2023年6月24日(土)

  「 カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。 」

(創世記4章1節~16節)  

ある牧師より相談を受けました。幼稚園の合同礼拝で、ある先生が、このカインとアベルの聖書箇所についてお話をしたということです。そこには子どもたちと共に保護者もいて、礼拝の後で「弟を殺す物語を子どもにするのはいかがなものか」と言われたとのことです。この聖書箇所は、自分で選んだのではなく、幼稚園の年間のカリキュラムになっています。幼稚園や教会学校の子どもたちに話す時に、保護者もその場にいる時があります。

一般に日本人は、聖書的な伝統が無いため、カインとアベルの話にしても、人と人の話として読んでしまい、そこにおられる神の存在を度外視してしまうことがあります。

聖書は、人間同士の葛藤を描く書物ではなく、そこにある天からの助けや慰めのことなどが描かれています。人と人のことだけに目を向けていると、何のことだかわからないことがあります。例えば「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。」(マタイ5・4)とか「途方に暮れても失望せず」(コリントⅡ4・8)など。聖書はとんでもない矛盾を抱えた書物であると思います。皆さんはどう思われますか?

オリーブの会の皆さんからも、いろいろな意見が出されました。

グリム童話などでも残酷な話がありますが、日本人にはなじめない感覚もあります。

アブラハムとイサクの話もそうであるし、十字架のこと自体が残酷な話だと思います。

しかし、そこを避けて話さないのもおかしいと思います。

戦争の話なども、多くの人たちが殺されており、それを子どもたちに伝えていかなければならないと思います。

「三びきのやぎのがらがらどん」など、おなじみの絵本も最後は残酷な場面ですね。

「カインとアベル」の話の中で、神様はどう思われているかを、子どもたちに考えさせることは大事だと思います。神様が悲しんでおられること、でも神さまはカインを殺すことはなさいませんでした。

「罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」(7節)と神様はカインに言われます。神様に応答しながら自由に生きることを、人は求められているのです。

今回このような発言をして下さったお母様は、子どもさんのことをよく考え、礼拝の話を真剣に聞いて下さった方であると思います。口に出して言って下さったことを良かったと思い、感謝したいと思います。

次回の予定    7月13日(木)

2023年5月18日(木)

「 彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。 」

(使徒言行録 2章42節)   

平日の夕方、高校生のMくんと洗礼準備会をしています。

彼は中学1年生の時に中高生キャンプに参加し、そこで今まで全く知らなかったキリスト教の考え方に初めて触れたそうです。これまで彼が聞いてきたことと、キャンプで知った価値観は全く違っていて、何が大事で、何を求めるべきか、キリスト教の価値観を身に付けたいと彼は言います。とても嬉しく、頼もしいと思います。

今日の聖書では、ペンテコステの出来事のあと、ペトロと他の弟子たちが語り始め、聞いて信じた人々の群れによって教会が出来ていきます。

「使徒の教え」はキリストのみわざとみことばです。彼らはパンや杯、そしてみことばを「相互に」分かち合い、主の晩餐を行い、熱心に祈りました。「熱心であった」というのは元の言葉では「離れることが無かった」という意味があります。

初代教会の彼らが、キリストの十字架と復活から離れることなく守り続けてきたこと、これはキリスト教の考え方の根本になっており、今も私たちの教会で行われています。

「 今月の本の紹介 」

『 ぼくはいしころ 』 坂本千明  (岩崎書店)

これは、ひとりで生きる、あるくろねこの、ちょっとふしぎであたたかいお話です。

ぼくはいしころ だれも それを きにとめない

こえを あげてはいけないよ   だまっていれば ぼくらは へいわだ

だけど ある日 しまっていたこえが あふれだした

「 おはよう こんにちは こんばんは いただきます ごちそうさま 」

「 さよなら いしころ 」

次回の予定    6月24日(土)

2023年4月15日(土)

「 イエスは生きておられる 」

(ルカによる福音書 24章23節) 

幼稚園の4月の聖句です。

教会やキリスト教にあまり触れたことの無い人は、この聖句をどのようにとらえるのでしょうか。どんな反応が返ってくるのでしょう。

幼稚園の先生方と、この聖句についての学びをしました。

あるパートの先生は、(イエスさまは)「私たちの中に生きておられると思いました」と言われました。またある先生は(イエスさまは)「私たちと共に生きておられると思いました」と言われました。そのどちらもが、大事な聖書のメッセージです。

イエスさまは私たち一人一人と共におられる。こんな反応が先生方から返ってきたのは嬉しいことです。

イエスさまは生きておられることを子どもたちに語ることが出来る教師と、その話に入って来る子どもたちがいる。そんな幼稚園であることは感謝です。

今日はオリーブの会の後、明日の墓前礼拝に備え、足羽山の聖徒の墓へみんなで行き、お墓の掃除をしました。それまで降っていた雨も止んで、予定通りお掃除することが出来たので良かったです。

次回の予定    5月18日(木)

2023年3月9日(木)

  『 どんなことにも感謝を 』

「 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。 」

(テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章16-18節)

キリスト教の幼稚園などで暗唱聖句として選ばれることが多く、愛唱聖句としてあげる大人も多いみことばです。

しかし人生の中で、つらいこと、悲しいことがあると、この聖句を愛唱聖句としてあげることが憚られることもあると思います。

不幸や悲しみの中にあっても、この聖句をあげ続けた方がいます。

ある教会のⅠさんは、クリスチャンの夫と結婚して、クリスチャンホームを築きますが、夫は早めに亡くなり、二人の子どもも病気で相次いで亡くなりました。

Ⅰさんは言います。「夫と私の信念は一緒です。必ず神がおられ、私たちを守って下さる。だから私は今も落胆していないんです。」良い息子と、優しい娘に出会えた。その伴侶も申し分ない人で、孫をよく育ててくれた。

Ⅰさんの中には、あのみことばがありました。

「どんなことにも感謝しなさい。」これは、やみくもに感謝するのではなく、どのような境遇の中にも恵みを見なさいということです。

Ⅰさんの人生の中に、いつもこのみことばがあったから、彼女がこの世を去る時に、地上の一人一人に、感謝の言葉を残すことが出来ました。

「 今月の本の紹介 」

「 バスが来ましたよ 」 (アリス館)

由美村 嬉々 (文)    松本 春野 (絵)

ある朝、バスを待つわたしに「バスが来ましたよ」というかわいい声がきこえてきました。その女の子は、目の見えないわたしを支えてバスに乗せてくれました。

その日から毎日「バスが来ましたよ」という声は、わたしを助けてくれました。

やさしさのバトンがつながれていく、本当にあった物語です。

次回の予定    4月15日(土)

2023年2月18日(土)

  「 信仰の無い自分  」

(マルコによる福音書 9章14-29節)

ひどい発作をもつ息子と、その父が出て来ます。

父はイエスさまに「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」と言います。そんな父に向かってイエスさまは「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」と言われます。父は、自分の信仰の無さに気がつき「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」と言いました。

信仰の無い自分に気がついた時に初めて、信仰を告白できることがあるのではないでしょうか。

今まで、どうやっても願いがかなわなかった時に、私たちは信じることが出来なくなってしまうことがあります。しかし、そんな自分を認めて、そこからまたイエスさまの力と救いのわざを信じ続けることは大事なことだと思います。

「 今月の本の紹介 」

『 かみはこんなにくちゃくちゃだけど 』  ヨシタケシンスケ 著  (白泉社)

毎日の生活の中でイヤなことがあれば、必ず良いこと、うれしいこともある。

どんな時でも、小さな希望が隠れている。ちょっとだけ視点を変えてみることで、プラス思考で生きることができそう。そんなことを思わされる絵本です。

『 親身にぶつかる 』 デビッド・アウグスバーガー 著

( 平野ふみ子・平野英里 訳 )

自分と意見が違う人と、どのように向き合っていけばいいのか。

拒否したり、攻撃するのではなくて、補い合ってお互い成長していけたらいいですね。

次回の予定    3月9日(木)

2023年1月19日(木

「 一緒に喜んでください 」

(ルカによる福音書 15章1-7節)

幼稚園と教会学校の1月の聖句です。

見失った一匹の羊を捜す人のたとえ話をイエスさまが語っています。

いなくなった一匹の羊が見つかった時、その人は友達や近所の人々を呼び集めて

「見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください」と言います。

「一緒に喜んでください」という言葉を英文にすると「Rejoice with me」です。

「Rejoice」(喜んでください)という言葉は「天上にある喜び」という意味があります。

羊を持っている人とは、イエスさまのたとえです。天の神様とイエスさまが共に喜んでいるということでしょうか。

幼稚園の子どもたちに、イエスさまはどんな時に喜んで下さるかを聞いてみました。

子どもたちは「やさしくすること」など、いろいろ答えてくれます。

イエスさまは、これをすると喜んで下さるかを、一度止まって考えてみることも大事だということを子どもたちに話しました。

この聖書箇所では、羊の他に、「無くした銀貨」「放蕩息子」の三つのたとえ話が描かれています。

「放蕩息子」のたとえでは、父が兄息子に「弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」と言います。

天の神様と一緒に喜ぶことがとても大事であることを、イエスさまは語っているのです。

「 今月の本の紹介 」

『 絵本・ことばのよろこび 』  松居直 著  (日本基督教団出版局)

『 よあけ 』 (福音館書店)

ユリー・シュルヴィッツ 作・画   瀬田貞二 訳

以前「信徒の友」で連載していたこの本は、一人の女性から松居直さんへのお便りで始まります。

彼女は小学、中学時代に絵本に夢中になりましたが、やがて大学、OL、結婚と育児をする中で、心の中がからっぽになっていきます。身も心もカラカラになったのに気が付いたのは、子どもを妊娠した時でした。しかし、子どもと共に絵本にまた出会い、輝く世界を取り戻すのです。海草のように世間に流され、自分さえ失うところを、絵本に助けられたと彼女は言います。絵本によって内なることばを取り戻した彼女にとって、それは生きてゆく時の力になっていくと松居さんは書いています。

暗闇の中で輝く「命のことば」を下さった主に感謝します。

『 よあけ 』

静寂の中に沈む深い闇、山の湖の岸に老人とその孫が眠っている。やがて二人は小舟で湖へこぎ出す。夜明けの一瞬、朝の光が山と水を緑に染める。それだけのシンプルなストーリーですが、中国の「漁翁」という漢詩をモチーフにして、作者のシュルヴィッツは、美しい水彩画の世界を創り出しています。

松居さんが、声に出して読むのが大好きだという絵本のひとつです。

次回の予定    2月18日(土)

2022年12月17日(土)

「 さあ、ベツレヘムへ行こう 」

(ルカによる福音書 2章8-15節)

これは、幼稚園の12月の聖句です。

天使から、救い主の誕生の知らせを聞いた羊飼いたちが言った言葉です。

英文に直すと 「Let us go over to Bethlehem」になります。

「over」という副詞が入っていますが、これには大きな意味が込められています。

「over」(越えて行く)という言葉ですが、何を越えて行くのでしょう。

当時、羊飼いたちは貧しく、人の羊を預かり、その世話をして暮らしていました。

彼らは、人々に差別されていて、ベツレヘムの町の中に入ったことはありませんでした。

野宿をして羊の群れの番をしていた羊飼いたちは、天使たちにイエスさまの誕生を告げられると、今まで越えたことのなかった壁を乗り越えて、救い主に会いに行きます。

人々との間に存在していた深い淵を越えて、彼らはベツレヘムへ向かったのです。

そればかりではなく、人々にその嬉しい知らせを告げて回り、町の人たちとクリスマスの喜びをわかちあったのでした。

「 今月の本の紹介 」

『 絵本・ことばのよろこび 』  松居直 著  (日本基督教団出版局)

『 シモンとクリスマスねこ 』 (福音館書店)

レギーネ・シントラー 文   下田尾治郎 訳

前回に引き続いて、今日も松居直さんのことばです。

クリスマスの贈り物を考える季節、子どもたちに楽しい「ことば」を贈り物として伝えられたら、それは、いつまでも忘れられぬクリスマスになることでしょう。

「シモンとクリスマスねこ」は、待降節を迎えた後の12月1日から24日のクリスマスの前の晩まで、毎晩「ことば」の贈り物として1話ずつ物語を語ります。

小さなシモンは、クリスマスが来るまでの24の数をじょうずに数えることができません。

そこでお父さんは、ねこのフローラのしっぽの縞の数を、毎日1つずつ数えてしるしをつけていくと、全部数え終わった時にクリスマスが来ることを教えてくれたのです。

24のお話の中には犬や羊、イースターうさぎやねずみなど、いろいろな生き物たちも登場し、楽しく、心温まるお話がいっぱいです。クリスマスを待つ子どもたちの心に喜びを与えてくれるでしょう。

次回の予定    1月19日(木)

2022年 11月17日(木)

「 地の果てに至るまで 」

「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

( 使徒言行録 1章6-8節 )

エルサレムから始まった福音が、地中海世界から全世界へと広がっていきます。

その時々の権力や、土着の宗教などとの対立が起こりますが、日本でもやはりそうだったのではないかと思います。

イエスさまが天に上げられる前に、最後に言われた「地の果て」という言葉で思い出す映画があります。

『喜びも悲しみも幾年月』という、若い灯台守の夫婦を描いた映画です。引越しを終えて、「またこんな地の果てみたいなところに来た」という妻に、夫は「平地の真ん中に立っている灯台なんて無い。どこだって地の果てさ」と言います。これは良いセリフですね。

また、北陸に来たトマス・ウイン宣教師も「ここは地の果てか」と同じ意味合いの言葉を言ったということです。

福音の光で日々の歩みを照らして行く働きは、どこだって地の果て、イエスさまが言われたのはそのようなことではないかと思います。福音が初めて新たに語られるところは、どこでも地の果てなのです。

「 今月の本の紹介 」

『 絵本・ことばのよろこび 』  松居直 著  (日本基督教団出版局)

『 三びきのやぎの がらがらどん 』 (福音館書店)

マーシャ・ブラウン 絵   せたていじ 訳

先日亡くなられた松居直さんの文を紹介しました。

『サラダ記念日』で有名な歌人の俵万智さんは、2~3歳の頃『三びきのやぎのがらがらどん』を一日に幾度もお母さんに読んでもらい、3歳の時には、まだ文字も読めなかったのに、『がらがらどん』の文章を一言半句違わないように語ったということです。

松居さんは「子どもはことばを覚えるのではなく、食べるのだ」と言います。

おいしいことばを心ゆくまでたっぷりと食べ、心の底から喜びを感じた子どもは、いつか無意識のうちに、そのことばを紡ぎだします。この子たちはことばを聞く喜び、見えないものを見る喜びを知っています。

「教会は子どもの心にはいるおいしいことばを、子どもたちに食べさせているでしょうか」

やがて喜びのことばをつむぎだす子どもたちを、教会は育てなければなりません、と松居さんは語ります。

次回の予定     12月17日(土)

2022年 10月15日(土)

  「 退却する場所 」

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」

( マタイによる福音書 11章28節 )

「リトリート」という英語の言葉があります。日本語に直すと「修養会」、カトリックでは「黙想会」とも言い、ミッションスクールなどで使われています。

これは、もともとは軍隊用語で「退却」とか「前線から離脱する」という意味です。

どうしてこの「リトリート」という言葉がキリスト教で使われるようになったのでしょう。

今日のみことばでイエスさまは「だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と言われます。私たちは、日常の生活や仕事などから退却して、魂の養いのために日曜日ごとに教会に戻って来ます。

朝の連続ドラマを見ていて、おやっと思った場面がありました。主人公の友だちのやんちゃな男の子が教会へ行き、お祈りをしていました。それで、自分が子どもの頃、教会学校で出会った男の子のことを思い出しました。手の付けようの無いようなやんちゃなその男の子を、お母さんは、良い子にしてもらうように教会に行かせていました。

また、中学時代は、技術の教室が問題児のたまり場になっていたのですが、そこにいつも来ていたやんちゃで暴力的な少年も教会学校でよく一緒になりました。

彼にとって教会は「リトリート」、退却しても良い場所だったのではないでしょうか。

私たちも、イエスさまのもとに退却して、魂の安らぎを得ることは大切なことではないかと思います。

「 今月の本の紹介 」

『 野ネズミとドングリ 』  島田卓哉著  (東京大学出版局)

まるで絵本か童話のようなかわいいタイトルですが、実際には、気が遠くなるような研究について書かれています。ドングリにはタンニンという毒が含まれているのに、野ネズミはどうしてドングリを食べることが出来るのか。そんな自然の中にある不思議を解明するために、数多くのドングリを一つ一つ調べたり、野ネズミの生態調査や森林の生態系などについても詳しく研究したことが書かれている本です。自然の中には、まだまだ知られていないことが沢山あり、それを長い時間と手間をかけて調べている人がいるのはすごいことです。

かしわぎまきこさんがイラストを描かれていて、かわいい絵にほっこりします。

次回の予定     11月17日(木)

2022年 9月15日(木)

  「 終わりの言葉 」

「彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」

( ルカによる福音書 24章50節~53節 )

これはルカによる福音書の最後の、イエスさまが天に上げられた時の場面です。

一つの書物がどんな言葉で終わるかは大事なことです。日本語もギリシャ語も、弟子たちが「神をほめたたえていた」という言葉で終わっています。

50節の、イエスさまが「祝福された」という言葉と、この「ほめたたえていた」は、原文では同じ言葉になっていて、元の意味は「良い言葉を語る」ということです。

これを書いたルカの意図は、イエスさまと弟子がどちらも「神様に向かって良い言葉を語った」という意味の同じ言葉を使ったことを書き残したかったのではないかと思います。ここから教会の出来事が始まり、使徒言行録へとつながっていくのです。

イエスさまから良い言葉を聞いた弟子たちが、良い言葉を語るようになっていく。

それは印象的な終わり方です。

「 今月の本の紹介 」

『 うろんな客 』  エドワード・ゴーリー著

柴田元幸 訳  ( 河出書房新社 )

ある夜、妙な姿の客が突然現れて、その日から一家の生活は振り回されていきます。

本は破られ、タオルは隠され、彼がドアのそばの床に横たわるので、邪魔になって仕方ありません。この「うろんな客」の正体とはいったい何でしょう?

独特な文章とモノクロのイラストが特徴の、大人のためのユニークな絵本です。

次回の予定     10月15日(土)

2022年 8月6日(土)

  「 神は真実な方です 」

( コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章9節 )

「信仰」という時、「私が神様を信じている」というように、自分の思いや心のことをいうことが多いのではないかと思いますが、聖書は「キリストの信仰」ということを言っています。これは、「キリストの真実」といいかえることも出来ます。

私たちが信仰をもっているから、恵みを与えられたのではなく、キリストの真実によって与えられているのです。

若い時、熱心に教会に来ていた人でも、人生の最後に向かっていく時、聖書や祈りのこと、教会のことも忘れてしまうことがあります。しかし、最後に何も残らないのではなく、神様はこの人を捕らえ、最後まで愛し、ご自分のものとして下さるのです。

「主われを愛す」という讃美歌がありますが、「われ主を愛す」という信仰の片面がやがて消えていったとしても、「主われを愛す」は最後まで残り続けます。

消え去ったあとにも残っていくものを大事にしていきたいです。

「 今月の本の紹介 」

『 23分間の奇跡 』  ジェームズ・クラベル著

青島幸男訳    ( 集英社文庫 )

「みなさん、おはよう。わたしがきょうから、みんなの先生ですよ」と新しい先生が言いました。戦争に負けた国の、ある教室で、緊張している子どもたちの前にその女性教師は現れました。そして、わずか23分の間に、彼女と子どもたちに奇跡が起こります。

先生は子どもたちに何を話し、何を教え、子どもたちは何を学んだのでしょう。

子どもは柔軟で、すぐに新しいことを学んでいきます。大人の言葉は、子どもに大きな影響を与え、その生き方を変えてしまうことも出来ます。

短いけれど、考えさせられる本です。

次回の予定     9月15日(木)

2022年 7月14日(木)

「 どん底で聴くみことば 」

「 今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろうと言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。 」

(ルカによる福音書 22章54-62節)

前回のオリーブの会では、パウロが「どん底」を経験した伝道者であったという話をしましたが、今日は、ペトロも「どん底」を経験した人であるということを話したいと思います。

最後の晩餐の時、弟子たちの中で、誰がいちばん偉いだろうかという議論が起こりました。

ペトロはイエスさまの一番弟子だったので、余裕をもってその場を見ていたのではないかと思いますが、イエスさまはその時、ペトロの危うさを知っていました。

ペトロはイエスさまに「サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかける・・」と言われ、むきになって、イエスさまとご一緒だったら「牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言い放ちます。そんなペトロにイエスさまは「あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」と言われ、そのことは実現するのです。

イエスさまを裏切ってしまったペトロは、主が言われた言葉を思い出して激しく泣きます。その時のイエスさまの言葉を、ペトロは思い出したというだけではなく、今まさにこの場で語られているものとして聴いたのです。「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

これまでのペトロはおそらく、一番弟子である自分の信仰に自信を持っており、自分はそこそこ頑張っている、いいせんいっていると思っていたかもしれません。

しかし今、「どん底」にいる時だからこそ彼は、励ましと愛に満ちた主のみことばを、その心に激しく、強く受け止めることが出来たのではないでしょうか。

自分は「そこそこやっている」という意識は、みことばを聞く上では、あまり良いことではありません。

パウロのように、ペトロのように「どん底」である自分を意識した時に、みことばは恵みとなっていくのだと思います。

「 今月の本の紹介 」

『 わたしと小鳥とすずと 』 金子みすず童話集より

( JULA出版局 )

「 星とたんぽぽ 」

青いお空のそこふかく、 海の小石のそのように、

夜がくるまでしずんでる、  昼のお星はめにみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、  見えぬものでもあるんだよ。

ちってすがれたたんぽぽの、  かわらのすきに、だァまって、

春のくるまでかくれてる、  つよいその根はめにみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、  見えぬものでもあるんだよ。

金子みすずの詩は、小さいもの、弱いもの、名も無いもの、見えないものに目を止め、愛を注いで歌っています。ある人はこれを、みすずの心のいのりだと言っています。

「 はちとかみさま 」

はちはお花のなかに、 お花はお庭のなかに、

お庭は土べいのなかに、 土べいは町のなかに、

町は日本のなかに、 日本は世界のなかに、

世界は神さまのなかに。

そうして、そうして、神さまは、小ちゃなはちのなかに。

小さなものたちを見つめるみすずの心の目には、それらのものを造られた神さまが見えていたのかも知れません。

次回の予定    8月6日(土)

2022年 5月19日(木)

「 どん底からの伝道者 」

「 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば 」

(ローマの信徒への手紙 5章9-10節)

「徹底」という言葉は、良い意味で使われることが多いですが、逆の意味で「底に徹する」「どん底」というように使われることもあります。

パウロは、自分がキリストの「敵であったとき」と言っていますが、これはパウロが「どん底」だった人であるといってもいいかも知れません。

石川県のK教会にはステンドグラスがあり、そこに、夜空に輝く大きな星が描かれています。これはクリスマスの星ではなく、旧陸軍の憲兵隊の帽子に付いていたマークの星だということです。

その頃、憲兵だったkさんは教会に行き、危険思想が語られていないか、毎週の礼拝で聞き耳を立てていました。説教を聴くうちにいつか、みことばが  kさんの心を揺るがすようになり、やがて信仰をもって伝道者になったということです。

伝道者としてのk先生は、静かなおとなしい方であったということですが、その言葉というより、生き方が徹底したキリスト者であったと思うのです。

憲兵という、キリストとは全く敵対した立場であったk先生は「どん底」から這い上がってきたキリスト者と言えるのではないでしょうか。

同じようにキリスト者を迫害してきたパウロと共通したものがあるかも知れません。

「どん底」にある者をも、イエスさまは愛によって救い上げて下さるのです。

「 今月の本の紹介 」

「 人生が変わる紙片付け! 」  ダイヤモンド社

( 著 石阪 京子 )

家の片付けに頭を悩ませている人は多いと思いますが、その中でも「紙」の片付けについて教えてくれる本です。「紙」ということを意識するしないに関わらず「紙」は何よりも無意識に溜まっていくものかも知れません。新聞、チラシ、葉書、プリント類、レシート、包装紙等々まだまだあります。そんな紙のごみをすっきり片付けるための知恵が詰まった1冊です。

次回の予定    6月18日(土)

 ナンジャモンジャの花

2022年 4月23日(木)

「 ペトロの見た幻 」

「 神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。 」

(使徒言行録 10章34-35節)

ペトロが、ローマ人のコルネリウスの家で福音を語った時の、最初の言葉です。

ユダヤ人であるペトロは、それまでは異邦人に対し、あまり良い印象を持っていませんでした。そんなペトロは、ある幻を見ます。天から、大きな布のような入れ物が下りて来て、その中には、獣や鳥などが入っており、「 これをほふって食べなさい 」という声がしました。ペトロは、「 清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。 」と言います。すると、「 神が清めた物を清くないなどと、言ってはならない。 」という声が聞こえます。そんなことが三度ありました。

ペトロはその後 「 神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。 」と語りました。そして、「 神は人を分け隔てなさらない。 」とコルネリウスや大勢の人たちに言います。

自分の思いで、人のことをとやかく言うのではなく、「 神様は、愛において、人を分け隔てなさらない 」ということ。「 すべての人が神様の愛のうちにある 」ことを、私たちは常に忘れてはならないと思います。

「 今月の本の紹介 」

今日は、2冊の本を紹介しました。

『 55歳からのキリスト教入門 』 小島誠志 ( 日本キリスト教出版局 )

第七章 「安息日と礼拝」から

「 生きることは労苦であります。私たちは生きて労働して疲れており、他者の罪によって傷ついており、自らの罪によって他者を傷つけ自ら深く傷ついています。だから安息日を備え私たちを待っていてくださる救い主のもとに帰って行くのです。 」

最近の自分の心に、とても迫ってくる言葉でした。

『 74歳、ないのはお金だけ。あとは全部そろってる 』  牧師 ミツコ

( すばる舎 )

お金が無くても、 日々の暮らしに満足し、感謝して生きている牧師ミツコさん。

お金の使い方や健康管理、人間関係での心の持ちようなど、これまでの牧師の経験や信仰からくる、その生き方に共感できることが多くありました。

日々感謝して、こんなに前向きに豊かな気持ちで年を重ねていけたら、とても幸せなことだと思います。

次回の予定    5月19日(木)

2022年 2月26日(土)

「 わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。 」

(詩編 121―2)

幼稚園の2022年度の年間聖句について、今 考えているところです。

毎月の聖句を、英文とも照らし合わせながら読んでいます。

その中に 「子供たちをわたしのところに来させなさい。」というイエスさまの御言葉があります。子どもを引っ張って連れて来るのではなく、その子の心に働きかけて、行きたいと思わせる。それは、キリスト教教育の原点だと思います。

「探しなさい。そうすれば、見つかる。」 これは、無くしたものを捜すのではなく、人生で大切なものを求めて探すということだということが、英文も一緒に読むことでわかってきます。

子どもたちは、いろんな質問をしてきます。「平和ってなに?」 「イエスさまとかみさまの関係ってなに?」そんな質問のひとつひとつに、はぐらかさずに答えることが大事だと思っています。

新しい一年も、子どもたちと共にみことばを読んでいくことを考えると楽しくなります。

「 今月の本の紹介 」

『 ブルーノ 』 Fukase作  ( 福音館書店 )

この絵本は、4人組バンド「 SEKAI NO OWARI 」のボーカルであるFukaseさんが初めて描いた絵本です。

平和な王国ブルーノを、ある日嵐が襲い、多くの命が失われてしまいました。

王様を信じて助けを待つタルカスと、村人を救うために、その方法を考え抜いていた王様でしたが、お互いの思いを分かり合うことが出来ず、悲しい結果になってしまいます。

この絵本は表と裏の両サイドが表紙になっていて、タルカスと王様の双方の視点で物語が進んでいきます。

「たとえ理解に苦しむ状況でも、相手の行動の背景を知ることで、相手を許すこと、そして自分を救うきっかけになる」というFukaseさんの思いが、この本を読む人の心に伝わるといいです。

次回の予定     3月10日(木)

2022年1月20日(木)

「 イエスさまがとなりに  」

「子よ、元気を出しなさい。」

( マタイによる福音書9章2節 )

幼稚園の礼拝の時は、子どもたちに問いかけて、思ったことを話してもらい、キャッチボールをするようにお話をしていきます。

「元気が出る時」「元気が出ない時はどんな時?」と子どもたちに聞いてみました。

「元気が出ない時」という問いかけには、子どもたちから あまり声が出なかったので、先生に聞いてみると「悲しい時には 元気が出ません」という言葉が返って来ました。

それでは、一緒に悲しんだり、泣いてくれる人がそばにいたらどうですか?というと、先生の顔はパッと明るくなり、「そんな人がそばにいてくれたら嬉しいです」と言われました。

隣りに誰もいなくて、一人ぼっちの時は元気が出ません。でも、イエスさまはいつも隣りにいてくれます。だから、元気を出しなさい。イエスさまの命令には、いつも約束が共にあります。

「悲しむ人々は幸いである」とイエスさまは言われます。その人たちは慰められることを約束されているからです。

子どもたちと一緒に、言葉を交わしながら、神様のことをお話していく。それは、キリスト教幼稚園の楽しいところです。

今月の本の紹介

「 うちのねこ 」  高橋和枝   ( アリス館 )

はる  のらねこだったねこが ある日 うちへやってきた。

ソファのしたにいて でてこない。

ねことくらしているのに ねことくらしていないみたい。

ちかづくと かみついたり ひっかいたり。

そして なつ あき ふゆがきたけど

ほんとうは ずっとそとで のらねこを していたかったのかな。

ゆっくり ゆっくり 「うちのねこ」になるまでの おはなしです。

次回の予定    2月26日(土)

2021年 12月4日(土)

「 恵みを分かち合う 」

「羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。」

( ルカによる福音書2章8節~20節 )

クリスマスイヴというのは、12月24日の真夜中から夜明け前のことで、イエスさまがお生まれになった時のことです。

讃美歌267番の3節に「人はみな眠り 気づかぬまに めぐみの賜物 天よりくる。」という詩があります。

人々が寝静まった夜更け、羊の群れの番をしていた羊飼いに天使たちが、救い主がお生まれになったことを知らせました。身分の低い羊飼いたちは、普段は町の中に入ったことがありませんでしたが、彼らは「主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」とベツレヘムへ行きます。イエスさまを探し当てた羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせます。これがキャロリングの始まりです。

喜びの出来事をみんなに知らせて恵みを分かち合う。今もその時と同じように、子どもたちはページェントやキャロリングで、みんなにクリスマスの恵みと喜びを伝えているのです。

今日は、クリスマスの祝会の歌の練習をしました。教会学校の子どもたちの劇で歌われる讃美歌やオリーブの会の出し物のキャロルをパートに分かれて歌いました。

なかなかみんなで練習する時間が無いので、ほとんどぶっつけ本番のようなものですが、毎年きれいなハーモニーになります。子どもたちの劇も楽しみです。

大人にとっても 子どもたちにとっても 喜びでいっぱいのクリスマスとなりますように!

次回の予定   1月20日(木)

2021年 9月16日(木)

「 マルタとマリア 」

「必要なことはただ一つだけである。」

( ルカによる福音書 10章38~42節 )

この物語には、マルタとマリアという二人の対照的な女性が出て来ます。

マルタは姉でマリアは妹であるとよく言われていますが、実はそうではなく、どちらが姉であるということははっきりしていないようです。この時代、家に客を迎え入れるのは男性がすることで、女性が客を招くことはあまりありませんでした。また、ラビと呼ばれる教師の話を聞くことが出来るのも男性だけでした。

イエスさまの足もとでその話に聞き入っていたマリアと、もてなしのために忙しく立ち働くマルタ。イラ立つマルタは、マリアが手伝うようにとイエスさまに言います。

そんなマルタをイエスさまは「マルタ、マルタ」と二度もその名を呼び「必要なことはただ一つ」だということをあたたかいまなざしで伝えます。

私たちもマルタのように「多くのことに思い悩み、心を乱し」必要なことを見失ってしまうことがあるのはないでしょうか。おもてなしのために献身的にせわしく立ち働き、マリアにイラ立つマルタの姿に共感を覚える人も多いのではないかと思います。そんなマルタを通して、イエスさまはあたたかいまなざしで私たちのことをも招いて下さっています。

今月の本の紹介

今日は、「JAF  Ⅿate 」8、9月号より  宮下 奈都さんの「生まれてくるもの」という文章を紹介させて頂きました。

犬と散歩をして、小学校の校庭のそばを通った時のこと、一人の男の子が歌を口ずさみ始めると、そばにいた男の子たちも小さい声で、嬉しそうに同じ歌を歌い始めました。

コロナのせいで、大きな声を出さないよう気をつけていた子どもたちでしたが、一人の子の楽しさや喜びが歌と一緒に広がり、宮下さんも幸せな気持ちになったそうです。

また、犬を飼う時に心配したのは、忙しくなりすぎて三人の子どもたちにかける時間や愛情が少なくなるのではないかということ。しかし、心配は無用でした。犬はとてもかわいくて、犬への愛情が増えた分、子どもたちに向ける愛情も濃くなったように思われたそうです。

犬の分、愛情が減るのではなく、逆に増えていく。喜びとか、楽しみとか、幸せみたいなものは限りなく、どんどん生まれてきて、人生を輝かせてくれる。

説教の中で、いつも牧師が語られる「分けると増える」のメッセージをこの文章の中に発見し嬉しくなりました。

教会のハルカちゃん

2021年 8月28日(土)

「 神様が造られた自然の中で 」

「海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」            ( 創世記 1章28節 )

先日、幼稚園の年長さんたちは、奥越高原牧場で、牛のえさやりや模擬搾乳を体験したり、夜は花火大会をして、楽しい一日を過ごしました。自分たちで食事を作り、カレーライスやサラダの中には自分たちが育てたきゅうりやパプリカなどの野菜が入っていました。

創世記の「地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」という言葉の意味は、人間が自分勝手に支配するのではなく、神様のみこころを知り、それにかなうように生き物たちの世話をするということです。

子どもたちは今回、牛の世話をしましたが、日頃から園で飼っているうさぎをかわいがったり、野菜を育てたりと、神様のみこころにかなうことをしています。

自然界に対する人間の姿勢は、まず神様のみこころを知ることが大事であるということを聖書では言っています。

のびのびと過ごす楽しい一日の中で、子どもたちは素晴らしい笑顔でした。

今月の本の紹介

『 マララのまほうのえんぴつ 』  作  マララ・ユスフザイ

( ポプラ社 )

今回は、史上最年少でノーベル平和賞を受賞したマララさんの自伝絵本を紹介させて頂きました。子どもの頃マララさんは、テレビアニメに出てくる、まほうのえんぴつが欲しくてたまりませんでした。そのえんぴつで何かを書くと、みんな本物になるのです。

やがてその地域で、女の子たちが学校に行くこと、教育を受けることが禁じられるようになりました。マララさんは「誰か」ではなくて「自分」が声をあげることによって、多くの人にそれを伝え、世の中を変えていくことが出来るということに気がつきました。

まほうのえんぴつは、自分の言葉と自分の行動の中にある。そのことに気づいたマララさんは、すべての子どもたちの学ぶ権利と未来のために、声を上げ続けるのです。

次回の予定    9月16日(木)

2021年 6月12日(土)

「 イエスさまのもとに戻って行く 」

「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

( ルカによる福音書 17章19節 )

教会学校と幼稚園の5月の聖句は 「 あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」というマルコによる福音書5章34節の御言葉でした。

長い間、病いに苦しんでいた女にイエスさまがかけられた言葉です。1ヶ月の間、子どもたちと話していて気がついたことがあります。「安心して行きなさい。」というイエスさまの言葉には、「また戻って来なさい」という、言葉にはなっていない意味が秘められているということです。「また、ここに戻って来なさい。そして、ここからまた 出かけて行きなさい。」というイエスさまの言葉が込められているのです。

今日の聖書で、イエスさまは、10人の重い皮膚病の人たちに、「祭司たちのところへ行って体を見せなさい」と言われました。 そこへ行く途中で彼らは病いが癒され、清められます。イエスさまの言葉を信じて清くされたのは10人とも同じでしたが、そのうちの1人のサマリア人だけが大声で賛美しながら戻ってきました。心から、感謝と喜びにあふれて、イエスさまのもとに戻ってきたのです。それはとても大事なことです。その人の信仰が、そこに現れています。「もう一度戻って来なさい」そして、そこから「立ち上がって行きなさい」とイエスさまは私たちにも言われます。

日曜日ごとに、神様のもとへ戻ってきて、そこからまた自分の生活や仕事や、大変な日々の暮らしの中へ帰って行く。「安心して行きなさい」とイエスさまは送り出して下さっているのです。

今日は、ゴスペルソングを2曲 紹介して頂きました。

アメリカのTonex ( トーネイ )の歌です。

1曲めは 「 Make me  Over 」 です。

「 神様、僕を 生まれ変わらせて下さい 」という言葉で、自分の罪と悔い改めを歌った、しっとりとした穏やかな曲です。

もう1曲は 「 ALIVE 」 ( 生きている ) という曲です。

先ほどの歌とは、打って変わって、テンポが速いにぎやかな曲で、十字架にかけられたイエスさまが、墓の中からよみがえられて 「 生きている! 」ということがテーマになっています。

次回の予定          7月29日(木)

2021年 5月20日(木)

「 名前を呼んで下さる神様 」

「あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。」

( イザヤ書 43章1節 )

幼児さんびかに「ひとりひとりの名をよんで」という歌があります。

幼稚園のクラス礼拝の時に、名前を呼ばれた時どうだったかを聞いてみると、

「うれしい」「たのしい」「かなしい」など、呼び方によっても違うことがわかります。

「天職」という言葉がありますが、元は「Calling」という聖書からきた言葉です。

神様から呼ばれて、○○しなさいと言われ就く仕事ということです。

神様は、私たち一人一人の名を呼んで下さっています。

「召命」というのは、神様がその人の生涯を引き受けて御自分のものとされることです。

呼ばれることを喜びとされることは大事なことです。

子どもたちは、呼ばれたら返事をします。呼ばれたら返事をして、一日を過ごしていくことは、子どもも、大人にとっても大事なことです。

今月の本の紹介

『 おもいのまんま 』 ひろはまかずとし墨彩画集 (河出書房新社)

「 まわり道したから あなたに逢えた 」

「 安心して下さい。あなたにとって これが最後の山です 」

「 どんな時でも よかったと思う事にしています。 そうすると 本当に よかったという結果になるから 不思議です。 」

どの言葉も、疲れた時や辛い時に、心を少し励ましてくれたり、癒してくれるような言葉です。この本の中でひろはまさんが語っているのは、無理をしないで、ありのままの自分でいること。たいへんな時でも、乗り越えたすぐそこには、また良いことがあるということ。まず自分が幸せでいること。など、大切なことが、優しい言葉と、素朴で少し不思議な絵で描かれています。

どの絵の中にも必ず、小さな天使が飛んでいて、ひろはまさんの世界観のようなものを感じさせてくれます。

次回の予定      6月12日(土)

2021年 4月17日(土)

「 イエスさまの自己紹介 」

「わたしは良い羊飼いである。」   ( ヨハネによる福音書 10章14節 )

これは、今年度の教会学校の年間聖句です。そしてまた、栄冠幼稚園の年間聖句でもあります。この一年、教会学校の子どもたちとその親、そして幼稚園の子どもたちと教師、親たちが同じ聖句を読むことになります。

ヨハネによる福音書には、イエスさまが「わたしは○○である」と語っている聖句が多くあります。「わたしはぶどうの木」「わたしは命のパン」「わたしは道であり、真理であり、命である。」などです。これはイエスさまの自己紹介です。

幼稚園でも、先生たちが初めての子どもたちに自己紹介をします。自分の名前ばかりではなく「これから、こんなふうに楽しく遊びましょう」などと、子供たちを新しい場所に引き込んでいきます。イエスさまも、新しく始まる関係の中にあなたも入って来なさいと言われます。

幼稚園の子どもたちに「羊飼い」の話をして、その役割のことを聞いてみると「羊の世話」「えさをあげる」「守る」「愛する」などたくさんの答えが返ってきます。

イエスさまは、私たちをこんな関係の中に導き入れて下さり、守り、養い、愛して下さることを、約束して下さっています。

私たちも、子どもたちと一緒に育っていきたいです。

今月の本の紹介

『 花さき山 』 ( 岩崎書店 )  絵 滝平二郎   作 斉藤隆介

10歳の少女あやは、祭りの煮しめの山菜をとりに山へ行って道に迷い、そこで山ンばに出会います。 山ンばはあやに言います。ふもとの村の人間がやさしいことをひとつすると、ひとつ花が咲く。 あやのあしもとに咲いている赤い花は、きのうおまえが咲かせた花だ・・・

黒い背景に浮かんだ、色とりどりの花の絵は美しく、それは時には悲しみをともなうやさしさの中に咲いた花だからこそ、こんなに美しいのだろうと思いました。

次回の予定    5月20日(木)

2021年 3月11日(木)

「 人の計画と神の計画 」

「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主はいわれる。」

( エレミヤ書 29章11節 )

年度末になり、次年度の計画を立てる時期になりました。「計画」という言葉は、聖書にはどのように出てくるでしょう。私たちが使っている「計画」とは違っています。

ローマの信徒への手紙8章には「御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働く・・・」と書いてあります。聖書には、人の計画ではなく神の計画のことが書かれてあるのです。人は未来のこと将来のことを計画しますが、未来や将来のことは、人間の領分ではなく神様の領分です。そこに踏み入って、人が計画を立てることを聖書は良しとしていません。しかし、無計画でいることは出来ません。

私たちの計画が世の人々と違うことは、うまくいかなかった時に、神のみこころを尋ねることです。失敗した背後には、何か神の計画があるのではないかと振り返ります。

2020年は、コロナウイルス拡大のために、計画が実現出来なかったことが沢山ありました。今まであたりまえだったことが、あたりまえではなくなりました。礼拝に行きたくても、行くことが出来ない時期がありました。

「涸れた谷に鹿が水を求めるように 神よ、わたしの たましいはあなたを求める。」

という詩編42編の渇きを実感しました。礼拝に出ることの出来ない人の痛みや渇きを感じることが出来たことによって、道が開かれてきたこともあると思います。

エレミヤ書には「それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」と書かれています。

私たちは辛い時、お互いに励まし合うことが求められています。その中から将来と希望が見えてくるのではないかと思います。

今月の本の紹介

俵万智 3・11短歌集 『 あれから 』 (今人舎)

今回は、福井にもゆかりのある俵万智さんの短歌集を紹介させて頂きました。東日本大震災の時、俵万智さんは仙台に住んでいましたが、7歳の息子と二人、南の島に避難し、そこに暮らすことになりました。その時に詠んだ短歌が「あれから」です。

「 電気なく水なくガスなき今日を子はお菓子食べ放題と喜ぶ 」

「 島に来てひと月たてば男の子 アカショウビンの声聞きわける 」

「 どんといけと聞こえてくるよ エイサーを踊る息子の太鼓のリズム 」

「 何色にもなれる未来を願う朝 白いガーベラ君に手渡す 」

「子どもの人生は子どもの手で色を塗っていってほしい。そのために大人がしてやれるのは、白いキャンパスを用意してやることだけだ。そんなことを思いながら、『あれから』の日々を過ごした。」と俵万智さんは書いています。

あの日から10年。これからも忘れないで、想い続けたいです。

次回の予定   4月17日(土)

2021年 2月20日(土)

「 聖霊が宿る神殿 」

「 あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。 」

( コリントの信徒への手紙1 6章19~20節 )

パウロはコリントの教会の人たちに、聖霊についての話をしています。

聖霊について理解が浅い人たちに、時には強い口調で語ります。

私たちにとっても、聖霊というのは、よくわかりにくいところがあるかも知れません。

パウロは「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿」と言います。神殿はコリントの人たちにとって、一番身近な存在でした。

私たちの体の中に神様の聖霊が宿って下さる。いろんな宗教がありますが、神様が私たちの中に親しく宿り、働いて下さるのはキリスト教だけです。

それによって父なる神様もイエスさまも、私たちの中で働いて下さるのです。

そして、さらにパウロは「あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。」と語ります。私たちはイエスさまの命という代価を払って買い取れたのです。

コリントの人の中には、霊が救われていれば、肉体が何をしても罪にはならないと思っている人もいました。そんな人々にパウロは「自分の体で神の栄光を現しなさい。」と言います。

私たち一人一人の働きは貧しく、小さいけれど、神様の聖霊が働いて、大きく豊かに用いて下さいます。神様の栄光を現すことが出来るように導き、祝福して下さるのです。

今月の本の紹介

「 ハンネリおじさん 」    (日本キリスト教団出版局)

絵 すずきやすまさ    文 きどのりこ

うさぎのハンネリおじさんは、昔 わなにかかった子うさぎを助けた時に、大けがをしました。ある日、その話を聞いた子うさぎのミトは、その時に助けてもらった子うさぎを捜しに行きます・・・

心にずしんと残るような、深くて、考えさせられるお話です。

うさぎたちや、まわりの景色は素朴であたたかく、懐かしさを感じます。

子どもにとっても大人にとっても、何かとても大切なメッセージを伝えてくれる絵本だと思いました。

次回の予定      3月11日(木)

2021年1月28日(木)

「 試練と逃れる道 」

「試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」

( コリントの信徒への手紙1 10章13節 )

聖書に書かれている「試練」と「誘惑」は、もともとは同じ言葉だったようです。

「逃れる道」というのは「逃げ道」ではありません。試練から逃げるのではなく、「試練と共に」「試練のただ中に」神様が逃れる道を備えて下さるのです。

ノアは洪水という試練に遭いました。神に背く行いをしていた人々は洪水で死んでしまいましたが、ノアとその家族と動物たちは箱舟に入って助かりました。

神様はノアを嵐に遭わせないのではなく、ノアは四十日四十夜、箱舟の中で翻弄され続けました。

「神の真実」とは、愛する人を見捨てない、忘れない、軽んじないことです。

ノアたちは試練の中でそれを見ました。

人は必ず試練に遭います。それを受けとめる時、災いとしてではなく、神からの試練としてうけとめることは必要ではないでしょうか。

それがパウロのいう「逃れる道」ということかも知れません。

今月の本の紹介

『 Life  ( ライフ) 』    ( 瑞雲舎 )

作=くすのき しげのり   絵=松本 春野

町のはずれに「ライフ」という小さなお店があります。店といっても だれかが働いているわけでも、何かを売っているわけでもありません。冷たい風がふいた日、一人のおばあさんが「ライフ」にやってきました。悲しみの中で 店に種をおいて行ったおばあさんは、やがて春に「ライフ」を訪れた時、その心の中にたくさんの花を咲かせることが出来ました。「ライフ」を訪れる人たちは、だれかが何かをおいていき、そして何かを持って帰ります。見えるものも、見えないものも。

次回の予定      2月20日(土)

2020年 12月5日(土)

「 何も知らない人々のために 」

「 人はみな眠り 気づかぬまに めぐみの賜物 天よりくる 」            ( 讃美歌21 267 3節 )

今週の教会学校では、クリスマスイブって何?という話をしました。

クリスマスイブというのは、「クリスマスの夜」ということで「12月24日の夜から25日の夜明け前」のことです。

イエスさまがお生まれになったのは、人々が寝静まった夜更けでした。誰も知らない間に、キリストはお生まれになったのです。夜通し、羊の群れの番をしていた羊飼いと、3人の博士だけが、そのことを知らされました。羊飼いは身分が低く、人々にさげすまれていたし、博士たちは聖書のことを知らない異邦人でした。彼らは救いの中に入れないと思われていた人たちでした。

クリスマスの恵みは、世の中の人々を否定しません。何も知らない人々を否定せず、この人たちのためにも救い主は生まれて下さったのです。

クリスマスケーキやチキンのことしか知らない人たちのためにもイエスさまは生まれて下さり、救いを与えて下さるのです。食べ物の恵みと共に、クリスマスの喜びが心にあふれ、みんなのためにイエスさまが生まれて下さった喜びが、多くの人々に伝わることを願っています。

今月の本の紹介

『 サンタクロースっているんでしょうか? 』 (偕成社)

この本は、アメリカの8歳の女の子バージニアの質問に、ニューヨーク・サン新聞の記者が社説の中で答えたものです。

「 サンタクロースをみた人はいません。けれども、それはサンタクロースがいないというしょうめいにはならないのです。この世界でいちばんたしかなこと、それは子どもの目にもおとなの目にもみえないものなのですから。 」

100年以上も前に書かれたこの文章は、今もなお、私たちの心を打つものがあります。

次回の予定      1月28日(木)

2020年 11月19日(土)

「 子どもを祝福する 」

「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。」

( マタイによる福音書 19章13~15節 )

今日は、栄冠幼稚園の幼児祝福式がありました。年長さんが祝福を受け、保護者の方も付き添いました。礼拝堂で行うのは初めてです。先生方から、教会の礼拝堂でやりたいという要望がありました。年長の子供たちは白いガウンを着て、それにステンドグラスの色が映ってきれいでした。年長さんたちの誇らしい気持ちと、それを見ていた年中さんたちの羨ましい気持ちがよく伝わってきました。

イエスさまの所へ子供たちを連れて来た人々を、弟子たちは叱りました。子供たちがうるさいからでしょうか。教会の中でも、このように思う人はいるかも知れません。

イエスさまは「天の国はこのような者たちのものである。」と言われ、子供たちに手を置いて祝福されました。

聖書の語るメッセージが、子供たちにも先生方にも伝わっていき、のびのびとしたキリスト教幼稚園として、これからも良い働きをしていくことを願っています。

今月の本の紹介

『 最初の質問 』 ( 講談社 )                                              詩  長田弘  絵  いせひでこ

「 今日あなたは空を見上げましたか。」

「 あなたにとって、いい一日とはどんな一日ですか。 」

「 うつくしいと、あなたがためらわず言えるものは何ですか。 」

美しい絵と共に、一つ一つの質問を投げかけられながら、心の中で、答えを探す思いが、どんどん深くなっていきます。その問いは深すぎて、すぐには言葉が見つかりません。

「 問いと答えと、いまあなたにとって必要なのはどっちですか。 」

「 あなたは 言葉を信じていますか。 」

次回の予定         12月5日(土)

2020年 10月17日(土)

「 成長させて下さる神様 」

「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」

(コリントの信徒への手紙Ⅰ 3章6節)

先日、栄冠幼稚園の創立114周年の記念礼拝で、この聖書の話をしました。

コリントの教会の中で分派が起こってきました。パウロが基礎を作り、アポロという雄弁な教師がやって来ました。その他にも何人もの教師がいて、その中でどの教師に付くか分派が出てきました。パウロはそれらのことを諭すようにして書いています。

他の場所で発芽した苗が、教会という苗床に植えられました。草取りや水やりなど、何人もの人が働きましたが「成長させて下さったのは神です」

幼稚園にも多くの先生がいますが、子供たちを成長させて下さるのは神様です。人の働きに感謝することは出来ます。しかし、その背後にある神様の働きに心を留めることは大事なことです。

今日は、幼稚園の運動会がありました。先生方もいきいきと働いていました。その背後にある神様の愛が、保護者の皆さんにも届いたのではないかと思いました。それは、キリスト教幼稚園の願いです。

今月の本の紹介

今回は「プラスチック・フリー生活」(NHK出版)「ゼロ・ウエイスト・ホーム」(TKC中央出版)の2冊の本を紹介して頂きました。

日本では、レジ袋の有料化など始まったばかりですが、海洋プラスチック問題を初めプラごみからくる環境や人体への影響の問題は、世界共通の課題です。海鳥や他の生き物のお腹から沢山のポリ袋やプラスチック片などが見つかったという話は最近よく聞かれますが、このままでいくと、いずれ海の中の魚の数よりもプラごみの量の方が多くなることが予測されているそうです。

また多くの人が利用しているペットボトルや、 コンビニ、スーパーのお弁当の容器などが溶け出してしまうことによって、環境や人体への悪影響があること、歯磨き粉や洗顔料の中にもスクラブなどのマイクロプラスチックの粒子が含まれているものがあることなど、私たちが知らないことが多くあります。

私たちが出来ることは、それらのプラごみを少しでも減らすことが出来るように、生活の中で小さな努力を重ねていくことだと思います。

次回の予定      11月19日(木)

2020年 9月10日(木)

「 教会という羊の群れ 」

「 わたしたちは主のもの、その民 主に養われる羊の群れ。」   ( 詩編 100編3節 )

羊という動物は力が弱く、自分を守ることが出来ません。人から守ってもらう一方です。道に迷っても、自分で道を捜すことはなく、前にいる仲間の後をついて行く習性があります。そんな弱い羊ですが、すごい力を持っています。自分を養ってくれる羊飼いの声を聞き分けることが出来るのです。

ヨハネによる福音書10章16節では、羊が「わたしの声を聞き分ける」と言っています。他の人の声と、自分の飼い主の声を聞き分けることが出来るのです。

聖書には「羊」「羊飼い」「群れ」という言葉がたくさん出て来ます。

何匹かの羊がたまたま群れているのを「群れ」とは言いません。一人の羊飼いに養われているものを「群れ」と呼びます。私たち教会の「群れ」は、一人一人の居場所というだけでなく、私たちの存在全部を受け入れて頂き、群れの一人一人がかけがえのない存在として愛されている場所です。

イエスさまという一人の羊飼いが、私たち羊の群れを命をかけて愛し、導いて下さっている。それが教会の大事なところです。

今日は ゴスペルソングを2曲紹介して頂きました。

①「  IT’S GONNA RAIN 」(雨になりそう)

この曲は、雨が降って来て、ノアの箱舟に入る前の人々の様子を、4つのパートに分かれて歌った曲です。洪水という、命にかかわるたいへんな状況を、あまり重苦しくない軽いテンポで歌っています。

「YOU BETTER RUN IN THE ARK BEFORE THE RAIN STARTS」

(雨が降る前に、急いで箱舟に走りこめ)

②「 MELODIES FROM HEAVEN 」

こちらも、しっとりとした雨の歌です。

「MELODIES FROM HEAVEN RAIN DOWN ON ME」

(天からの 美しい旋律が 雨のように 私の上に 降り注いで下さい)

この日は雨の日だったので、雨がテーマの歌を紹介して頂きました。

雨降りの日に聴いて、神様に思いをはせるのもいいですね。

次回の予定       10月17日(土)

2020年 8月22日(土)

「 世に属さない者 」

「 あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。 」

(ヨハネによる福音書 16章33節)

今日の御言葉は、ヨハネによる福音書13章の初めから17章の終わりまでの、イエスさまの長い説教の中の一つの御言葉です。イエスさまが十字架につけられる前の、最後の晩餐の後の決別説教という大事なところです。

イエスさまは弟子たちに、これから あなたがたには苦難があるということをはっきり言われます。それは弟子たちが「世に属していない者」だからです。

17章14節でイエスさまは「わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。」と言われています。イエスさまの御言葉によって弟子たちは「世に属する者」ではないのです。この世では苦難があるが、イエスさまはすでに世に勝っていて下さる。これは私たちにとって大きな慰めと励ましです。

私たちは、いつの間にか世の人間と同じようになってはいないだろうか。世に属する者となっていないだろうか。そのことを常に自覚しなければなりません。

私たちは何を大切にして生きるか。私たちは日々、御言葉を聴いて生きています。

それによって、世の人間には属さない「真理に属する者」となっています。

今日のこの御言葉が、励まし、慰めとなり勇気となるように歩んで行きたいです。

今月の本の紹介

今日は、詩人の河野進さんの詩を紹介しました。河野進さんは、岡山の玉島教会の牧師でしたが、ハンセン病の療養所である長島愛生園の礼拝奉仕や、保育園の園長として子どもたちを愛し、その中から多くの詩が生まれました。信仰の詩はもちろん、いきいきした子どもたちの姿や、病弱だったお母さんの思い出、その他 多くの心に残る詩があります。

「 慰め 」

深い悲しみにおそわれても   豊かな慰めはかけよる

明るい朝をむかえない    暗い夜はなく

暖かい春を呼ばない 冷たい冬はない

またたくまの悲しみよ    祈りの焔に加えよ

主の聖霊が励ましていて下さる

「 呼吸 」

どのような苦難を 吸っても

はく息は 希望で ありますように

一呼吸も 主イエスさまの  お恵みですから

( 詩集 「母よ、幸せにしてあげる」より )

次回の予定      9月10日(木)

2020年 7月18日(土)

「 破れから ほとばしる神の恵み 」

「 あなたの神はわたしの神 」            ( ルツ記 1章16節 )

モアブという異邦の地で、夫と二人の息子を亡くしたナオミは、二人の若い嫁をモアブに残して、故郷のベツレヘムに帰ろうとします。しかし嫁であるルツは、ナオミと共にベツレヘムへ行くことを選びます。その時にルツがナオミに言った言葉が「あなたの神はわたしの神」です。それはモアブの女性であるルツが、ナオミの信じるイスラエルの聖書の神を信じるということです。

ナオミは優しい姑だったかも知れませんが、模範的な人ではありませんでした。

弱音を吐いたり泣き言も言いました。しかしその破れ目から、ナオミの信仰が見えていたのです。ナオミの人生を支える神の恵みや励ましがルツには見えていました。

私たちの周囲の人にも案外見えているかも知れません。私たちの弱さや欠点、そんな破れからほとばしる神の恵みが、私たちの周りにいる信仰の違う人たちにも伝わっていくことがあるかも知れません。

生きて働いて下さる神様の力はすばらしいです。

今回は 朝日新聞の「 窓 2020 」から 『 机の上「どうぞ」の輪 』という記事を紹介しました。(6月29日)

「 どうぞのいす 」という絵本がありますが、そんな出来事が実際に起こった話です。北九州のある教会に、知人から沢山のパンが届きました。

牧師のTさんが教会の玄関先に、パンを並べたテーブルを出し「ご自由にお持ち帰りください」と貼り紙をしました。2日後、今度は新鮮なタケノコを友人からもらったTさんは、数本をそのテーブルに置きました。するとその夕方、テーブルには沢山の新タマネギが置かれていたのです。Tさんがそのテーブルを「どうぞのつくえ」と名付けると、教会の信者の皆さんが手元にあった缶詰めやインスタントラーメン、ノートなどをテーブルに載せてくれました。それからは、日持ちのする食品や洗剤、お米や手作りマスクなども、「どうぞ」と置いて行く人がいて、「ありがとう」と受け取って行く人がいました。そんな小さな善意と感謝の交換を、テーブルにいるマスクをつけたクマのぬいぐるみがいつも見ています。コロナ禍で人間同士は触れ合えなくても、あたたかい心のつながりを感じたお話です。

次回の予定       8月22日(土)

2020年 6月27日(土)

「 『加える』と『添える』 」

「 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 」

(マタイによる福音書6章31~33節)

「これらのもの」というのは、「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」というような、生活に必要な「衣食住」に関する物のことです。

現在使われている新共同訳聖書では「これらのものはみな加えて与えられる」と訳されていますが、以前の口語訳聖書では「加えて」という言葉を「添えて」と訳しています。

「加える」と「添える」の言葉の違いは何でしょうか?

「美しい衣装が、舞台の演技に花を添える」と言った場合「衣装」と「演技」は同格ではなく、演技が主で、衣装はそれを引き立てるものです。それに対して、「加える」という言葉は両方のものが同格になってしまいます。「神の国と神の義」と「衣食住」が同格のものになってしまうのです。

現在使われている新共同訳聖書が世に出された1980年代は、社会や価値観の多様化ということが言われるようになった時代です。家庭や子どもの主体性や自由に任せるという価値観が大きくなり、教会学校の生徒も減少したようです。

最近新しく出された聖書協会共同訳の聖書では「これらのものはみな添えて与えられる」と訳されています。

今 この時代、本当に大切なもの、優先しなければならないものが求められている、そんな価値観に変わってきていると思います。

皆さんにとって、それは何でしょうか?

今月の本の紹介

「 神話的時間 」   鶴見俊輔 著     ( 熊本子どもの本の研究会 )

かつて人間は、文字の無い、今とは全く違った時間の流れの中で暮らしていました。現代の社会の中で生活している私たちは、ふとした時、そんな時間や空間の中に入り込むことがあります。そのような時間を、哲学者の鶴見俊輔さんは「神話的時間」と呼んでいます。

自分の死を前にする時、また親しい人の死に会う時にも神話的時間は戻ってくる。

幼い子と向き合っている時や自然の中にいる時、動物と無心に過ごす時にも。

人それぞれ、そんな神話的時間を生きることがあります。

神話的時間を生きた作家として、鶴見さんは、ハンセン病の療養所の医師だった神谷美恵子さんや「100万回生きたねこ」を書いた佐野洋子さんを紹介しています。

彼女たちの体験した神話的時間が不思議な力となり、不思議な童話を書かせたり、人への偏見が無い生き方をするようになったということ、そして彼女たちとの出会いが自分にとっての神話的時間だったと鶴見さんは語っています。

次回の予定    7月18日(土)

2020年 5月30日(土)

「 教会に集まるということ 」

「すべてはあなたがたを造り上げるためにすべきです。」

( コリントの信徒への手紙Ⅱ 14章26節 )

先月はこの会も休会となり、集まることが出来ませんでした。長く休んでいると、集まることが大事だということを思わされます。

教会の大きな特長は、皆が集まることです。教会という言葉の元になっている「エクレーシア」という言葉は「呼び集められた者たち」という意味です。それぞれが自分の名前を呼ばれて集められた群れが教会です。

新型コロナウイルスの拡大が深刻になり、教団からの注意喚起もされました。多くの教会が礼拝を休むことを余儀なくされました。オンライン礼拝を行っていた教会もありました。集まることをやめてしまうと、教会そのものが求心力を失い、霊的な力がそぎおとされてしまうという危険性があると思います。この教会も出席者が少なくなり、どうしようかと思った時期もありましたが、何とか休まずに礼拝を守ることが出来ました。それは教会に来ることが出来ない人にとっても、支えになったのではないかと思います。今日は少人数でしたが、集まることが出来て良かったです。

「すべてはあなたがたを造り上げるためにすべきです」という今日の御言葉を覚えて、今回示されてきたことを、これからの歩みに地道に生かしていきたいです。

今月の本の紹介

『 ねこの看護師 ラディ 』 (講談社)

文 渕上サトリーノ   絵 上杉忠弘

これは 実話に基づいた絵本です。こねこのラディが動物保護施設に連れて来られた時には、もう死ぬのを待っているだけのように見えました、

しかし3ヶ月後、ラディはまるで奇跡のように元気になりました。

やがてラディは、傷ついた動物たちが運びこまれて来るたび、そのそばにまるで看護師のように寄り添うようになりました。

「ラディは ふしぎなねこです。病気をなおせるわけではありません。でも そこにいるだけで おだやかな空気が 動物たちをつつむのです。」

こんなラディの姿は、私たち人間の心もいやしてくれます。

次回の予定      6月27日(土)

2020年 3月21日(土)

「 見えないものを見る 」

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。」            ( コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章18節 )

「見えないものに目を注ぐ」とは、じっと見つめることによって、その背後にある物事に心を留めるということです。イエスさまは「空の鳥をよく見なさい」と言われます。

じっと見つめなさい。そして その背後にある方に目を向けなさい。真実であり、命を下さる方に心を留めなさいと言われています。

ヘブライ人への手紙11章には「信仰とは、見えない事実を確認することです。」と書かれています。

出エジプト記14章では、荒野でエジプト軍に追われていたイスラエルの人々が モーセに向かって不満を言った時、モーセは言いました。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」多くの人が動揺していた時も、モーセは見えないもの、主の御心に目を向けていたのです。

列王記下6章では、軍隊が町を包囲している時にも、エリシャには 火の馬と戦車が彼を囲んで山に満ちているのが見えていました。

礼拝出席や献金などが少なくなっていることがよく言われますが、無いものをマイナスに考えるだけではなく、一人一人が礼拝者として立っていることを喜んでいいと思います。人生の最後に、何も無くなったところで透けて見える 礼拝者としての姿があります。今見えるものが これしか無いというのではなく、その背後にある 見えない神様の力を信じていきたいです。

今月の本の紹介

『 ベルナルさんの ぼうし 』  ( いまい あやの )  BⅬ出版

くまのベルナルさんは いつもひとりぼっちです。ある日、ベルナルさんのぼうしにキツツキが穴をあけて 巣を作りました。ほかの鳥たちもやって来ます。すると、ぼうしに ふしぎなことがおこりました!  絵もかわいくて ふしぎな絵本です。

2020年 2月15日(土)

「 キリストの真実 」

「 イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。 」     ( ローマの信徒への手紙 3章22節)

今日の聖書は「信じる者すべてに与えられる神の義」について書かれています。

新共同訳聖書では「イエス・キリストを信じることにより」と書いてありますが、新しく出された聖書協会共同訳の聖書を見ると「イエス・キリストの真実によって」と訳されています。「イエス・キリストを信じることにより」というのは人間の側が主体となりますが「イエス・キリストの真実によって」という表現になると、主体はイエス・キリストになっていて、イエスさまが私たち人間を信頼して下さることによってという客観的な意味となります。

私たちの信仰は主観的になってしまいがちですが、客観的信仰を大切にしなければなりません。主観的だと、他の人の信仰に対して批判的になってしまうことが多くあります。客観的信仰とは、神様が私たちを信頼し、とらえて下さることを信じることです。

ヨハネによる福音書15章でイエスさまは「わたしにつながっていなさい。」と言われ、さらに「わたしもあなたがたにつながっている。」と言われます。

教会に、イエスさまにつながれない時期が誰にでもあります。

どんな時でも、いつも私たちにつながっていて下さるイエス・キリストの真実を大事にして歩んで行きたいです。

今月の本の紹介

『 雪渡り 』   宮沢賢治

「 堅雪かんこ、しみ雪しんこ。」

雪がすっかりこおったある日、四郎とかん子は 小ぎつねの紺三郎と出会いました。

キック、キック、トントン。キック、キック、トントン。

そして二人は、きつね小学校の幻灯会に招かれます。小ぎつねたちとの 心あたたまる交流を描いた物語です。

次回の予定         3月21日(土)

2020年 1月23日(木)

「 礼拝者として生きること 」

「彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。」            ( ヘブライ人への手紙 11章13~16節 )

長く金沢で伝道されていたO先生は、以前「牧師の務めは、信徒一人一人を丁寧に天国に送ることです」と言われていました。その時は、高齢の教会員が多いので、それぞれの葬儀を丁寧に行なうことだと思っていました。

今、その言葉のことを考えると、「礼拝者としての信徒たちの意志や姿勢を、最後まで支えて 天国まで送る」ということだと思うのです。

高齢になって礼拝に来ることが出来ない、献金も出来ない、何も出来なくなってから礼拝者として輝き始める方がおられます。最後には牧師もそこに入ることは出来ず、神様と自分が1対1の関係で向き合います。 教会に来ることが出来なくても、真っ直ぐに天を仰ぎ見、礼拝者としての生き方を、ブレずに通している方もおられます。

私たちは お互いの交わりの中で、礼拝者の姿勢を学び合い、励まし合うことが出来ます。良い交わりの中で、礼拝者として支え合い、高め合っていきたいです。

『スーパー主婦の直伝スゴ技!』(新潮社)

今回はNHK「あさイチ」のディレクターをされていた伊豫部紀子さんの本から、片付けの方法など、実行して良かったことなどを紹介して頂きました。

片付けや整理整頓は、誰でも頭を悩ませることが多いです。

引き出し一つでも、今よく使う物を取り出しやすくすること、あまり使わない物は奥にしまう。(処分する) また、引き出しの仕切りに、道具を買わなくても 牛乳パックを利用する方法も紹介されていました。                      片付け上手な人の例として、ペンや鉛筆などは 数本出して置くと 無くなりやすいけれど、一本だけにしておくと無くならないようです。               ちょっとの工夫で いろいろな無駄を省き すっきりした生活をしたいですね。

次回の予定            2月15日(土)

2019年 12月7日(土)

「 心に場所を空けておく  」

「 宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」            ( ルカによる福音書 2章7節 )

アドベント(待降節)に入りました。アドベントクランツのろうそくの火が、毎週1本ずつ増えていき、4本になるとクリスマスが来ます。

日本人は、時は流れるものと考えますが、聖書では 時が満ちていくという考え方をしています。

「満ちる時」という考え方は 砂時計と似ています。実現する時に向かって、砂が落ちるのです。

旧約聖書の時代からの長い時が流れて、ベツレヘムの馬小屋で、マリアが男の子を産みました。旅の途中だったマリアとヨセフには、泊まる家が無かったのです。

「家」は「心」を表しています。人々の心に、イエスさまを迎える場所がなかったのです。忙し過ぎると、心に余裕が無くなってしまいます。

心のどこかに場所を空けておくことで、神様から良い物を頂くことが出来ます。

クリスマスに私たちは、神様から最大の贈り物「イエスさま」を頂きます。

私たちも、愛する人と一番良い物を分かち合いましょう。

クリスマス祝会に向けて、オリーブの会の皆さんで、歌とハンドベルの練習をしました。

毎年歌っている「とおいそらのかなたから」はフランスのカロルです。イエスさまがお生まれになった夜の様子が目に浮かぶような、きれいな曲です。

「さやかに星はきらめき」は歌詞も曲もとても美しくて、クリスマスの喜びで、心がいっぱいになるような感動的な歌です。なかなか皆さんがそろって練習出来る時間がありませんが、心を一つにして、楽しんで歌えたらいいです。

次回の予定         1月23日(木)

2019年 11月28日(木)

「 願いを素直に言い表す 」

「 イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間 病気であるのを知って、『良くなりたいか』と言われた。 」

( ヨハネによる福音書 5章1節~9節 )

ベトザタの池で、38年もの間 病気で苦しんでいる人が、イエスさまと出会いました。水が動いた時、真っ先に水に入る者はいやされると言われていました。

長年 彼はここで望みをつないでいましたが、横たわっているため、自分で水に入ることが出来ません。イエスさまは彼に「良くなりたいか」と問いかけます。

しかし彼は、その大事な問いかけに「良くなりたい」と答えることが出来ませんでした。自分の願いを、素直に言い表すことが出来なかったのです。

「水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。」と文句を言っているように聞こえます。厳しい現実の中で、自分の望みをなかばあきらめているのかも知れません。

イエスさまはそんな彼の願いを知り、病いをいやされたので、彼は起き上がって歩き出すことが出来ました。

私たちも、現実に目を向けた時、その願いが消えてしまいそうな時があります。しかし、いつでも主に向かい、願いを素直に言い表すことは大事です。

イエスさまの呼びかけを、素直に受け取る者となりたいですね。

今日は、「 なまえのないねこ 」という絵本を紹介させて頂きました。   ( 竹下文子 文  町田尚子 絵   小峰書店 )

「 ぼくは ねこ。なまえのない ねこ。まちの ねこたちは、みんな なまえを もっている。」 ねこは、まちをあるきながら、すきななまえを さがします。ひとりぼっちのねこが さいごにみつけた「ほんとうに ほしかったものとは?」メロンいろの目をしたねこの表情が、とてもいとおしくて、心がきゅんとするような 素敵な絵本です。

次回の予定       12月7日(土)

2019年 10月5日(土)

「杖の先に寄りかかって」

施設におられる方を訪問して、礼拝を守ります。賛美と祈りだけの小さな礼拝です。
認知症が進んで、言葉はありませんが、賛美をとても喜んでくださいます。
最初、私たちは、これを見て、「反応はわずかだけど、喜んでくれたね」と言い合っていました。
しかし、じつはこれがこの人の心からの礼拝だったのです。こんな御言葉があります。
「信仰によって、ヤコブは死に臨んで、ヨセフの息子たちの一人一人のために祝福を祈り、
杖の先に寄りかかって礼拝しました。」(ヘブライ人への手紙11章21節)
 この御言葉は礼拝の本質を突いています。礼拝や祈りというのは、私たちだけの行為では
ありません。相手があるものです。しかも、その相手は私たちの父なる神様です。
このお方が、杖の先によりかかる破れの多い礼拝を、心からの礼拝として喜んでくださる。
言葉にならない呻きや人知れず流す涙さえ、祈りとして引き上げてくださる。
あの姉妹のわずかな反応を「心からの礼拝」として受け入れておられるのは、このお方だったのです。
このお方への信頼ゆえに、私たちはすべてを投げ出して礼拝することが出来る。
認知症が進み、聖書も賛美歌も、祈ることすらわからなくなっても、礼拝だけは出来る。
礼拝とは、詰まるところ、そういうことだと思うのです。

今日の本の紹介  かみさまからのおくりもの(樋口道子)

子育てにつかれているお母さんに心休まるお話の本でした。ぜひ読んでみて下さい。

次回の予定    11月

2019年 9月12日(木)

「 イエスはまことのぶどうの木 」

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」    ( ヨハネによる福音書15章1節~5節 )

イエス様が弟子たちに語られたたとえ話ですが、なぜイエス様はぶどうの木にたとえられたのでしょう。本物のぶどうの木を見てから、それがわかりました。

他の木の幹は、自分が成長するために、枝から養分をもらっています。でも、ぶどうの木の幹はひょろひょろしていて、そこから枝が伸びています。枝にはぶどうの実が豊かに実っていて、幹はその枝を成長させるようにして伸びています。

イエス様は私たちを成長させるため、実を結ばせるためにつながって下さっています。

日本の社会は、自分の思い通りに出来ない、自由ではないことが多くあります。

職場や家族のことが優先されて、日曜日に教会に来ることが出来ないことも多くありのます。でも、イエス様はどんな時でも私たちにつながっていて下さるという約束を信じて、私たちも安心してイエス様とつながって過ごしていきたいものです。

今日は 「視点を変えて見てみれば」―19歳からのキリスト教―(塩谷直也著)という本を紹介して頂きました。(日本キリスト教団出版局)

焦る癖のある著者は「神さま、焦る心、はやる心を取り除いてください」とずっと祈っていました。「焦る自分は神さまの役に立たない。焦らない、ゆったりとした自分こそが正しい姿だ」という考えがあったのです。

しかし今は「焦る心も用いてください」と祈るようになりました。貧しくても豊かでも、満腹していても空腹であっても、ゆったりしていても焦っていても、神様は働かれるのです。晴れの日も雨の日も働いて下さる神様は、明るい色も暗い色も全ての色を価値ある色としてお使いになる方。全ての色がこの世界に必要だと気づく時、私たちは自由になり、貧しくても豊かでも、欠点があっても不完全でもいいんだということがわかるのです。

次回の予定            10月5日(土)

2019年 8月3日(土)

「 生活の中で養われる信仰 」

「彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」                                           ( ルカによる福音書8章1~3節 )

ルカは福音書の中で、女性たちの働きを、あたたかいまなざしで細やかに描いています。ルカはパウロの弟子でしたが、教会の中で女性たちが大切な働きを荷っていたことを見ていたのでしょう。イエス様によって悪霊を追い出してもらったマグダラのマリアや、ヘロデの家令の妻ヨハナ、スサンナやその他の多くの婦人たちの奉仕について書かれています。彼女たちは、自分たちの持ち物を出し合って、捧げ物の奉仕をしました。

イエス様と弟子たちの旅に同行し、食べ物や宿の準備、洗濯など、旅に必要な生活全般の奉仕を、女性らしい心使いで行っていたのでしょう。彼女たちの信仰は、生活に密着したものでした。

イエス様が十字架につけられる時、弟子たちは逃げてしまいましたが、女性たちは逃げることなく、墓に葬られる時も一緒にいました。またイエス様が復活されたことを真っ先に知ったのも、イエス様の体に香油を塗りに行った婦人たちでした。天使にイエス様の復活を知らされた時、彼女たちはすぐにイエス様が生きておられることがわかりました。

彼女たちの、生活に密着した信仰が養われ、それが後に教会を作り上げていくことになるのです。

現代はストレスの多い時代です。今回は、新潟大学の名誉教授だった阿保徹氏の

「病気にならない免疫生活」という本を紹介して頂きました。(中経の文庫)

ストレスの多い生活や、怒りの気持ちが多い生き方をしている人は病気にかかりやすい。癌になりやすい人は、長時間労働の人や、人間関係の中で頑張りすぎたり、手を抜けない人が多いといいます。そして「ありがとう」と感謝する生き方をすることで、心が穏やかになり、癌が自然に退縮する体へと変わっていくのだそうです。

ストレスをためないことが大事であるという話題から、皆さんが抱えている悩みや、それぞれのストレス解消の方法などについて話し合うことが出来、とても良い時間となりました。また、体と心に優しい食べ物の紹介として、野菜スープのいろいろな作り方も教えて頂きました。

次回の予定      9月12日(木)

2019年6月15日(土)

「 信仰を言い表す 」

「 あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。 」

(マタイによる福音書  16章13節~18節)

イエス様が、フィリポ・カイサリア地方に行かれた時、弟子たちに「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになりました。人々がイエス様のことを「洗礼者ヨハネ」だと言ったり、「エリヤ」や「エレミヤ」のような預言者の一人だと言っていることを、弟子たちはイエス様に伝えました。人々は、自分たちがよく知っている預言者たちの再来のように、イエス様のことを説明しようとしていました。

イエス様は弟子たちに言われました。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えます。

この信仰の告白にイエス様は「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」と言われました。カトリック教会では、ペトロという人間そのものを「岩」として解釈していますが、プロテスタントでは「ペトロの信仰の上に」教会を建てると理解しています。イエス様はペトロに「あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」と言われます。ペトロのこの告白の言葉は、人間の経験から出て来たものではなく、神様から与えられた言葉であり、賛美であり、告白なのです。私たちの信仰も、自分の経験によるものではなく、父なる神様があなたに現して下さったということを、イエス様は教えて下さるのです。

今回は、福井出身の宮下奈都さんの「 羊と鋼の森 」を紹介させて頂きました。

この小説は、2016年本屋大賞他、複数の賞に選ばれています。

音楽にもピアノにも全く無縁だった青年が、ピアノの調律師を目指して行く話です。

多くの人との出会いの中で、不安や劣等感を抱えたりしながらも音楽を愛し、調律師として成長していく姿は、私たちにも、努力していくことへの勇気と希望を与えてくれます。特に、主人公が耳にする音楽や音そのものを表現する言葉が、とても豊かで喜びに満ちていて、言葉や文章の美しさに自分も感動しました。

次回の予定           8月3日(土)

2019年 5月30日(木)

「 いやしと救い 」

「 あなたの信仰があなたを救った 」

( マルコによる福音書 5章34節 )

これは、聖書の中でイエス様が言われた言葉ですが、いったい何人の人がこの言葉をかけられたでしょうか?どの場面で出てくる言葉か、思い浮かべることが出来ますか?長年 出血が止まらない病気の女の人や、道端に座っていた盲人、また皮膚病をわずらっていた人など、イエス様にいやされ、この言葉をかけられた人が聖書に出て来ます。

最近、一般的にも「いやし」ということがもてはやされていますが、「いやし」と「救い」とは別のものです。教会の中でも、そのことがはっきりわかっていない人もいるかも知れません。

何年も婦人病で苦しんでいた女性は、イエス様の服を後から触った時、病気がいやされました。この時、身体はいやされたけれど、心はまだ、いやされてはいませんでした。

女性が怯えながらも、イエス様の前に出て行き、ありのままを話した時「あなたの信仰があなたを救った」と言葉をかけられ、その時、彼女の心もいやされ、救われたのです。

重い皮膚病をわずらっていた10人の人は、イエス様によって病いをいやされましたが、その中の1人だけが、イエス様のもとに戻って来て感謝を表しました。イエス様の前に出て行った時、彼はその信仰によって救われたことを告げられました。

それぞれが遣わされた場所から戻って来て、イエス様の前に出ること、これは大事な礼拝者の姿だと思います。

今回は、ゴスペルソングを2曲紹介して頂きました。

1 「KUMBAYA」

アフリカ民謡がもとになっているこの曲は 「主よおいでください」という曲名で讃美歌21にものっています。この曲を現代風にアレンジして、カート・カーが歌っています。とても迫力ある曲で、神様を強く求める祈りの言葉は、昔も今も、人種も国境も越えて同じなんだと深く感じました。

2 「Ⅰ NEED YOU TO SURVIVE」

曲名は、「あなたに、生き抜いていて欲しい」という意味があります。

ヘズカイヤ・ウォーカーが歌っているこの曲は、アメリカの同時多発テロの後、遺族のためのライブで歌われた曲です。自分と相性が悪かった人もテロの犠牲になり、いなくなった後で、彼に教えられたり、気づかされたことが多かったこと、また失敗や嫌な経験も、神様が必要なものとして与えて下さっていること、そんな思いがこの歌に込められているということです。

次回の予定                 6月15日(土)

2019年 4月11日(木)

「 命令と約束 」

「 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。 」

( ヨハネによる福音書15章4節 )

これは、イエス様が弟子たちに語られた大事な説教ですが、この中には弟子たちへの「命令」と「約束」が語られています。

「わたしにつながっていなさい」という命令と「わたしもあなたがたにつながっている」という約束です。

このように、イエス様の命令と約束が語られているところは他にもあり、ルカによる福音書22章では、ペトロに向かって「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と語られています。これも、「兄弟たちを力づけてやりなさい」という命令と共に「わたしがあなたを立ち直らせてあげる」という約束がこめられています。

イエス様が十字架につけられる時、ペトロは大祭司の中庭で焚き火にあたっていましたが、イエスの弟子だということを人々に指摘され、わたしはイエスのことを知らないと3度否定しました。鶏が鳴き、イエス様を裏切ってしまったペトロは激しく泣きました。人は、後悔からだけでは立ち直れませんが、イエス様が立ち直らせて下さるという約束をしっかり信じた時、ペトロはそこから立ち上がることが出来たのです。

自分がイエス様に、頑張ってつながっているだけでなく、「わたしもあなたがたにつながっている」と言われるイエス様の約束を信じることで、人は弱さから立ち上がり、また歩んでいくことが出来るのではないかと思います。

最近 受洗された方がおられます。その陰で、長年にわたる奥様の祈りがあったことを思います。自分の力だけではつながっていることが出来ない時もあります。

イエス様がつながっていて下さること、その約束をしっかり信じるということ、

この1点を忘れず歩んで行くことが、信仰生活には大事なことです。

今回は「 ちいさなごるり 」という絵本を紹介させて頂きました。        

( 松居スーザン 文   堀川真 絵  童心社 )

ごるりは いたずらっこであまえんぼの ちいさなばけもののおとこのこです。

ごるりはおかあさんにききます。「 ぼくって どういうぼくだろう?」

おかあさんは ごるりが どういうごるりかを やさしくおはなししてくれます。

こどもが大きくなる時、自分のこと、身近なこと、世界のことがもっともっと知りたくなり、いろいろなふしぎな質問をしてくることがよくあります。

わんぱくなごるりと、やさしいおかあさんと、そして、かわいいいもうとのてるりの、心がほかほかしてくるようなお話です。

次回の予定                 5月30日(木)

2019年3月28日(土)

「 経験の土俵から出る 」

「 わたしは復活であり、命である。 」 ( ヨハネによる福音書11章25節 )

イエス様は「復活」について語られ、「このことを信じるか」と言われます。

「復活」について、よくわからないという人は多いかも知れません。自分で見て納得したことは信じることが出来ますが、経験上 あり得ないと思うことは、なかなか信じることが出来ません。

聖書の中にも、証拠が無いので納得出来ない、信じることが出来ないという人は出て来ます。誰でも、自分の経験という土俵の中から出ることは難しいことだと思います。

聖書は経験のメッセージを語りません。イエス様は「わたしを信じる者は、死んでも生きる。」「生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことは無い。」と言われます。

ペトロは経験の土俵から踏み出すことが出来た人です。イエス様の「来なさい」という言葉を信じて、湖の上に一歩踏み出します。水の上を歩こうとするなんて、常識的に考えてなかなか出来ないことです。

経験の裾野は広く、私たちは、自分の経験だけではなく、世間一般の経験で多くのことを知ることが出来ます。

イエス様は、経験で知り得ないことを、たとえ話で教え、伝えてくれます。

経験や理解という土俵の中から一歩踏み出すことを、一生に一度は求められることがあるのではないでしょうか。一緒にその土俵を飛び越えて行きましょうということを、日曜日のメッセージの中で伝えていきたいです。

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東日本大震災から8年経ちました。岩手県の陸前高田に住む人からの手紙を、オリーブの会で読ませて頂きました。多くの方が亡くなられ、彼女も中学生だった甥御さんを亡くされたとのことでした。家や街は復旧できても、命は戻って来ない。

8年経っても深い悲しみは消えませんが、全国各地からボランティアが来て下さることで支えられ、癒され、感謝の気持ちは言い表せないぐらいです。「 忘れないで欲しい 」それが被災地の望みです。と書かれていました。去年の夏、北陸学院大学の学生がボランティアで被災地へ行き、地元の皆さんと花壇作りをしました。その時 持ち帰った球根の花が、この春咲きました。今、同じ時を生きている私たちが出来ることは「忘れないこと」そして「祈り続けること」。ひとつの花が咲くたびに、皆さんの心にも花が咲きますように、祈り続けたいです。

今回は 「 60秒の奇跡 」(子ネコがつくったピアノ曲)という絵本を紹介させて頂きました。(文 レズリア・ニューマン 絵 エイミー・ジューン・ベイツ)

アメリカで、本当にあった話です。作曲家のモシェ・コテルは町で子ネコに出会い一緒に暮らし始めます。60秒以内で曲を作ることに行き詰まっていたモシェを励まそうと、子ネコはピアノの鍵盤の上を歩きます。するとその時、奇跡のように小さな曲が生まれました!それは、1分間コンテストで演奏されて注目を浴び、子ネコは作曲者として紹介されました。小切手を受け取った子ネコは、キャットフードを沢山買ってもらったということです。この「 ピアノのための小曲:四本のあんよ 」は60秒のピアノ曲としてCDになっているそうです。聴いてみたいですね!

陸前高田からきた水仙

次回の予定      4月11日(木)

2019年 2月16日(土)

「 客観的信仰 」

「 彼らの中に、不誠実な者たちがいたにせよ、その不誠実のせいで、神の誠実が無にされるとでもいうのですか。 」

( ローマの信徒への手紙 3章3節 )

皆さんは「客観的な信仰」という言葉を聞いたことがありますか?

信仰には、「主観的信仰」と「客観的信仰」があります。

「主観的信仰」とは「自分の信仰は強い、弱い」とか「あの人の信仰は幼い」とか「熱心だ」など、人の信仰の中味を問うようなとらえ方です。そのような信仰のとらえ方は、ともすれば 人を評価したり、自分を卑下したりしてしまいがちです。

それに対して「客観的信仰」とは「神がこの人を捕らえておられる」「神がこの人を愛しておられる」というとらえ方です。

いつか誰でも、認知症などの病気や老化で、記憶や意識が無くなり、自分の信仰や神様のことがわからなくなることがあるかも知れません。その時に大事なのは「神はその人の手を捕らえて離さない」ということです。

以前、認知症で信仰の応答が出来ない方の葬儀を教会でしたいという、娘さんからの要望がありました。神がその方を愛しておられることがわかり、洗礼を受けることが出来ました。

「主観的信仰」は一人で芽生えるのではなく「客観的信仰」の揺りかごの中で育まれ、愛され、歩んで来ることが出来た、それを知っていることは大事なことです。

聖書の中には 沢山の「客観的信仰」が出て来ます。アブラハムへの祝福は、彼の行動などを問わない一方的な祝福でした。神は「私は アブラハムの神 イサクの神 ヤコブの神である」と言われます。「アブラハムの神だった」のではなく、今も「アブラハムの神」なのです。心のどこかに それを覚えていて下さい。

今回は 星野富広さんの「あなたの手のひら」を紹介して頂きました。

その中から「命一式」と「雪割草」の詩を読んで頂きました。

「雪割草」の中の「さあ 古い悩みなんか吐き出し 新しい困難を思い切り燃やし 今日という原野を走ろう」という言葉に元気づけられます。

また「おわりに」の中にこんな文章がありました。「絵も詩も少し欠けていた方が良いような気がします。欠けているもの同士が一枚の画用紙の中におさまった時、調和のとれた作品になるのです。これは詩画だけでなく、私達の家庭も社会も同じような気がします。欠けている事を知っている者なら、助けあうのは自然な事です。」

星野さんの描く美しい絵とやさしい文は、いつも私たちに大切なことを気づかせてくれますね。

次回の予定             3月28日(木)

恋猫

2018年 12月6日(木)

「 クリスマスおめでとう 」

「 おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。 」

( ルカによる福音書1章26節~38節 )

待降節に入りました。新年の挨拶を辞退する葉書を見るたびに思い出す言葉です。

毎年この時期になると、金沢のキリスト教幼稚園の子どもたちが、百貨店のステージでクリスマスソングを披露します。

子どもたちの元気な歌声と「メリークリスマス!」の声が響きます。

「メリークリスマス」の挨拶は、「おめでとう」という意味があります。

子どもたちの歌声の中に喜びがあふれています。

日本では、悲しんでいる人におめでとうを言ってはいけないという文化があります。

しかし天使がマリアに言った「おめでとう、主があなたと共におられる。」という言葉は、悲しんでいる人、苦しんでいる人、泣いている人に向けられたメッセージです。

クリスマスの「おめでとう」は「主があなたと共におられる」という喜びのメッセージであり、すべての人に告げられる救いの知らせなのです。

今年の最後に、このメッセージを聴きましょう。

今回は 「 やまあらしぼうやのクリスマス 」という絵本を紹介しました。

( グランまま社 )

どうぶつのこどもたちが クリスマスのげきをするきせつ、やまあらしぼうやは、げきに出たいと思っています。でも、ほかのどうぶつたちは やまあらしぼうやを

「 とげとげボール! 」と言ってからかいます。

泣いているぼうやにおかあさんは 「 ぼうやはおかあさんの こころのひかり 」 と言ってだきしめました。

さてクリスマスの日、ぶたいがかりとそうじがかりだったやまあらしぼうやに、びっくりすることがおこりました!

次回の予定            1月31日(木)

2018年 11月8日(木)

「 願うことと 必要なこと 」

「 あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存知なのだ。」

( マタイによる福音書 6章8節 )

私たちは神様に向かって、今必要なことを願ったり祈ったりします。

しかし神様は、私たちが今願うことではなく、本当に必要なものをあたえて下さいます。

私たちが思うこととは全く違う方向に、道が開かれて来ることがあります。

後になってみてから、思っていたこととは違っていたが、良い方向が示されていたということがわかるのです。

ルカによる福音書に、ザカリアの物語があります。洗礼者ヨハネの父であるザカリアは、幼子誕生の知らせを信じることが出来ませんでした。彼は、ヨハネの誕生まで言葉を奪われ、話すことが出来なくなりました。沈黙が与えられ、彼は黙想しました。

ヨハネが生まれた時「ほめたたえよ」と預言の言葉が出て来ました。

奪われたのか、与えられたのか。奪われたようだけれど、与えられていることがあります。自分の願うものではないが、必要なものが与えられるのです。

ヨブ記では、ヨブの問いかけに対しての神様の答えは、それ以上の深い呼びかけとなって返ってきます。

私たちは神様に問いかける時、物語の登場人物が、 「鏡よ 鏡よ」と問いかけるように、自分が期待している答えを求めていないでしょうか。

求めるものがそのまま返って来ないけれど、それよりももっとふさわしいものが与えられていたことが、後になってからわかるということはしばしばあるのではないでしょうか。

今回は 「 マローンおばさん 」 (エリナー・ファージョン こぐま社)

というポエムストーリーを紹介しました。

ひとりぼっちのマローンおばさんのもとに、弱った森の動物たちが次々訪れます。

マローンおばさんはそんな動物たちを、いつも「あんたの居場所くらい、ここにあるよ」と喜んで迎え入れ、自分のわずかな持ち物や食べ物を分け与えます。

そんなマローンおばさんの生き方に、

「悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。」

というコリントⅡの御言葉を思い出しました。

次回の予定            12月6日(木)

2018年10月11日(木)

今回のオリーブの会では、あまり人数が集まらなかったので、今後の会の予定などを話し合いました。また、殺処分から救出された犬たちがセラピードックとして活躍し、お年寄りの心のケアや機能回復のために働いてくれているという新聞記事を読みながら、それについての話をしました。

次回の予定            11月8日(木)

2018年 9月19日(水)

「子供たちをわたしのところに来させなさい。」

2015年9月11日に「信仰を語る女子会」として再発足したオリーブの会ですが、今月で3年目を迎え、今日が37回目となりました。

出席者が少ない時もありましたが、毎月欠かさず行うことが出来たことは感謝です。これからもこのオリーブの会が恵み豊かな場として活動していくことが出来るよう祈っていきたいと思います。

人々が子どもたちをイエス様のもとへ連れて来ました。弟子たちはこの人々を叱りました。すると、イエス様は「子どもたちをわたしのとことに来させなさい」と言われました(マルコによる福音書10章14節)。

「来させる」というのは「連れて来る」こととは違います。「連れて来る」のは、体を引っ張って連れて来るのです。しかし、「来させる」というのは、子どもの心に働きかけて、自分で来ようとするのを妨げないようにと、イエス様はそう言っておられるのです。

子どもは自分の疑問をストレートに聞いてきます。ある子どもが「ぼくらのやってる献金が先生の給料になるのんか」と訊いてきました。否定する答えも出来ましたが、牧師は「そうや、ぎょうさん献金してや」と答えました。すると、その子は嬉しそうに「うん」と言ったそうです。

牧師が講師を勤めていたキリスト教の短大で、あまり笑わないクールな学生がいました。小学校からミッションで育ち、聖書に触れていましたが、高学年になるにつれて、キリスト教が自分たちの問題や悩みに答えてくれるのかが疑問になってきます。教師に質問しても、正統性のある答えしか返って来ず、心に響く答えは聞くことが出来ません。そのようなキリスト教主義の環境の中で、キリスト教に不信感や失望を抱いて「ミッション疲れ」になってしまったのでしょうか。

子どもたちが抱く疑問や願いをはぐらかさないで答える教会でありたいです。子どもは、自分が受け入れられているか歓迎されているかに敏感です。いつでも子どもを迎え入れられる教会でありたですね。

今日は「大きな緑の木の下で」パトリク・マケリゴット著(いのちのことば社)を紹介しました。

イギリス人宣教師が日本での子育て体験を書いたエッセイです。三人の子どもたちとの暮らしを通し、神様の愛が語られています。

キャンプでのカヌーの体験の話があります。

「車に乗る時、子どもたちは後ろの席にお客さんのように座り、退屈になるのですぐけんかをします。しかし、カヌーに乗ると、みんなが力を出し合って漕ぎ、目的地に着くまで協力し合うので、けんかになりません。何でも親任せの車型の家庭ではなく、家族全員が協力するカヌー型の家庭になることで、人間関係がより良い方向に成長するのではないかと思います。」

心に残る言葉です。

*次回の予定 10月11日(木)

オリーブの会の3年目のお祝いをしました。

2018年 8月30日(木)

「 見ないで信じる信仰 」

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」

(ヘブライ人への手紙 11章1節)

復活されたイエス様とそれを疑うトマスの物語では、イエス様は 「見ないのに信じる人は、幸いである。」とトマスに言われます(ヨハネ20・29)

「見ないで信じる信仰」に目を向けると、聖書の読み方は変わってきます。

ルカによる福音書17章では、重い皮膚病を患っている10人の人をイエス様がいやされる物語があります。その時代、その病気は神に呪われていると思われていて、祭司の所で清められなければ、家族や社会に復帰することは出来ませんでした。ところが、イエス様の言葉を聞いた10人の人たちは、祭司の所に行く途中ですでに清くされ、病いはいやされました。イエス様の言葉を聞き信じたからです。 。

マタイによる福音書14章では、イエス様は湖の上を歩いて、舟にいる弟子たちの所へ行かれます。おびえる弟子たちにイエス様は「安心しなさい。」と言われました。

その時ペトロは「水の上を歩いてそちらへ行かせて下さい。」とイエス様に言います。

今までの経験や常識から考えると、水の上を歩くことなんて出来るわけがありません。

しかしペトロは、これまでの経験や常識の世界から一歩外に出て、イエス様を信じる信仰へ踏み出したのです。知っている世界、今まで見て来た世界ではない、見ないで信じる信仰へ導かれたのです。

聖書は今も私たちを、見ないで信じる信仰へと引っ張って行ってくれます。

イエス様はペトロに「来なさい」と言われました。

私たちもその呼びかけに応えて、勇気を出して歩んで行けたらいいですね。

今日は、バーナード・ウェーバー作 「勇気」(COURAGE)という絵本を紹介しました。

( 日野原重明 訳 )

「いろんなゆうきがあるんだ。すごいのから、まいにち であう ゆうきまで。」

「きらいな やさいも いやな かおせず たべるのも ゆうき。」

「くちげんかを しても、じぶんの ほうから なかなおりするのも ゆうき。」

「そらたかく うちゅうたんけんも、うみの そこまで たんけんするのも ゆうき。」

「わかれなければ ならない ときには さよなら いえるのも ゆうき。」

翻訳をした日野原先生は 「冒険心と、物事を選択して決断する勇気こそが、子どもを成長させる何よりのよいエネルギーとなるものと私は信じています。」と言っています。 大人の私たちも「小さい勇気」「大きい勇気」がいつも必要です。生きていくことは、いろんな勇気の積み重ねだと、この本を読んで思いました。

次回の予定      9月19日(水)

2018年 7月21日(土)

「 土の器 」

「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。

人はこうして生きるものとなった。」

( 創世記 2章7節 )

天地創造された神は、アダムに「命の息」を吹き入れます。これによって人は、神の呼びかけに応えて生きるようになります。「命の息」という言葉は「聖霊」と言い変えてもいいかも知れません。ここに、聖書の人間観があります。

Ⅱコリント4章7節でパウロは「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。」と言っています。私たち人間は、土の塵で創られた粗末な器ですが、神が吹き入れた命の息が、その中に宿っているのです。土の器の中に、宝を頂いているのです。

皆さんは、どんな宝を神様からもらっていますか?それに気づくことが出来る人は幸いだと思います。そして神様からもらったその恵みを分かち合うことで、恵みは増えていくのです。

今回 紹介した本は 「 初女さんのお料理 」 佐藤初女著  ( 主婦の友社 )です。

一昨年 94歳で亡くなられた初女さんは、青森の岩木山の山荘「 森のイスキア 」に、心に重荷を抱えた人をいつでも迎え入れました。

おむすびや山菜などのお料理を食べるうち、多くの人はその荷物を下ろしていました。

食は何よりも人の心を通わせると信じ、食卓を囲み、ひたすら耳を傾けます。

「 食べることは、大きな力になる。食材は口を通して体に入り、私たちのいのちと一緒に生涯生き続けていくことになるからだと思います。 」

「 手をかけて、心をかける 」それを大切にして、食を通じて人々を癒す、そんな素敵な生き方に感動しました。

次回の予定      8月30日(木)

                                                                    

2018年 6月28日(木)

「 上にあるもの 」

( コロサイの信徒への手紙3章1~4節 )

「あなたがたは、キリストと共に復活させられた」

「あなたがたは死んだのであって」と聖書に書かれているのを読んだ人は、「私は死んでないし、復活もしてない」と思うかも知れません。

「キリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。」と聖書には書かれています。

また パウロはここで 「上にあるものを求めなさい」「上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。」とも言っています。

「上にあるもの」とは、今は目には見えない希望です。

主の祈りの「天にまします」という言葉は「今は目に見えない」神様への呼びかけです。

復活されたイエス様は 「見ないのに信じる人は、幸いである。」とトマスに言われました。

私たちの信仰は「見えないものに目を注ぐ」こと。「見えない事実を信じる」ことです。

聖書はそのことを、言葉を変えて何度も私たちに語りかけているのです。

今回は ゴスペルソングを2曲紹介して頂きました。

「 Because of who you are 」

「 神様、あなただから、私はあなたに栄光を捧げます。

神様、あなただから、私はあなたに賛美を捧げます。

神様、あなたはあなただから。」

このように繰り返し呼びかける、神様へのラブソングのような曲です。

「 Total Praise 」

「 主よ、私は丘に向かって目を上げる。

私の救いはあなたから来ることを知っています。

嵐のような困難なときでも、あなたは私に平安を与えて下さる。」

詩編121をもとにしたというこの歌は、、その詩にあるように「全身全霊」で主を賛美する力強い曲でした。

次回の予定      7月21日(土)

「目に見えないものを教えてくれる書物」

今日の聖書の御言葉はヘブライ人への手紙11章1節でした。
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」
目に見えないものを信じていくことはなかなか難しいことです。でも、聖書は見て信じる幼い信仰から見ないで信じる大人の信仰へと私たちを誘ってくれる書物です。私たちも目に見えないものを大切にしたいものです。
今日はさまざまな事情で来られない人が何人かいました。でも、久しぶりの人もいて賛美歌を何曲か歌いながら賛美歌の話も牧師から聞くことができたり、お菓子作りベテランの姉妹は和菓子の「浮き島」を作ってきてくださったり和やかな時間を持つことができました。
読書本としてある宣教師の手紙をまとめたものの一つを紹介しました。
1901年、奴隷として売られる子どもたちの存在を知り、子らの奴隷施設を作り始め、
そこへ手伝ってくれる人たちとの間にドナヴァー・フェローシップが生まれ、50年の間そこの母親であった人のいろいろなひとに送る手紙です。
やみを照らすともしび   エミー・カーマイケル  (棚瀬多喜雄 訳)
最後の手紙は
「いとしい子」
わたしにとってこれほどいとしい子
主にとっては ああいかばかりか。

次回のお知らせ  6月28日(木)

2018年 4月19日(木)

「 見ないで信じる 」

「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

( ヨハネによる福音書20章26~29節 )

復活されたイエス様がトマスの前に現れました。

この時のトマスは、信じるか信じないかの真ん中の敷居の上に立っていました。

前回イエス様が弟子たちの前に現れた時、その場にいなかったトマスは

「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」と言いました。

現代人はこのトマスのように証拠を求め、見るまでは信じないということが多いのではないでしょうか。

これまでのギリシャ人の哲学的な考え方は、見たから信じる、

再現が可能なものを信じるという考え方でした。

けれどもヘブライ人の感性は、見ることと信じることを結びつけません。

そして信じることが愛することに繋がっていきました。

イエス様はトマスに「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と言われました。

「わたしの主、わたしの神よ」と言うトマスに、イエス様はさらに「わたしを見たから信じたのか。

見ないのに信じる人は、幸いである。」と言われます。

見るまで信じられないと思っていた私たちも、いつの間にか、見なくても信じる信仰に変えられます。

聖書がじわじわと私たちをそこまで引っ張ってくれるのです。

聖霊の導きと教会の交わりの中で、いつの間にか私たちも、

敷居から一歩踏み出して見ないで信じています。

そして子どもたちもまた、いつの間にかそこに導かれ、信じること、

愛することに繋がっていくことを私たちは願っています。

今日紹介したい絵本は 『 くまとやまねこ 』です。

( 文 湯本香樹実   絵 酒井駒子  )

なかよしのことりが死んでしまいました。深い悲しみの中に沈んでいたくまは、

ふしぎなやまねこと出会います。

私たち誰もが直面する愛するものとの別れ、その悲しみとどうやって向き合っていったらいいでしょう。

くまがそこから立ち上がるまでの、悲しくも希望があふれる物語です。

次回の予定      5月26日(土)

2018年 3月22日(木)

「 見えないものに目を注ぐ 」

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます」

( コリントの信徒への手紙Ⅱ4-18 )

新年度の「教会学校だより」が出来上がりました。

「わけるとふえる」という、子どもたちが大好きな賛美歌のことが書かれています。

子どもがささげた二匹のさかなと五つのパンをイエス様が分けると増えて、五千人の人が満腹したという聖書からとられた賛美歌です。

おやつやお金は分けると減ります。それでは「やさしい心」や「信じる心」「勇気」は分けるとどうなるか。子どもたちに問いかけると「ふえる」と答えます。

それらのものは友だちに分けてあげても減らず、かえって増えていく。

そういうことを子どもたちは、日々みことばを聞く中で学び取っているのでしょう。

これらはすべて「目に見えないもの」ばかりです。「目に見える成果」よりも「目に見えないもの」「分けると増えるもの」を重んじること。見えないものを尊び、子どもたちの内面の成長を大切にしていく時、やがて「子どもたちの主にある成長」という目に見える成果が現れてくるのだと思います。

2017年度もオリーブの会を毎月行うことが出来、感謝です。今後もこの会が良き交わりと学びの場となりますことを祈ります。

この教会学校を巣立って行った子どもたちが数名、今年成人式を迎えました。今いる場所も置かれた環境もそれぞれ違いますが、幼い頃から心に蒔かれたみことばの種はそれぞれの土の上で成長し続けていると思います。この春、卒業や入学、進級する子どもたち一人一人、教会になかなか来られない子どもたちも含めて、一粒の種が心の中で大きく育っていくことを祈り続けたいと思います。

次回の予定     4月19日(木)

2018年2月22日(木)

「みことばに呼び覚まされて」

賛美歌472番に続いて開かれた聖書の箇所はイザヤ書50章4節でした。

主なる神は、弟子としての舌を 私に与え、疲れた人を励ますように、言葉を呼び覚ましてくださる。朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし、弟子として聞き従うようにしてくださる。(イザヤ50-4)

「どのようにして私たちは御言葉を呼び覚まされますか?」との牧師からの質問に正直考えさせられました。
私たち神明教会はいま毎朝牧師から「みことばの配信」を頂いています。
「今日一日が主の祝福の内にあることを願い、今日のみことばを配信します。」から始まり、ローズンゲンの聖書日課から旧約聖書と新約聖書の箇所を解き明かされます。これは牧師が希望者の携帯、スマホ、パソコンに宛ててショートメッセージを添えて毎日送信するものです。旅先にも届きますし、入院しても、礼拝に行けなくなっても毎朝届く、いわば「みことばのセイフティネット」です。
もっとじっくり心して理解したいと思いながらも、朝の忙しい時間さらっと読んで終わってしまうのが、もったいないと思っています。
でも、無添加の健康食品を食べたように安心して1日が始められるのは、これはこれでいいのかと思うときもあります。忘れてもいい、また同じことを聞いて染められていく・・・・御言葉ってそんなものじゃないでしょうか?皆さんはどのように思われますか?

今日は「どうぞのいす」という絵本を紹介して頂きました。(作 香山美子 絵 柿本幸造)
うさぎさんが作った小さな椅子に「どうぞのいす」と書いた看板をおきます。まずは、どんぐり拾いをして家に帰る途中のロバがどんぐりを椅子において、疲れていたので一眠り。次から次と通りすがりの動物たちが、どうぞの椅子に置かれているものを見て、ついつい食べてしまいますが、「からっぽにしてしまってはお気の毒。」と、決してからっぽにならない、優しい思いやりあふれる物語でした。
うさぎさんは何のために「どうぞのいす」を作ったのか?答えはありません。

次回の予定   3月22日 (木)

2018年1月27日(土)

2018年1月27日(土)

「鹿のように」

「涸れた谷に鹿が水を求めるように 神よ、わたしの魂はあなたを求める。」

(詩編42編2節)

今日は、雪が沢山積もった中で行われたオリーブの会でした。詩編42編を歌にした「 鹿のように 」の賛美歌を歌いました。この詩編が書かれた背景を見ると、イスラエルの国が滅ぼされ、神殿は破壊され、国の重要な人たちはみなバビロンに奴隷として連行されました。神殿も無く祭司もいない。礼拝が出来ず「 お前の神はどこにいる 」と嘲られました。5節に「 わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす 」とありますが、これは過去を思い出しているということではありません。神殿は無いが、神はみことばを通して共にいて下さり、語りかけて下さることを確信したのです。イスラエルの民はそんな中にあって 「 神を待ち望め 」「 御顔こそわたしの救い 」「 わたしの神よ 」と力強く呼びかけます。同じみことばが二千年の時を越えて私たちに語りかけ、生ける命の水となって私たちを生かして下さるのです。

今日は 「しげちゃん」という絵本を紹介して頂きました。

( 文 室井滋  絵 長谷川義史 金の星社 )

女優の室井滋さんが書いた、自分の子どもの頃のお話です。

「しげる」という男の子みたいな名前のおかげで、いつもいやな思いをしたこと。

そしてお母さんから聞いたほのぼのしたお話。笑いながらも心に響くものがあります。

本を読んだ後で、自分の名前の由来や子どもの名前に込めた願いなど、「名前」の話題で盛り上がりました。名前って、あらためて大事ですよね。

次回の予定   2月22日 (木)

2017年12月14日(木)

「よろこびのしるし」

今日ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになった。
この方こそ主メシアである。」

(ルカによる福音書2章11節)

福音のメッセージが貧しい羊飼いたちに告げられました。
布に包まって飼い葉おけの中に眠る乳飲み子、これが「あなたがたへのしるしである」と天使は羊飼いたちに告げます。「しるし」とははっきりと目に見える形で神様が起こされた救いです。人が信じても信じなくても神様から一方的に与えられた「救い」なのです。
羊飼いたちは天使のお告げを聞くと、「その出来事を見ようではないか」とベツレヘムを目指します。そして彼らは、この幼子のことを街の人々に知らせます。
主の言葉が「出来事」として、歴史的事実となって世界の人々に福音として伝えられたのです。
先日、教会の婦人会の人たちを中心にキャロリングが行われました。お年寄りが暮らすホームでクリスマスの讃美歌を歌いました。
それは、羊飼いたちがしたことと同じ、クリスマスの嬉しい出来事を多くの人たちに知らせるためです。
イエス様の御降誕が、すべての人にとっての大きな喜びであることを、私たちも人に伝えることが出来たらいいですね。
今日は「へいしのなみだ」という絵本を紹介しました。
(こぐま社 文さとうひでかず・しなこ 絵つかさおさむ)
キリスト伝説集を元にしたこの物語は、イエス様がお生まれになったベツレヘムでの、一人の男の子と兵士の出会いのお話です。
とても鮮やかな色彩の絵が印象的な心に残るクリスマスの絵本です

次回の予定   1月27日(土)

2017年11月16日(木)

「家と土台」

「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」

(マタイによる福音書7章24節~27節)

イエス様の話の中に出て来る言葉は、はっきりしたものが多いです。

今日の御言葉では、「岩の上」と「砂の上」、「賢い人」と「愚かな人」のように、はっきりと対比されて語られています。

建物を建てる時必要なものに「足場」と「土台」がありますが、皆さんはその違いがわかりますか?「足場」は建物が出来上がると取り外されます。

「土台」は建物が建つうちに見えなくなりますが、建物を支えています。目には見えませんが、しっかりと残っています。

パウロもまた、Ⅰコリント3章で「土台」について語っています。

「イエス・キリストというすでに据えられている土台」と彼は言います。

それは決して揺るがぬ土台です。足場ではありません。

私たちもそんな土台の上に立ち上げていきたい。そんな歩みをしていきたいですね。

今日は 絵本「にぐるまひいて」を紹介して頂きました。

(ドナルド・ホール文 バーバラ・クーニー絵  もき かずこ訳)

何もかもが手作りの、大自然の中での家族の暮らし。そこには厳しいけれども、今では手に入れることの出来ない、豊かな人々の暮らしがあります。

アメリカの古き時代の、ある一家の一年間の営みが、優しい絵と素朴な文で語られ、心あたたまります。

次回の予定   12月14日(木)

「食べること 生かされること」

【2017/10/18(木)】

「主の御使いはもう一度戻って来てエリヤに触れ、『起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ』と言った。エリヤは起きて食べ、飲んだ。」

(列王記上19章7節)

今日のオリーブの会は長い闘病生活を乗り越えて無事退院した一人の姉妹の証しから始まりました。いただいた梅干で作ったおかゆのおいしかったこと、食べられることの有り難さが身に沁みたこと、食事と食材を作ってくれた人への感謝に満たされたこと。それらの経験をとおして、食べることと生かされることが一つに重なったことを、心ふるわせながら語ってくださいました。

この証しに導かれるようにして開かれた御言葉が列王記上のエリヤの物語でした。必死の努力も空しく、命を狙われる身となったエリヤは今、無力感に捕らわれて、御言葉を聞くことも動くことも出来ずに、横になっています。そんなエリヤに神様は食事を与えて養おうとなさいます。そして生きる力を回復したエリヤは立ち上がり、歩み始めて神の山ホレブに、つまり信仰の原点に立ち返るのです。

私たちを生かし、日々食事を整えてくださる神様は、食べることによっても私たちを信仰の原点へと立ち返らせてくださいます。この大切なメッセージを聖書の御言葉と一人の姉妹の証しとによって生き生きと示された、幸いなひとときとなりました。

今回は 「さるのひとりごと」という島根県に伝わる民話を読みました。

( 文 松谷みよこ  絵 司修 )

一匹のさるが山から降りて、海に行きました。そこで起こった、

少しびっくりするような物語は・・・。

お話が終わったあとも 「このあとどうなったんだろう?」と、

皆興味しんしんで、それぞれその続きを考えてしまいました。

次回の予定   11月16日(木)

「 何をしてほしいのか 」

【2017/9/28(木)】

「イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。」

(ルカによる福音書18章35~43節)

以前、金沢の幼稚園の子どもたちと、この場面について話したことがあります。

この盲人が道端に座っていたのは、物乞いのためではないのです。

目は見えませんが、イエス様が近づく音がすぐに聞こえるように、道端に座っていたのです。

でも人々は物乞いかと思って、お金をあげました。

さて、お金をもらってこの人は、嬉しかったんでしょうか?

そんな質問に子どもたちは 「お金をもらっても、嬉しくない」と答えました。

町の人たちは、盲人の気持ちを何も聞くこと無く、お金がほしいのだと思いました。

でもイエス様は、この盲人の叫ぶ声を聞き、「何をしてほしいのか」と問いかけます。

「目が見えるようになりたいのです」という盲人のストレートな願いに、イエス様は

「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」と言われます。

私たちも 「何をしてほしいのか?」というイエス様の言葉を、自分に向けられた問いとして聴き、

祈りの中で自分の願いをストレートに、素直に出していくことを求められているのではないでしょうか。

今回は 「天使にラブソングを2」の映画に出てくるゴスペルソングを紹介して頂きました。

「 Oh Happy Day 」と 「 Joyful , Joyful 」の2曲を日本語訳を読みながら聴きました。

What  have you done for  Him lately?

( あなたは最近、神様のために どんな事をしましたか?)

He watched over everything , So we sing!!

( 神様は すべてを見ておられます、だから私たちは歌うのです!! )

「 Joyful , Joyful 」より

主をほめたたえる その力強い歌声に、心を打たれました。

次回の予定   10月19日(木)

「ブレない聴き方」

【2017/8/31】

「ひとつのことを神は語り、ふたつのことをわたしは聞いた。」 (詩編62編12節)

先日 「神のわざが現れるために」(ヨハネ9-3)というテーマで 中高生キャンプが行われました。

生まれつきの盲人を見たイエス様の弟子たちは 「この人が生まれつき 目が見えないのは、本人が罪を犯したからか、それとも両親か?」とイエス様に尋ねます。

過去のことを振り返って、誰かのせいにする生き方や、因果応報的な考え方は、今も昔もあまり変わっていないかも知れません。

イエス様は、このようにお答えになります。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」

中高生たちは、聖書のみことばを真正面から ブレずによく聴いています。

私たちはどうでしょうか? 神様のメッセージをしっかり聴いているでしょうか?

神様は 一つのことをブレずに語っています。しかし、私たち大人が聴く時 しばしばブレていくことがあります。そして ブレがひどくなり、二つのことになっていきます。

エバは、神様から 「善悪の知識の木の実を食べると死んでしまう」と聞いていましたが、蛇の誘惑にあった後「食べても死なないのでは?」と思い込み、木の実を食べてしまうのです。

私たちも、中高生たちのように ブレない聴き方に立ち返ることを学んでも良いのではないかと思わされます。

今回は 「深呼吸の必要」(長田弘)の詩集を紹介しました。(晶文社)

「言葉を深呼吸する。あるいは、言葉で深呼吸する。そうした深呼吸の必要をおぼえたときに、立ちどまって、黙って、必要なだけの言葉を書きとめた。そうした深呼吸のための言葉が、この本の言葉の一つ一つになった。」(後記より)

深呼吸が必要になったら、開いてみて下さい。

次回の予定  9月28日(木)

園庭のざくろ

「神に願いを言う」

【2017/7/29】

「イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間 病気であるのを知って、『良くなりたいか』と言われた。」 (ヨハネによる福音書5章1~9節)

今日読まれた聖書は、イエス様がベトザタの池で 病人をいやされたという物語です。

池の水が動く時に、真っ先に池に入ると 病いがいやされると言われていたため、そこには大勢の病人が横たわっていました。イエス様は、38年も病気で苦しんでいる人に「良くなりたいか?」と言われます。その問いに対し、彼が言ったのは「水が動く時、私を池の中に入れてくれる人がいないのです。」という失望の言葉でした。長年にわたる絶望的な状態の中で、願いや望みをもつこともあきらめてしまった嘆きの言葉のように思います。

以前 佐藤牧師が金沢の幼稚園で、この話をした時に、1人の園児が「みんなで手をつないで、せーので一緒に池に入ったら みんなが一番になるよ」と言ったそうです。

子どもたちは 自分がその物語に入り込んで、大人が思いつかないような発想をしますね。

イエス様の前に、自分の願いや思いを素直に出していいんです。そんな大切なことを 子どもたちから教えられることがあります。

今回は 佐野洋子さんの有名な絵本「百万回生きたねこ」を読みました。

百万回も死んで 百万回も生きた、どこかふてぶてしい顔をしたとらねこは、沢山の子どもと大人に愛され続け、私たちに何か大切なことを教えてくれますね。

次回の予定  8月31日(木)

「食べるということ」

【2017/6/22】

「あなたがたは 食べるにしろ飲むにしろ 何をするにしても すべて神の栄光を現すためにしなさい」(第一コリント10章31節)

聖書の中には 食べる場面が多く出て来ます。聖書の中に出て来る「食べる」という営みは 「食物を摂取すること」に限定せず 「食べて 生かされる」ということを意味しています。

「戦場のピアニスト」という ワルシャワを舞台にした映画があります。ユダヤ人の青年ピアニストの物語ですが 家族がバラバラになる直前 お父さんが一つのキャラメルを切って 家族みんなに分けるという場面が出て来ます。最後の食卓を 一つのキャラメルを前に みんなで囲むのです。このお父さんは 「食べること」は「生かされること」だということを知っていたのでしょう。だからこそ 一つのキャラメルをみんなで食べることによって これから家族がバラバラになったとしても 心は繋がっていて それぞれが生きていくことが出来る。そのような思いが込められていたのかも知れません。

私たちは 食べる時、生かして下さる神様が、共におられることを信じたいと思います。

今回は トルストイの民話 「七つの星」という絵本を紹介しました。

( 文 岩崎京子  絵 小野孝一  女子パウロ会 )

心優しい少女と、夜空の星座にまつわるロシアの民話を元にした 美しい物語でした。

次回の予定 7月29日(土)

 イエス・キリストを土台として(母の日を思う)

【2017/5/19】

「イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。」(コリントの信徒への手紙一3章11節)

5月の第2日曜日は母の日でした。私たちクリスチャンは1年に1度でなく、常に「母」に感謝するものですが、賛美歌には「母の日」にまつわるものがいくつかあります。
510番(1955年版) 「まぼろしの影を追いて」から始まるこの賛美歌は特に4番の
「汝がためにいのる母の いつまで世にあらん
とわに悔ゆる日のこぬまに とく神にかえれ
春は軒の雨 秋は庭の露 母はなみだ乾くまなく 祈ると知らずや」は
特に母親にとってたまらなく胸が痛くなる詞です。かつて学生時代に歌った「母の日」の賛美歌が、母となった今、また別の響きをたてるのが興味深かったです。「母」だけでなく「姑」も「義母」も「はは」と読ませる日本的習慣の中、冒頭に挙げた聖句が人間関係の土台となってくれたならと心から願います。そんな切なる願いがにじみ出た今回のオリーブの会でした。

今回の本の紹介は「100万回生きた猫」で有名な佐野洋子さんの“ヨーコさんの言葉”(北村裕花 絵)。なんとも切ない人と人の関係をにじませつつも、絵本のような楽しい本でした。

次回の予定 5月19日(金)

罪を清めてくださる方

【2017/4/20】

イースターおめでとうございます。
4月16日(日)は喜びのイースター礼拝を守ることが出来ました。今年は朝一番に教会学校の子どもたちが会堂内に玉子を隠し、主日礼拝後に大人たちが探すという新趣向のイースターエッグ探しを楽しみました。礼拝後のイースター祝会は多くの方が集い、嬉しいひと時でした。
今日のオリーブの会は、イースターの朝、一人の婦人がもって来てくださった鉢植えの「ヒソプ」から御言葉を聞きました。
「ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください。わたしが清くなるように。わたしを洗ってください。雪よりも白くなるように。」(詩編51編9節)
罪の赦しを得させる犠牲動物の血がヒソプの枝で人々に振りまかれたこと、私たちはそれよりも尊いキリストの血潮で罪赦されている恵みを、この詩編をとおしても知ることが出来ました。
また今では歌うことの少なくなった讃美歌「うるわしのしらゆり」を賛美し、しらゆりとキリストの復活とのつながりを聞くことができ、なつかしい時間を持つことができたことは感謝でした。
次回の予定 5月19日(金)

見えるものと見えないもの

【2017/3/9】(木)

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(コリントの信徒への手紙第二14章18節)
この世では目に見えるものに大きな価値を見出します。でも、目に見えないものを見つけ大切にすることで、どんなに心が豊かになってくることでしょうか。
愛する心・信じる心・勇気・・・これら「分けると増えるもの」を大切にしたいものです。
今日は岩手県の障害者施設のカナンの園について書かれた本で話が広がりました。
そこに紹介された「ちいむれ牧場」には、みんなから相手にされなくなった動物たちが大切に育てられているそうです。
でもその一匹一匹が、愛情をもって育てられることによって、皆を励ましてくれたり、
元気づけてくれたりする大きな存在となっていきます。
この世的には価値観のないものかもしれませんが、こんな動物たちがいることをもっと知っていきたいものです。

来月のお知らせ4月20日(木)1時半より

写真は今回のオリーブの会の最後に登場した牧師館のアイドル、チワワのモモちゃんです。


必要なことはただ一つ

【2017/2/23】(木)

「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。」
この日のオリーブの会で読まれた御言葉(ルカ福音書10章38~42節)です。マルタとマリアの姉妹の物語です。主イエスとその一行をもてなすために忙しく立ち働くマルタに対して、マリアは男の弟子たちに混じって主イエスの前に座り、主の御言葉に聞き入っている。冒頭に挙げたのは心乱すマルタに向かって主イエスが言われた言葉ですが、これを今の私たちに向けて語られた言葉として聞けるか否か。そこにこの日のオリーブの会の急所はあったと思います。
私たちも日々の生活の中で様々なことに思い悩み、時に心を乱してしまいます。しかし、そんな私たちに、主イエスはやさしく語りかけてくださいます。
「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。」
会の終わりに、一人の姉妹の「聞かれない祈り」「かなえられない願い」の悩みを丁寧に聞けたことも、この日の恵みでした。このことを通しても「必要なことはただ一つ」の御言葉を心に刻むことが出来ました。感謝です。

来月のお知らせ3月9日(木)1時半より

生き方を主に委ねて

【2017/1/21】(土)

「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
新年最初のオリーブの会はこの御言葉(ルカ福音書17章11~19節)で始まりました。十人の病人が癒されるお話です。十人が十人とも、主イエスを信じ、主イエスに癒され、喜びました。しかし、主イエスのもとに帰って来て、御前にひれ伏し感謝をささげたのは、ただ一人のサマリア人でした。何が九人と一人を分けたのでしょうか。そのヒントは、この日、歌った讃美歌の中にあるように思います。
「過ぎ去った 日々の悲しみ
さまざまな うれいはすべて
キリストの み手にゆだねて、
み恵みが あふれるような
生きかたを 今年はしよう。」(讃美歌21―368番2節)
懇談では、様々な祈りの課題が出ました。反抗期の我が子を持つ姉妹、未信者の家族を持つ姉妹など、課題は様々ですが、共に歌った讃美歌のように、また、あの帰って来たサマリア人にように、すべてを主の御手に委ねるものでありたいと心から願う、幸いなひとときでした。

本の紹介は「アンが愛した聖書の言葉」(宮葉子)が御言葉と共に読まれ、共感を誘いました。

来月のお知らせ 2月23日(木)1時30分より

心の扉にノックを・・・・

【2016/12/15】第16回オリーブの会

アドヴェント・クランツに三本目の灯りが点ったこの週、オリーブの会でもクリスマスを祝いました。
「おめでとう。恵まれた方、主があなたと共におられる。」(ルカ福音書1章28節)
天使がマリアに告げたこの挨拶が、今に至るまで変わらないクリスマスの挨拶になりました。挨拶って不思議です。挨拶されると、コンコンコン……。心の扉がノックされているみたい。閉ざされた扉が開かれます。
日本では悲しんでいる人に「おめでとう」を言わない風習があります。しかし、クリスマスの挨拶だけは別。悲しむ人、辛い思いに涙する人の心に向けられます。
「おめでとう。主があなたと共におられる。」
この挨拶に心開かれて、クリスマスの讃美歌をたくさん歌いました。その最後に歌われたのは280番。4節の歌詞が心に響きます。
「この人を見よ、この人にぞ、こよなき愛は あらわれたる、
この人を見よ、この人こそ、人となりたる 活ける神なれ。」
このお方の降誕を祝うのがクリスマスです。今年も街のあちこちでクリスマスの挨拶が響きます。「クリスマス、おめでとう」と。

今月の紹介された本は「ベツレヘムへの道」でした。素直な心に奇跡の起きるドキッとさせる本でした。一度読んでみてください。

文 いっしきよしこ  え さのようこ

来月のお知らせ 1月21日(土)1時30分より

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名前を呼んでくださる神

【2016/11/17】第15回オリーブの会

今日は珍しく旧約聖書から学びました。イザヤ書43章の1節。
「恐るな、わたしは あなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしは あなたの名を呼ぶ。」
私たちを創造された主は、私たち一人ひとりの名を呼んで救い出してくださいました。「名を呼ぶ」ことは「贖う」こと。呼び出すことであり、起き上がらせてくださること。ここに、今の私たちの姿が浮かび上がります。
このメッセージに導かれて、今日もたくさんの讃美歌を歌いました。
507番(主に従うことは なんとうれしいこと)→458番(信仰こそ旅路をみちびく杖)→459番(飼い主わが主よ まよう我らを 若草の野辺に伴いたまえ)→484番(主われを愛す)→494番(ガリラヤの風かおるあたり)。
いかがですか? なんだか讃美歌の流れが一つのメッセージになっていますでしょう? このメッセージに促されるようにして、一人の姉妹がキーボードで新しい英語の讃美を紹介してくださいました。
<You Raise Me Up>。最後の歌詞が心に響きます。
You raise me up to more than I can be……
あなたは私を起き上がらせてくださる。私が出来る以上に……

来月のお知らせ12月15日(木)1:30より

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「畑に隠されている宝」

【2016/10/20】第14回オリーブの会

「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」(マタイ福音書13章44節)

今日読まれた御言葉です。オリーブの会では讃美歌をたくさん歌います。一人一人がリクエストするのですが、歌いつつ、その曲を挙げた人の人生が垣間見えてきます。夏期学校の野外礼拝で歌った211番(あさかぜ、しずかにふきて)や、青年会で未来に夢を馳せつつ歌った515番(きみのたまものと)。思いは様々ですが、共通するのはキリストとの出会いです。人生という「畑」の中に宝が隠されていた。その宝=キリストとの出会いが人生を変え、価値観を変えて、今、一人一人が讃美をとおしてその恵みを分かち合い、喜び合うことが出来る。教会ならではの交わりに、今日も感謝があふれます。この宝がいつまでも輝いていますように。

今月の本の紹介はNHKの朝ドラ「あさがきた」のモデル広岡浅子の人生をたどる「浅子と旅する」でした。

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来月のお知らせ 11月17日(木)1時30分より

【2016/9/24】第13回オリーブの会

1年経ちました。

オリーブの会が再開してからちょうど1年が立ちました。仕事を持っている人が多いので、なかなか全員が揃うことはありませんが、常に7~8人の姉妹たちが集まれるようになりました。
今回はマタイによる福音書7章24~27節から「家と土台」について学びました。家庭や仕事、結婚生活、さらにこのオリーブの会もすべてキリストの土台の上に築かれてこそ恵み深いものとなっていきます。オリーブの会がこれまで守られてきたのも、その土台があったからです。
今月の紹介して頂いだ本は、「でんでんむしのかなしみ」(新見南吉)です。子育て中にこの本を読んだ姉妹は、みんながそれぞれに重荷を背負っており、自分だけではないのだということを感じて楽になれたということでした。また、ひろはまかずとしの墨彩画集「おもいのまんま」も紹介して頂きました。

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来月のお知らせ 10月19日(水)1時30分より

【2016/8/25】第12回オリーブの会

“神の業がその人に現れるため”

ヨハネ福音者9章1節~3節 「生まれつきの盲人を癒す」という有名な箇所から、イエスキリストは因果応報ということは、言っておらず神の業がその人に現れるためであるといっています。人はよく「あの時ああだったから今こうなんだ」とか「祖先が・・・親が・・・」ということばを耳にすることがありますが、そうではなく神様が私たちを愛してくださっていて、私たちの間に入ってくださっていることを忘れないで歩んで行きたいものです。
今日の本の紹介は『「むくわれない生き方」を変える本』(香山リカ)でした。自分では報われないと思っていても、その努力は違う形で報われていることもあります。もっと自分にいい点をつけましょう。と精神科医である香山リカさんは講演の中で語っていたという事でした。
またある姉妹が一番良いお薬は「家族の愛情のスイッチ」だということで免疫力も高まり、家族間もプラス方向に向かっていくということを言われていました。
子育て中の姉妹は自分の好きな絵本「おしゃれねこ」(文 工藤直子 絵 小沢良吉)を読んでくれました。おしゃれねこが友達のねことの出会いの中で変わっていくとても素敵なお話でした。

来月は9月24日(土)1時半からです。

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【2016/7/28】第11回オリーブの会

"感謝しなさい”


「どんなことにも感謝しなさい。これこそキリスト・イエスにおいて

神があなた方に望んでおられることです。」

今日は「感謝」について改めて考えさせられました。

神から与えられていないものはあるのか?

「ぶどう園の労働者」の譬え話から神様と私たちひとりひとりの契約は

他人と比べるものではないこと。本当にどんな小さいことにも

私たちは感謝できるはずなのに、感謝しつつ、つい不満を漏らす日常についての

話を聞き、共感しました。2歳の子を持つ姉妹はなるべく子どもにたくさん「ありがとう」と

いうことにしていたことから、最近「ありがとう」という言葉を覚えた話を聞かされて20167.28オリーブの会

とてもいい学びの時だったように思います。
来月のオリーブの会は 8月25日(木)1時半からです。

 

6月15日(水)「信仰を語る女子会」が開かれました。

【2016/6/15】第10回オリーブの会

子育てや仕事をする婦人にとってこの月1回のオリーブの会はとても和やかなものです。
それぞれの好きな賛美歌3曲の後に牧師よりコリント第1の手紙12章27節を示されました。
「あなた方はキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」
この部分というのはただのpartではなくmemberと訳されることを学びました。
私たちは、教会を形づくっているかけがえのないひとりひとりであるということを覚え、感謝でした。
今月の本の紹介は「いのちの花」向井愛実さんでした。
向井さんが青森県にある農業高校の生徒だったころに書いたもので、
高校生たちの「いのちの花プロジェクト」について取り上げています。
この活動は、殺処分された動物たちの骨を肥料にして花を育て、
その花をたくさんの人たちに配るというものです。
命の大切さを訴え、人間の都合で殺される動物たちがいなくなるようにと
いう願いがこめられています。
次回のオリーブの会は7月28日(水)1時半からです。DSC_0659

【2016/5/21】第9回オリーブの会

「いつも喜んでいなさい」

今日は、テサロニケの信徒への手紙第1の5章16~18節から、

パウロが言っている喜びとは 喜怒哀楽の感情の喜びではなく御言葉を聞く喜びだということを学びました。

また、「主の祈り」についても「われら・・・」と祈るのは、自分ひとりではなく

イエスが共に祈っているのだ、という大きな喜びを与えられました。

今回のお薦めの1冊は、マリーホール・エッツの「わたしとあそんで」(福音館書店)でした。

圭子夫人が作って下さった「おちらしの羊かん」は、これからの季節にピッタリのおやつでした。

今回、女の子が二人おられる姉妹が初めて参加されました。

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次回のオリーブの会は6月15日(水)午後1時半からです。

2016/4/22】第8回オリーブの会

今月も9人の姉妹と佐藤牧師で始められました。

賛美歌は156番と最後に459番を賛美しました。

聖書の箇所はヨハネ15章4節。

「私につながっていなさい。私もあなたがたにつながっている」の

有名な箇所です。

イエスの言葉は命令をし、必ず約束をしてくださる。

この約束の言葉を大事にしていきたいものです。

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炊飯ケーキと恐竜ビスケット

次回のオリーブの会は5月21日(土)午後1時半からです。

 【2016/3/12】第7回オリーブの会

9人が参加して、今回も心温まる会になりました。

お子さんが帰宅するのを待ってかけつけた人や

夜勤を終えて県外から車を走らせた人もいて、

会を楽しみにしているという思いがあふれて感謝でした。

レント(受難節)に佐藤牧師が説き明かして下さった聖書の箇所は、

ヨハネによる福音書20章24節です。

復活なさったイエスさまを前に、弟子であるはずのトマスが疑い惑うところで、

有名な「見ないで信じるものは幸いである」という御言葉があります。

疑い深い私たちに対する、イエスさまの優しい、愛ある言葉に心動かされました。

日々優しい心で仕事に家族に接することが出来たらと思います。

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今回、1人の姉妹が紹介してくれた本は、渡辺明日香さんの

「バイブルスパイス」(いのちのことば社)でした。

仕事のミスは誰にでもあることですが、信仰者である渡辺さんは「祈ること」で、

そのミスをピンチからチャンスに変えることができたそうです。

私たちも、信仰を持つことで、

マイナスをプラスにすることが出来たらと思いました。

次回のオリーブの会は4月22日(金)午後1時半からです。

2016/2/20】第6回オリーブの会

レントに入って11日目。

オリーブの会は、佐藤牧師ほか8名が参加し,賛美歌575番から始まりました。

コロサイの信徒への手紙4章6節の

「いつも塩で味付けされた快い言葉で語りなさい」の御言葉を与えられ

日ごろの生活の中で体験している日常会話の大切さを感じました。

お料理をするとき何も味のないものの中に「塩」を加えることによって

おいしくもしょっぱくもなるものです。

ちょうどいい塩加減で味付けすることによってお料理はおいしさを増します。

また、エフェソの信徒への手紙4章29節から

「聞く人に恵みが与えられるようにその人を作り上げるのに役立つ言葉を

必要に応じて語りなさい」とも示されました。

2月20日

子育て・仕事・老齢期(?)・・・と、幅広い年代のオリーブの会。

「今あなたは何時期ですか?」とある姉妹が質問され

人生を思いかえってみるよい時間が与えられました。

ドタバタ期・断捨離期・充実期・収穫期・終末期などいろいろでしたが、

今、あなたは何期ですか?

今回の本の紹介は、渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」でした。

★次回のオリーブの会は、3月12日(土)午後1時30分からです。

2016/1/28】第5回オリーブの会

2016年初めてのオリーブの会は讃美歌512番で始められました。

聖句はヨハネによる福音書8章32節。

「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」でした。

自由にするとはどういうことか?

宗教とは何か?

「宗教」とはreligon。 reは「元に戻す」の意味から

「本来の」という意味だそうです。

ligは「つなぐ」。

本来の私達と神との関係を元に戻してくれる。ふっと創世記を思い出しました。

今日も1冊の本を紹介され、とても気持ちが軽くやわらかくなりました。

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今日も明日も上機嫌」・・・・・・斉藤茂太作

神様を知って喜んで生きましょう!

★次回のオリーブの会は2月20日(土)午後1時30分からです。

【2015/12/19】第4回オリーブの会

待降節第4主日クリスマス礼拝の前日です。

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クリスマスの讃美歌269番をはじめ他3曲をろうそくの炎を

見ながら、賛美しました。

またマタイ1章18~26節とルカ2章4~5節からイエスの

誕生によってヨセフとマリアが親になった経緯に耳を傾け、

奇跡のクリスマス物語に感動しました。

私たちのクリスマスプレゼントは何でしょうか?

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テーブルには岩手県のカナンの園という施設から送られた

みことばせんべいや手作りのケーキなどたくさん並べられ

牧師と婦人7名の楽しいひとときはあっという間に過ぎました。

次回のオリーブの会は1月28日(木)午後1時30分からです。

【2015/11/25】第3回オリーブの会

讃美歌18番を賛美しながら、牧師先生と婦人8人の計9人で、

エフェソ5章1節から、私たちおとなも神の子どもとして

「神に愛されるものとして神にならうものとなりなさい」

という箇所を学びました。

神に愛されているたて糸と人生経験をつんだよこ糸で素敵な織物が

出来ますように。

*二人の姉妹から本の紹介もありました。

「ええところ」・・・作・くすのきしげのり

「愛し合う二人のための結婚講座」・・・大嶋裕香

次回はオリーブの会クリスマスが12月19日(土)1:30より

来年度のオリーブの会は2016年1月28日(木)1:30 よりです。

【2015/10/21】第2回オリーブの会

<オリーブの会発>

10月21日(水)子育てと働く婦人のための会がもたれました。

今日は若い婦人5人に交えて牧師を入れて8人の婦人が

集まりました。

奴隷となったユダヤ人の婦人がローマの貴族の家のために

平安を祈るというマタイ10章13節について学びました。

また、司会者から「かぜのでんわ」という絵本を読んでいただき

忙しい若い婦人にとって恵まれた時間となりました。

次回は11月26日(木)の予定です。

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【2015/9/11】オリーブの会を再開しました。

<オリーブの会発>

9月11日(金)、久しぶりに「オリーブの会」が開かれました。

私たちの会は常に何か食べ物がついています。

「信仰を語る女子会」として年齢関係なく新しく始まりました。

多くの方のご参加をお待ちしています。

お勤めの方を中心に集まりますので不定期となりますが、

ひと月に1回は集まりたいと思います。

○信仰生活を語り合う教会の「女子会」です。

年齢と未婚既婚を問わずご出席下さい。

次回は10月21日(水)午後1時からです。

オリーブの会