2023年11月18日(土)

 「人にしてもらいたいと思うことを」

 

「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。

罪人でも、愛してくれる人を愛している。」

(ルカによる福音書6章32節~35節)

 

今日のオリーブの会は、出席者が少なかったこともあり、讃美歌と聖書のあとで、クリスマスの祝会で歌う歌の打ち合わせと練習をしました。毎年恒例となったオリーブの会の皆さんの歌、今年も楽しみです。

 

今月の本の紹介

 

今回は、会の中では本の紹介はしませんでしたが、最近 目にとまった詩の一節を紹介します。

 

「 食卓 」  晴佐久昌英『 だいじょうぶだよ 』より

(女子パウロ会)

 

家庭には食卓がひとつ あればいい

古びてはいてもよく磨かれて

ひとつひとつの傷みまでもあたたかい食卓

寒い冬の夜ふけには 湯気が立ちのぼり

そこへみんなが戻ってくるような

そこからみんなが旅立つような

けっして消えることのない

いのちのごはんをいただけるような

人生には

そんな食卓がひとつ あればいい

 

 

次回の予定      12月16日(土)

 

 

2023年10月21日(土)

  「天に宝をたくわえる」

 

(マタイによる福音書6章19節~20節)  

四国の教会にいる時、ある婦人が「天に宝を貯えなさい」とはどういう意味ですか?と聞いて来られました。新共同訳聖書では「宝」という言葉ではなく「富」という言葉を用いています。「富」という言葉だと限定されてしまいますが「宝」という言葉は、いろいろな意味が広がります。その時の私は、その婦人の質問にうまく答えることが出来なかったのですが、そのことが今、メッセージを伝える上で大きく影響を与えています。駆け出しの頃の失敗や惨めな思いは、その後に良い影響を与えることが多いと思います。

ここでは「地上」と「天」、「目に見えるもの」と「目に見えないもの」が対比されています。目に見えるものを宝物にするなとイエスさまは言われます。天に蓄えることが出来る宝とは何でしょう?そこでは虫が食うこともさび付くこともなく、盗まれることもない。

皆さんは何だと思いますか?

見失った一匹の羊が見つかった時、「大きな喜びが天にある」とルカによる福音書15章7節に書かれています。

キリスト教幼稚園の子どもたちが、神様を信じて巣立ち、旅立って行く時、天に宝が積まれていくのではないでしょうか。

 

今月の本の紹介

 

祈りの詩人といわれた八木重吉の詩です。

 

「ねがひ」

人と人とのあひだを

美しくみよう

わたしと人とのあひだを

うつくしくみよう

疲れてはならない

 

人との関係の中で疲れ、傷つきながらも「美しくみよう」と願い、祈り続けていた八木重吉の思いが伝わります。

 

「素朴な琴」

この明るさのなかへ

ひとつの素朴な琴をおけば

秋の美くしさに耐へかね

琴はしづかに鳴りいだすだらう

 

秋の明るい日には、この詩のことを思い出します。

 

( 「単純な祈り」 関 茂著  日本基督教団出版局 )

 

 

次回の予定    11月18日(土)

 

 

 

2023年9月28日(木)

  「見ないのに信じる人は、幸いである。」

 

(ヨハネによる福音書20章24節~29節)

イエスさまが復活された後、弟子たちの間に現れましたが、その場にいなかったトマスは、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ信じない。」と言いました。

確実なものを「見て信じる」ことは古代ギリシャの思想です。それに対して「見ないで信じる」のは聖書のヘブライ思想です。

イエスさまはトマスに、見ないで信じる信仰を求めています。

見ないで信じる信仰は、聖書のいろんなところに出て来ます。

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブライ人への手紙11章1節)

「わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」(ローマの信徒への手紙8章25節)

聖書は天について語ります。主の祈りは「天にましますわれらの父よ」と祈ります。

目に見えないものを大事にし、見えないものを信じることを求めてきます。

エマオへの道で二人の弟子に現れたイエスさまは、二人の目が開け、イエスさまだと分かった時に、その姿は見えなくなります。

目に見えないイエスさまを、私たちは信じています。

 

今月の本の紹介

 

「 アンが愛した聖書の言葉 」( 「赤毛のアン」を大人読み )宮葉子 著

いのちのことば社

 

この本の紹介というよりも、本を下さった方についての思い出を語って頂きました。自分のお誕生日に、みんなにお花をプレゼントしてくれたり、何かを渡してくれる時も必ずひかえめな様子で分けて下さる。とても魅力的で素敵な女性だったということでした。

「赤毛のアン」には多くの聖書の言葉が引用されています。大人が読んでも、深く考えさせられる真実が込められており「その正体を探れるのは、大人ならではの知的な遊び」「大人読み」だと著者の宮葉子さんは語ります。

子どもの頃に読んだ「赤毛のアン」また改めて読んでみたくなりました。

 

 

次回の予定    10月21日(土)