紹介された「ちいむれ牧場」には、みんなから相手にされなくなった動物たちが大切に育てられているそうです。
でもその一匹一匹が、愛情をもって育てられることによって、皆を励ましてくれたり、
元気づけてくれたりする大きな存在となっていきます。
この世的には価値観のないものかもしれませんが、こんな動物たちがいることをもっと知っていきたいものです。

来月のお知らせ4月20日(木)1時半より

写真は今回のオリーブの会の最後に登場した牧師館のアイドル、チワワのモモちゃんです。


必要なことはただ一つ

【2017/2/23】(木)

「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。」
この日のオリーブの会で読まれた御言葉(ルカ福音書10章38~42節)です。マルタとマリアの姉妹の物語です。主イエスとその一行をもてなすために忙しく立ち働くマルタに対して、マリアは男の弟子たちに混じって主イエスの前に座り、主の御言葉に聞き入っている。冒頭に挙げたのは心乱すマルタに向かって主イエスが言われた言葉ですが、これを今の私たちに向けて語られた言葉として聞けるか否か。そこにこの日のオリーブの会の急所はあったと思います。
私たちも日々の生活の中で様々なことに思い悩み、時に心を乱してしまいます。しかし、そんな私たちに、主イエスはやさしく語りかけてくださいます。
「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。」
会の終わりに、一人の姉妹の「聞かれない祈り」「かなえられない願い」の悩みを丁寧に聞けたことも、この日の恵みでした。このことを通しても「必要なことはただ一つ」の御言葉を心に刻むことが出来ました。感謝です。

 

来月のお知らせ3月9日(木)1時半より

生き方を主に委ねて

【2017/1/21】(土)

「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
新年最初のオリーブの会はこの御言葉(ルカ福音書17章11~19節)で始まりました。十人の病人が癒されるお話です。十人が十人とも、主イエスを信じ、主イエスに癒され、喜びました。しかし、主イエスのもとに帰って来て、御前にひれ伏し感謝をささげたのは、ただ一人のサマリア人でした。何が九人と一人を分けたのでしょうか。そのヒントは、この日、歌った讃美歌の中にあるように思います。
「過ぎ去った 日々の悲しみ
さまざまな うれいはすべて
キリストの み手にゆだねて、
み恵みが あふれるような
生きかたを 今年はしよう。」(讃美歌21―368番2節)
懇談では、様々な祈りの課題が出ました。反抗期の我が子を持つ姉妹、未信者の家族を持つ姉妹など、課題は様々ですが、共に歌った讃美歌のように、また、あの帰って来たサマリア人にように、すべてを主の御手に委ねるものでありたいと心から願う、幸いなひとときでした。

本の紹介は「アンが愛した聖書の言葉」(宮葉子)が御言葉と共に読まれ、共感を誘いました。

来月のお知らせ 2月23日(木)1時30分より

 

心の扉にノックを・・・・

【2016/12/15】第16回オリーブの会

アドヴェント・クランツに三本目の灯りが点ったこの週、オリーブの会でもクリスマスを祝いました。
「おめでとう。恵まれた方、主があなたと共におられる。」(ルカ福音書1章28節)
天使がマリアに告げたこの挨拶が、今に至るまで変わらないクリスマスの挨拶になりました。挨拶って不思議です。挨拶されると、コンコンコン……。心の扉がノックされているみたい。閉ざされた扉が開かれます。
日本では悲しんでいる人に「おめでとう」を言わない風習があります。しかし、クリスマスの挨拶だけは別。悲しむ人、辛い思いに涙する人の心に向けられます。
「おめでとう。主があなたと共におられる。」
この挨拶に心開かれて、クリスマスの讃美歌をたくさん歌いました。その最後に歌われたのは280番。4節の歌詞が心に響きます。
「この人を見よ、この人にぞ、こよなき愛は あらわれたる、
この人を見よ、この人こそ、人となりたる 活ける神なれ。」
このお方の降誕を祝うのがクリスマスです。今年も街のあちこちでクリスマスの挨拶が響きます。「クリスマス、おめでとう」と。

今月の紹介された本は「ベツレヘムへの道」でした。素直な心に奇跡の起きるドキッとさせる本でした。一度読んでみてください。

文 いっしきよしこ  え さのようこ

来月のお知らせ 1月21日(土)1時30分より

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名前を呼んでくださる神

【2016/11/17】第15回オリーブの会

今日は珍しく旧約聖書から学びました。イザヤ書43章の1節。
「恐るな、わたしは あなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしは あなたの名を呼ぶ。」
私たちを創造された主は、私たち一人ひとりの名を呼んで救い出してくださいました。「名を呼ぶ」ことは「贖う」こと。呼び出すことであり、起き上がらせてくださること。ここに、今の私たちの姿が浮かび上がります。
このメッセージに導かれて、今日もたくさんの讃美歌を歌いました。
507番(主に従うことは なんとうれしいこと)→458番(信仰こそ旅路をみちびく杖)→459番(飼い主わが主よ まよう我らを 若草の野辺に伴いたまえ)→484番(主われを愛す)→494番(ガリラヤの風かおるあたり)。
いかがですか? なんだか讃美歌の流れが一つのメッセージになっていますでしょう? このメッセージに促されるようにして、一人の姉妹がキーボードで新しい英語の讃美を紹介してくださいました。
<You Raise Me Up>。最後の歌詞が心に響きます。
You raise me up to more than I can be……
あなたは私を起き上がらせてくださる。私が出来る以上に……

来月のお知らせ12月15日(木)1:30より

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「畑に隠されている宝」

【2016/10/20】第14回オリーブの会

「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」(マタイ福音書13章44節)

今日読まれた御言葉です。オリーブの会では讃美歌をたくさん歌います。一人一人がリクエストするのですが、歌いつつ、その曲を挙げた人の人生が垣間見えてきます。夏期学校の野外礼拝で歌った211番(あさかぜ、しずかにふきて)や、青年会で未来に夢を馳せつつ歌った515番(きみのたまものと)。思いは様々ですが、共通するのはキリストとの出会いです。人生という「畑」の中に宝が隠されていた。その宝=キリストとの出会いが人生を変え、価値観を変えて、今、一人一人が讃美をとおしてその恵みを分かち合い、喜び合うことが出来る。教会ならではの交わりに、今日も感謝があふれます。この宝がいつまでも輝いていますように。

今月の本の紹介はNHKの朝ドラ「あさがきた」のモデル広岡浅子の人生をたどる「浅子と旅する」でした。

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来月のお知らせ 11月17日(木)1時30分より

【2016/9/24】第13回オリーブの会

1年経ちました。

オリーブの会が再開してからちょうど1年が立ちました。仕事を持っている人が多いので、なかなか全員が揃うことはありませんが、常に7~8人の姉妹たちが集まれるようになりました。
今回はマタイによる福音書7章24~27節から「家と土台」について学びました。家庭や仕事、結婚生活、さらにこのオリーブの会もすべてキリストの土台の上に築かれてこそ恵み深いものとなっていきます。オリーブの会がこれまで守られてきたのも、その土台があったからです。
今月の紹介して頂いだ本は、「でんでんむしのかなしみ」(新見南吉)です。子育て中にこの本を読んだ姉妹は、みんながそれぞれに重荷を背負っており、自分だけではないのだということを感じて楽になれたということでした。また、ひろはまかずとしの墨彩画集「おもいのまんま」も紹介して頂きました。

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来月のお知らせ 10月19日(水)1時30分より

【2016/8/25】第12回オリーブの会

“神の業がその人に現れるため”

ヨハネ福音者9章1節~3節 「生まれつきの盲人を癒す」という有名な箇所から、イエスキリストは因果応報ということは、言っておらず神の業がその人に現れるためであるといっています。人はよく「あの時ああだったから今こうなんだ」とか「祖先が・・・親が・・・」ということばを耳にすることがありますが、そうではなく神様が私たちを愛してくださっていて、私たちの間に入ってくださっていることを忘れないで歩んで行きたいものです。
今日の本の紹介は『「むくわれない生き方」を変える本』(香山リカ)でした。自分では報われないと思っていても、その努力は違う形で報われていることもあります。もっと自分にいい点をつけましょう。と精神科医である香山リカさんは講演の中で語っていたという事でした。
またある姉妹が一番良いお薬は「家族の愛情のスイッチ」だということで免疫力も高まり、家族間もプラス方向に向かっていくということを言われていました。
子育て中の姉妹は自分の好きな絵本「おしゃれねこ」(文 工藤直子 絵 小沢良吉)を読んでくれました。おしゃれねこが友達のねことの出会いの中で変わっていくとても素敵なお話でした。

来月は9月24日(土)1時半からです。

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【2016/7/28】第11回オリーブの会

"感謝しなさい”


「どんなことにも感謝しなさい。これこそキリスト・イエスにおいて

神があなた方に望んでおられることです。」

今日は「感謝」について改めて考えさせられました。

神から与えられていないものはあるのか?

「ぶどう園の労働者」の譬え話から神様と私たちひとりひとりの契約は

他人と比べるものではないこと。本当にどんな小さいことにも

私たちは感謝できるはずなのに、感謝しつつ、つい不満を漏らす日常についての

話を聞き、共感しました。2歳の子を持つ姉妹はなるべく子どもにたくさん「ありがとう」と

いうことにしていたことから、最近「ありがとう」という言葉を覚えた話を聞かされて20167.28オリーブの会

とてもいい学びの時だったように思います。
来月のオリーブの会は 8月25日(木)1時半からです。

 

6月15日(水)「信仰を語る女子会」が開かれました。

【2016/6/15】第10回オリーブの会

子育てや仕事をする婦人にとってこの月1回のオリーブの会はとても和やかなものです。
それぞれの好きな賛美歌3曲の後に牧師よりコリント第1の手紙12章27節を示されました。
「あなた方はキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」
この部分というのはただのpartではなくmemberと訳されることを学びました。
私たちは、教会を形づくっているかけがえのないひとりひとりであるということを覚え、感謝でした。
今月の本の紹介は「いのちの花」向井愛実さんでした。
向井さんが青森県にある農業高校の生徒だったころに書いたもので、
高校生たちの「いのちの花プロジェクト」について取り上げています。
この活動は、殺処分された動物たちの骨を肥料にして花を育て、
その花をたくさんの人たちに配るというものです。
命の大切さを訴え、人間の都合で殺される動物たちがいなくなるようにと
いう願いがこめられています。
次回のオリーブの会は7月28日(水)1時半からです。DSC_0659

【2016/5/21】第9回オリーブの会

「いつも喜んでいなさい」

今日は、テサロニケの信徒への手紙第1の5章16~18節から、

パウロが言っている喜びとは 喜怒哀楽の感情の喜びではなく御言葉を聞く喜びだということを学びました。

また、「主の祈り」についても「われら・・・」と祈るのは、自分ひとりではなく

イエスが共に祈っているのだ、という大きな喜びを与えられました。

今回のお薦めの1冊は、マリーホール・エッツの「わたしとあそんで」(福音館書店)でした。

圭子夫人が作って下さった「おちらしの羊かん」は、これからの季節にピッタリのおやつでした。

今回、女の子が二人おられる姉妹が初めて参加されました。

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次回のオリーブの会は6月15日(水)午後1時半からです。

2016/4/22】第8回オリーブの会

今月も9人の姉妹と佐藤牧師で始められました。

賛美歌は156番と最後に459番を賛美しました。

聖書の箇所はヨハネ15章4節。

「私につながっていなさい。私もあなたがたにつながっている」の

有名な箇所です。

イエスの言葉は命令をし、必ず約束をしてくださる。

この約束の言葉を大事にしていきたいものです。

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炊飯ケーキと恐竜ビスケット

次回のオリーブの会は5月21日(土)午後1時半からです。

 【2016/3/12】第7回オリーブの会

9人が参加して、今回も心温まる会になりました。

お子さんが帰宅するのを待ってかけつけた人や

夜勤を終えて県外から車を走らせた人もいて、

会を楽しみにしているという思いがあふれて感謝でした。

レント(受難節)に佐藤牧師が説き明かして下さった聖書の箇所は、

ヨハネによる福音書20章24節です。

復活なさったイエスさまを前に、弟子であるはずのトマスが疑い惑うところで、

有名な「見ないで信じるものは幸いである」という御言葉があります。

疑い深い私たちに対する、イエスさまの優しい、愛ある言葉に心動かされました。

日々優しい心で仕事に家族に接することが出来たらと思います。

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今回、1人の姉妹が紹介してくれた本は、渡辺明日香さんの

「バイブルスパイス」(いのちのことば社)でした。

仕事のミスは誰にでもあることですが、信仰者である渡辺さんは「祈ること」で、

そのミスをピンチからチャンスに変えることができたそうです。

私たちも、信仰を持つことで、

マイナスをプラスにすることが出来たらと思いました。

次回のオリーブの会は4月22日(金)午後1時半からです。

2016/2/20】第6回オリーブの会

レントに入って11日目。

オリーブの会は、佐藤牧師ほか8名が参加し,賛美歌575番から始まりました。

コロサイの信徒への手紙4章6節の

「いつも塩で味付けされた快い言葉で語りなさい」の御言葉を与えられ

日ごろの生活の中で体験している日常会話の大切さを感じました。

お料理をするとき何も味のないものの中に「塩」を加えることによって

おいしくもしょっぱくもなるものです。

ちょうどいい塩加減で味付けすることによってお料理はおいしさを増します。

また、エフェソの信徒への手紙4章29節から

「聞く人に恵みが与えられるようにその人を作り上げるのに役立つ言葉を

必要に応じて語りなさい」とも示されました。

2月20日

子育て・仕事・老齢期(?)・・・と、幅広い年代のオリーブの会。

「今あなたは何時期ですか?」とある姉妹が質問され

人生を思いかえってみるよい時間が与えられました。

ドタバタ期・断捨離期・充実期・収穫期・終末期などいろいろでしたが、

今、あなたは何期ですか?

今回の本の紹介は、渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」でした。

★次回のオリーブの会は、3月12日(土)午後1時30分からです。

2016/1/28】第5回オリーブの会

2016年初めてのオリーブの会は讃美歌512番で始められました。

聖句はヨハネによる福音書8章32節。

「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」でした。

自由にするとはどういうことか?

宗教とは何か?

「宗教」とはreligon。 reは「元に戻す」の意味から

「本来の」という意味だそうです。

ligは「つなぐ」。

本来の私達と神との関係を元に戻してくれる。ふっと創世記を思い出しました。

今日も1冊の本を紹介され、とても気持ちが軽くやわらかくなりました。

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今日も明日も上機嫌」・・・・・・斉藤茂太作

神様を知って喜んで生きましょう!

★次回のオリーブの会は2月20日(土)午後1時30分からです。

【2015/12/19】第4回オリーブの会

待降節第4主日クリスマス礼拝の前日です。

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クリスマスの讃美歌269番をはじめ他3曲をろうそくの炎を

見ながら、賛美しました。

またマタイ1章18~26節とルカ2章4~5節からイエスの

誕生によってヨセフとマリアが親になった経緯に耳を傾け、

奇跡のクリスマス物語に感動しました。

私たちのクリスマスプレゼントは何でしょうか?

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テーブルには岩手県のカナンの園という施設から送られた

みことばせんべいや手作りのケーキなどたくさん並べられ

牧師と婦人7名の楽しいひとときはあっという間に過ぎました。

次回のオリーブの会は1月28日(木)午後1時30分からです。

【2015/11/25】第3回オリーブの会

讃美歌18番を賛美しながら、牧師先生と婦人8人の計9人で、

エフェソ5章1節から、私たちおとなも神の子どもとして

「神に愛されるものとして神にならうものとなりなさい」

という箇所を学びました。

神に愛されているたて糸と人生経験をつんだよこ糸で素敵な織物が

出来ますように。

*二人の姉妹から本の紹介もありました。

「ええところ」・・・作・くすのきしげのり

「愛し合う二人のための結婚講座」・・・大嶋裕香

次回はオリーブの会クリスマスが12月19日(土)1:30より

来年度のオリーブの会は2016年1月28日(木)1:30 よりです。

【2015/10/21】第2回オリーブの会

<オリーブの会発>

10月21日(水)子育てと働く婦人のための会がもたれました。

今日は若い婦人5人に交えて牧師を入れて8人の婦人が

集まりました。

奴隷となったユダヤ人の婦人がローマの貴族の家のために

平安を祈るというマタイ10章13節について学びました。

また、司会者から「かぜのでんわ」という絵本を読んでいただき

忙しい若い婦人にとって恵まれた時間となりました。

次回は11月26日(木)の予定です。

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【2015/9/11】オリーブの会を再開しました。

<オリーブの会発>

9月11日(金)、久しぶりに「オリーブの会」が開かれました。

私たちの会は常に何か食べ物がついています。

「信仰を語る女子会」として年齢関係なく新しく始まりました。

多くの方のご参加をお待ちしています。

お勤めの方を中心に集まりますので不定期となりますが、

ひと月に1回は集まりたいと思います。

○信仰生活を語り合う教会の「女子会」です。

年齢と未婚既婚を問わずご出席下さい。

次回は10月21日(水)午後1時からです。

オリーブの会