2022年 5月19日(木)
「 どん底からの伝道者 」
「 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば 」
(ローマの信徒への手紙 5章9-10節)
「徹底」という言葉は、良い意味で使われることが多いですが、逆の意味で「底に徹する」「どん底」というように使われることもあります。
パウロは、自分がキリストの「敵であったとき」と言っていますが、これはパウロが「どん底」だった人であるといってもいいかも知れません。
石川県のK教会にはステンドグラスがあり、そこに、夜空に輝く大きな星が描かれています。これはクリスマスの星ではなく、旧陸軍の憲兵隊の帽子に付いていたマークの星だということです。
その頃、憲兵だったkさんは教会に行き、危険思想が語られていないか、毎週の礼拝で聞き耳を立てていました。説教を聴くうちにいつか、みことばが kさんの心を揺るがすようになり、やがて信仰をもって伝道者になったということです。
伝道者としてのk先生は、静かなおとなしい方であったということですが、その言葉というより、生き方が徹底したキリスト者であったと思うのです。
憲兵という、キリストとは全く敵対した立場であったk先生は「どん底」から這い上がってきたキリスト者と言えるのではないでしょうか。
同じようにキリスト者を迫害してきたパウロと共通したものがあるかも知れません。
「どん底」にある者をも、イエスさまは愛によって救い上げて下さるのです。
「 今月の本の紹介 」
「 人生が変わる紙片付け! 」 ダイヤモンド社
( 著 石阪 京子 )
家の片付けに頭を悩ませている人は多いと思いますが、その中でも「紙」の片付けについて教えてくれる本です。「紙」ということを意識するしないに関わらず「紙」は何よりも無意識に溜まっていくものかも知れません。新聞、チラシ、葉書、プリント類、レシート、包装紙等々まだまだあります。そんな紙のごみをすっきり片付けるための知恵が詰まった1冊です。
次回の予定 6月18日(土)
ナンジャモンジャの花
2022年 4月23日(木)
「 ペトロの見た幻 」
「 神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。 」
(使徒言行録 10章34-35節)
ペトロが、ローマ人のコルネリウスの家で福音を語った時の、最初の言葉です。
ユダヤ人であるペトロは、それまでは異邦人に対し、あまり良い印象を持っていませんでした。そんなペトロは、ある幻を見ます。天から、大きな布のような入れ物が下りて来て、その中には、獣や鳥などが入っており、「 これをほふって食べなさい 」という声がしました。ペトロは、「 清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。 」と言います。すると、「 神が清めた物を清くないなどと、言ってはならない。 」という声が聞こえます。そんなことが三度ありました。
ペトロはその後 「 神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。 」と語りました。そして、「 神は人を分け隔てなさらない。 」とコルネリウスや大勢の人たちに言います。
自分の思いで、人のことをとやかく言うのではなく、「 神様は、愛において、人を分け隔てなさらない 」ということ。「 すべての人が神様の愛のうちにある 」ことを、私たちは常に忘れてはならないと思います。
「 今月の本の紹介 」
今日は、2冊の本を紹介しました。
『 55歳からのキリスト教入門 』 小島誠志 ( 日本キリスト教出版局 )
第七章 「安息日と礼拝」から
「 生きることは労苦であります。私たちは生きて労働して疲れており、他者の罪によって傷ついており、自らの罪によって他者を傷つけ自ら深く傷ついています。だから安息日を備え私たちを待っていてくださる救い主のもとに帰って行くのです。 」
最近の自分の心に、とても迫ってくる言葉でした。
『 74歳、ないのはお金だけ。あとは全部そろってる 』 牧師 ミツコ
( すばる舎 )
お金が無くても、 日々の暮らしに満足し、感謝して生きている牧師ミツコさん。
お金の使い方や健康管理、人間関係での心の持ちようなど、これまでの牧師の経験や信仰からくる、その生き方に共感できることが多くありました。
日々感謝して、こんなに前向きに豊かな気持ちで年を重ねていけたら、とても幸せなことだと思います。
次回の予定 5月19日(木)
2022年 2月26日(土)
「 わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。 」
(詩編 121―2)
幼稚園の2022年度の年間聖句について、今 考えているところです。
毎月の聖句を、英文とも照らし合わせながら読んでいます。
その中に 「子供たちをわたしのところに来させなさい。」というイエスさまの御言葉があります。子どもを引っ張って連れて来るのではなく、その子の心に働きかけて、行きたいと思わせる。それは、キリスト教教育の原点だと思います。
「探しなさい。そうすれば、見つかる。」 これは、無くしたものを捜すのではなく、人生で大切なものを求めて探すということだということが、英文も一緒に読むことでわかってきます。
子どもたちは、いろんな質問をしてきます。「平和ってなに?」 「イエスさまとかみさまの関係ってなに?」そんな質問のひとつひとつに、はぐらかさずに答えることが大事だと思っています。
新しい一年も、子どもたちと共にみことばを読んでいくことを考えると楽しくなります。
「 今月の本の紹介 」
『 ブルーノ 』 Fukase作 ( 福音館書店 )
この絵本は、4人組バンド「 SEKAI NO OWARI 」のボーカルであるFukaseさんが初めて描いた絵本です。
平和な王国ブルーノを、ある日嵐が襲い、多くの命が失われてしまいました。
王様を信じて助けを待つタルカスと、村人を救うために、その方法を考え抜いていた王様でしたが、お互いの思いを分かり合うことが出来ず、悲しい結果になってしまいます。
この絵本は表と裏の両サイドが表紙になっていて、タルカスと王様の双方の視点で物語が進んでいきます。
「たとえ理解に苦しむ状況でも、相手の行動の背景を知ることで、相手を許すこと、そして自分を救うきっかけになる」というFukaseさんの思いが、この本を読む人の心に伝わるといいです。
次回の予定 3月10日(木)
2022年1月20日(木)
「 イエスさまがとなりに 」
「子よ、元気を出しなさい。」
( マタイによる福音書9章2節 )
幼稚園の礼拝の時は、子どもたちに問いかけて、思ったことを話してもらい、キャッチボールをするようにお話をしていきます。
「元気が出る時」「元気が出ない時はどんな時?」と子どもたちに聞いてみました。
「元気が出ない時」という問いかけには、子どもたちから あまり声が出なかったので、先生に聞いてみると「悲しい時には 元気が出ません」という言葉が返って来ました。
それでは、一緒に悲しんだり、泣いてくれる人がそばにいたらどうですか?というと、先生の顔はパッと明るくなり、「そんな人がそばにいてくれたら嬉しいです」と言われました。
隣りに誰もいなくて、一人ぼっちの時は元気が出ません。でも、イエスさまはいつも隣りにいてくれます。だから、元気を出しなさい。イエスさまの命令には、いつも約束が共にあります。
「悲しむ人々は幸いである」とイエスさまは言われます。その人たちは慰められることを約束されているからです。
子どもたちと一緒に、言葉を交わしながら、神様のことをお話していく。それは、キリスト教幼稚園の楽しいところです。
今月の本の紹介
「 うちのねこ 」 高橋和枝 ( アリス館 )
はる のらねこだったねこが ある日 うちへやってきた。
ソファのしたにいて でてこない。
ねことくらしているのに ねことくらしていないみたい。
ちかづくと かみついたり ひっかいたり。
そして なつ あき ふゆがきたけど
ほんとうは ずっとそとで のらねこを していたかったのかな。
ゆっくり ゆっくり 「うちのねこ」になるまでの おはなしです。
次回の予定 2月26日(土)
2021年 12月4日(土)
「 恵みを分かち合う 」
「羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。」
( ルカによる福音書2章8節~20節 )
クリスマスイヴというのは、12月24日の真夜中から夜明け前のことで、イエスさまがお生まれになった時のことです。
讃美歌267番の3節に「人はみな眠り 気づかぬまに めぐみの賜物 天よりくる。」という詩があります。
人々が寝静まった夜更け、羊の群れの番をしていた羊飼いに天使たちが、救い主がお生まれになったことを知らせました。身分の低い羊飼いたちは、普段は町の中に入ったことがありませんでしたが、彼らは「主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」とベツレヘムへ行きます。イエスさまを探し当てた羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせます。これがキャロリングの始まりです。
喜びの出来事をみんなに知らせて恵みを分かち合う。今もその時と同じように、子どもたちはページェントやキャロリングで、みんなにクリスマスの恵みと喜びを伝えているのです。
今日は、クリスマスの祝会の歌の練習をしました。教会学校の子どもたちの劇で歌われる讃美歌やオリーブの会の出し物のキャロルをパートに分かれて歌いました。
なかなかみんなで練習する時間が無いので、ほとんどぶっつけ本番のようなものですが、毎年きれいなハーモニーになります。子どもたちの劇も楽しみです。
大人にとっても 子どもたちにとっても 喜びでいっぱいのクリスマスとなりますように!
次回の予定 1月20日(木)
2021年 9月16日(木)
「 マルタとマリア 」
「必要なことはただ一つだけである。」
( ルカによる福音書 10章38~42節 )
この物語には、マルタとマリアという二人の対照的な女性が出て来ます。
マルタは姉でマリアは妹であるとよく言われていますが、実はそうではなく、どちらが姉であるということははっきりしていないようです。この時代、家に客を迎え入れるのは男性がすることで、女性が客を招くことはあまりありませんでした。また、ラビと呼ばれる教師の話を聞くことが出来るのも男性だけでした。
イエスさまの足もとでその話に聞き入っていたマリアと、もてなしのために忙しく立ち働くマルタ。イラ立つマルタは、マリアが手伝うようにとイエスさまに言います。
そんなマルタをイエスさまは「マルタ、マルタ」と二度もその名を呼び「必要なことはただ一つ」だということをあたたかいまなざしで伝えます。
私たちもマルタのように「多くのことに思い悩み、心を乱し」必要なことを見失ってしまうことがあるのはないでしょうか。おもてなしのために献身的にせわしく立ち働き、マリアにイラ立つマルタの姿に共感を覚える人も多いのではないかと思います。そんなマルタを通して、イエスさまはあたたかいまなざしで私たちのことをも招いて下さっています。
今月の本の紹介
今日は、「JAF Ⅿate 」8、9月号より 宮下 奈都さんの「生まれてくるもの」という文章を紹介させて頂きました。
犬と散歩をして、小学校の校庭のそばを通った時のこと、一人の男の子が歌を口ずさみ始めると、そばにいた男の子たちも小さい声で、嬉しそうに同じ歌を歌い始めました。
コロナのせいで、大きな声を出さないよう気をつけていた子どもたちでしたが、一人の子の楽しさや喜びが歌と一緒に広がり、宮下さんも幸せな気持ちになったそうです。
また、犬を飼う時に心配したのは、忙しくなりすぎて三人の子どもたちにかける時間や愛情が少なくなるのではないかということ。しかし、心配は無用でした。犬はとてもかわいくて、犬への愛情が増えた分、子どもたちに向ける愛情も濃くなったように思われたそうです。
犬の分、愛情が減るのではなく、逆に増えていく。喜びとか、楽しみとか、幸せみたいなものは限りなく、どんどん生まれてきて、人生を輝かせてくれる。
説教の中で、いつも牧師が語られる「分けると増える」のメッセージをこの文章の中に発見し嬉しくなりました。
教会のハルカちゃん
2021年 8月28日(土)
「 神様が造られた自然の中で 」
「海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」 ( 創世記 1章28節 )
先日、幼稚園の年長さんたちは、奥越高原牧場で、牛のえさやりや模擬搾乳を体験したり、夜は花火大会をして、楽しい一日を過ごしました。自分たちで食事を作り、カレーライスやサラダの中には自分たちが育てたきゅうりやパプリカなどの野菜が入っていました。
創世記の「地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」という言葉の意味は、人間が自分勝手に支配するのではなく、神様のみこころを知り、それにかなうように生き物たちの世話をするということです。
子どもたちは今回、牛の世話をしましたが、日頃から園で飼っているうさぎをかわいがったり、野菜を育てたりと、神様のみこころにかなうことをしています。
自然界に対する人間の姿勢は、まず神様のみこころを知ることが大事であるということを聖書では言っています。
のびのびと過ごす楽しい一日の中で、子どもたちは素晴らしい笑顔でした。
今月の本の紹介
『 マララのまほうのえんぴつ 』 作 マララ・ユスフザイ
( ポプラ社 )
今回は、史上最年少でノーベル平和賞を受賞したマララさんの自伝絵本を紹介させて頂きました。子どもの頃マララさんは、テレビアニメに出てくる、まほうのえんぴつが欲しくてたまりませんでした。そのえんぴつで何かを書くと、みんな本物になるのです。
やがてその地域で、女の子たちが学校に行くこと、教育を受けることが禁じられるようになりました。マララさんは「誰か」ではなくて「自分」が声をあげることによって、多くの人にそれを伝え、世の中を変えていくことが出来るということに気がつきました。
まほうのえんぴつは、自分の言葉と自分の行動の中にある。そのことに気づいたマララさんは、すべての子どもたちの学ぶ権利と未来のために、声を上げ続けるのです。
次回の予定 9月16日(木)
2021年 6月12日(土)
「 イエスさまのもとに戻って行く 」
「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
( ルカによる福音書 17章19節 )
教会学校と幼稚園の5月の聖句は 「 あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」というマルコによる福音書5章34節の御言葉でした。
長い間、病いに苦しんでいた女にイエスさまがかけられた言葉です。1ヶ月の間、子どもたちと話していて気がついたことがあります。「安心して行きなさい。」というイエスさまの言葉には、「また戻って来なさい」という、言葉にはなっていない意味が秘められているということです。「また、ここに戻って来なさい。そして、ここからまた 出かけて行きなさい。」というイエスさまの言葉が込められているのです。
今日の聖書で、イエスさまは、10人の重い皮膚病の人たちに、「祭司たちのところへ行って体を見せなさい」と言われました。 そこへ行く途中で彼らは病いが癒され、清められます。イエスさまの言葉を信じて清くされたのは10人とも同じでしたが、そのうちの1人のサマリア人だけが大声で賛美しながら戻ってきました。心から、感謝と喜びにあふれて、イエスさまのもとに戻ってきたのです。それはとても大事なことです。その人の信仰が、そこに現れています。「もう一度戻って来なさい」そして、そこから「立ち上がって行きなさい」とイエスさまは私たちにも言われます。
日曜日ごとに、神様のもとへ戻ってきて、そこからまた自分の生活や仕事や、大変な日々の暮らしの中へ帰って行く。「安心して行きなさい」とイエスさまは送り出して下さっているのです。
今日は、ゴスペルソングを2曲 紹介して頂きました。
アメリカのTonex ( トーネイ )の歌です。
1曲めは 「 Make me Over 」 です。
「 神様、僕を 生まれ変わらせて下さい 」という言葉で、自分の罪と悔い改めを歌った、しっとりとした穏やかな曲です。
もう1曲は 「 ALIVE 」 ( 生きている ) という曲です。
先ほどの歌とは、打って変わって、テンポが速いにぎやかな曲で、十字架にかけられたイエスさまが、墓の中からよみがえられて 「 生きている! 」ということがテーマになっています。
次回の予定 7月29日(木)
2021年 5月20日(木)
「 名前を呼んで下さる神様 」
「あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。」
( イザヤ書 43章1節 )
幼児さんびかに「ひとりひとりの名をよんで」という歌があります。
幼稚園のクラス礼拝の時に、名前を呼ばれた時どうだったかを聞いてみると、
「うれしい」「たのしい」「かなしい」など、呼び方によっても違うことがわかります。
「天職」という言葉がありますが、元は「Calling」という聖書からきた言葉です。
神様から呼ばれて、○○しなさいと言われ就く仕事ということです。
神様は、私たち一人一人の名を呼んで下さっています。
「召命」というのは、神様がその人の生涯を引き受けて御自分のものとされることです。
呼ばれることを喜びとされることは大事なことです。
子どもたちは、呼ばれたら返事をします。呼ばれたら返事をして、一日を過ごしていくことは、子どもも、大人にとっても大事なことです。
今月の本の紹介
『 おもいのまんま 』 ひろはまかずとし墨彩画集 (河出書房新社)
「 まわり道したから あなたに逢えた 」
「 安心して下さい。あなたにとって これが最後の山です 」
「 どんな時でも よかったと思う事にしています。 そうすると 本当に よかったという結果になるから 不思議です。 」
どの言葉も、疲れた時や辛い時に、心を少し励ましてくれたり、癒してくれるような言葉です。この本の中でひろはまさんが語っているのは、無理をしないで、ありのままの自分でいること。たいへんな時でも、乗り越えたすぐそこには、また良いことがあるということ。まず自分が幸せでいること。など、大切なことが、優しい言葉と、素朴で少し不思議な絵で描かれています。
どの絵の中にも必ず、小さな天使が飛んでいて、ひろはまさんの世界観のようなものを感じさせてくれます。
次回の予定 6月12日(土)