聖書:詩編139編1~10節・ペトロの手紙一3章18~22節

説教:佐藤 誠司 牧師

「どこに行けば、あなたの霊から離れられよう。どこに逃れれば、御顔を避けられよう。天に上ろうとも、あなたはそこにおられ、陰府に身を横たえようとも、あなたはそこにおられます。暁の翼を駆って、海のかなたに住もうとも、そこでも、右の手は私を離さない。」(詩編139編7~10節)

「こうしてキリストは、捕らわれの霊たちのところへ行って宣教されました。これらの霊は、ノアの時代に箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者たちのことです。僅か八名だけが、この箱舟に乗り込み、水を通って救われました。」 (ペトロの手紙一3章19~20節)

 

今、私たちは、日曜日の礼拝で使徒信条を少しずつ学んでいます。使徒信条は、まず父なる神、造り主なる神を信じる信仰を語りました。次に使徒信条は、父なる神の独り子であるイエス・キリストを信じる信仰を語ります。この部分は、次のように語られます。

「我はその独り子、我らの主イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりて宿り、処女マリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、」

前回は「死にて葬られ」という言葉についてお話をしましたが、今日はその続き、「陰府にくだり」という言葉を取り上げます。「死にて葬られ、陰府にくだり」と 続くわけですが、皆さん、いかがでしょうか。「死にて葬られ」と「陰府にくだり」というのは同じことを別の言葉で言い表しただけではないかと、そのような印象を持たれたかもしれません。

確かにその通りなのです。歴史的な事を言いますと、もともと使徒信条には「陰府にくだり」という言葉は無かったというのが、現在多くの学者が一致して言うことです。それが紀元300年代のことと思われますが、必要に迫られて挿入されたと考えられるのです。そういえば、使徒パウロが書いたコリントの信徒への手紙一の15章に、次の言葉があります。

「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、」

ここはキリストの復活について述べた最古の文書の一つとされる箇所なのですが、ここにも「陰府にくだり」という言葉は無いのです。パウロは、自分が受けた信仰の骨子を省略するはずはないので、初代キリスト教の信仰内容にはキリストが陰府にくだられたという信仰内容そのものが無かったことが想像されます。

じゃあ使徒信条が必要に迫られて「陰府にくだり」という一文を付け加えた、その必要とはどういうことであったのか。そこが疑問として浮上します。この疑問に答える前に、そもそも「陰府」とは何なのか。どういう所なのかについて、少しお話をしておいたほうが良いでしょう。

「陰府」という日本語は、日常会話では使いません。それに対して「地獄」という言葉は、どうでしょうか。これは人にもよるでしょうが、日常会話で使います。「あの人はきっと地獄に行くに違いない」とか、受験地獄とか言います。別府温泉の地獄めぐりも有名です。地獄のほうが身近なのです。どうして地獄が身近なのかと言いますと、多くの場合、地獄は天国や極楽と対比されて出て来るからでしょう。人が死んだら、天国と地獄があって、善人は天国や極楽に行き、悪人は地獄に行くという分かりやすい構図があって、「悪いことをしたら地獄に落ちるぞ」と、昔の子供たちは親や祖父母から、よく言われたものです。こういう考え方は世界の多くの宗教にあります。よく似た考えは聖書に全く無いとは言えませんが、私たちが弁えておくべきは、こういう天国と地獄という教えは聖書以外の領域からキリスト教に紛れ込んだ考えだということです。聖書は悪い事をしたら地獄に落ちるなどということは語ってはいないと考えるのが良識であると思います。

今日は詩編の139編の御言葉を読みました。詩編は旧約聖書ですから、理性的に考えれば、この詩編を歌った詩人はイエス・キリストを知らないはずなのです。しかし、皆さん、どうでしょうか。私はこの詩編を読む時に、私たちの主イエス・キリストのお姿を瞼に浮かべないわけにはいかない。そんな不思議な詩編であると思います。7節以下の御言葉をもう一度味わってみたいと思います。

「どこに行けば、あなたの霊から離れられよう。どこに逃れれば、御顔を避けられよう。天に上ろうとも、あなたはそこにおられ、陰府に身を横たえようとも、あなたはそこにおられます。暁の翼を駆って、海のかなたに住もうとも、そこでも、右の手は私を離さない。」

牧師の大切な務めの一つに、葬儀の司式が挙げられます。葬儀というのは、亡くなった方を陰府に送り出す営みです。その営みを礼拝として行うのがキリスト教の葬儀です。どうしてそれが可能になるのか。陰府が天国への門となったことを知っているからです。陰府というのは、全くの闇の世界。神様の光が届かない世界とされてきました。そこが、どうして天国への門となったのか。それは、イエス・キリストが陰府にまでくだってくださったからにほかなりません。先ほどの詩編は、それを次のように歌いました。

「陰府に身を横たえようとも、あなたはそこにおられます。」

旧約の時代、陰府は全くの闇の世界、死の世界、神の光の届かない世界と信じられていました。こんなところに神はおられないに決まっている。そう思われていた世界です。ところが、そこに行った時に、なんと驚くべきことに、神よ、あなたはそこにおられる。この詩編の御言葉は、イエス・キリストが陰府にくだられたことによって完全に成就しました。使徒信条が語る「陰府にくだり」というのは、そういうことです。

先日、春の墓前礼拝が足羽山の聖徒之墓で行われました。礼拝に引き続いて、お二人の兄弟の納骨式が行われました。聖徒之墓の納骨の仕方は、一風変わっています。日本の多くの教会では、お墓の扉を開いて、その中にお骨を骨壺ごと納めるというのが一般的なやり方ですが、聖徒之墓の納骨は違うのです。墓石の上に直径30センチほどの穴が開けられていて、覗き込むと、内部は深く掘られており、中は全くの闇です。そこに納骨袋に入れたお骨を、袋ごと落とすのです。落とすためには、手を離さなければなりません。

私は、この「手を離す」という行為には、やはり意味があると思います。これは、ただ単に手を離しているのではない。落とすために手を離しているのではないのです。そうではなくて、委ねている。陰府にまでくだって行かれた方、陰府からよみがえり、天にまで昇る道を開かれたお方に、愛する家族を委ねるのです。私たちは、キリストが陰府にまでくだられたことを信じるから、望みをもって家族を葬ることも出来るのです。

また「陰府にくだり」という使徒信条の言葉と深い関わりのある聖書の言葉として、ローマの信徒への手紙10章7節の言葉が挙げられます。そこを読んでみます。

「また、『誰が、底なしの淵に下るだろうか』と言ってはならない。それは、キリストを死者の中から引き上げることです。」

何を言っているかと言いますと、この「底なしの淵」というのが「陰府」のことです。ローマ書が書かれた頃には、既にキリストが陰府にまでくだられた事が、キリストを信じる信仰の内容に含まれていたことが、これで分ります。当時の人々は、キリストが陰府にまでくだられたことを信じ告白して、洗礼を受けたのです。

ところが、信仰生活を送るうちに、人間の弱さが頭をもたげてきて、一旦は受け入れた信仰の内容を疑う人たちが出て来た。「いったい誰が底なしの陰府にまでくだるだろうか」と、つい、つぶやいてしまう。常識や理性の範疇に治まり切らないことが、受け入れられないのです。しかし、そうすることによって、どういうことが起こってくるかと言いますと、神様の御業を自分の常識に合わせて小さく小さくしてしまう。そういうことが起こるのです。ああ、これは自分には納得がいかない。受け入れることが出来ないと、教会が大切に伝えてきた信仰の言葉から、そういう受け入れ難いものを全部取り除いていく。そうすると、確かに自分の納得のいく事だけが残ります。しかし、その納得のいく事柄を並べてみて、「はい、これが私の信仰告白です」と言った時に、私たちが何をしているかと言うと、神様の救いの御業を自分の常識の器に閉じ込めて、小さくしているのです。イエス・キリストの御業を、神様の御業を、自分の貧しい器に合わせて、小さくしてしまう。矮小化してしまう。パウロは、そういうことは、もう止めようではないかと言うのです。

パウロは言います。キリストは陰府にまでくだられたのだ。だから、「誰が底なしの淵にまで降るか」などと言わないようにしよう。たとい、それが自分の理性や常識を超えるものであっても、それを言うな。言わないで、教会が大切にしてきた信仰の言葉を、そのまま受け入れようではないか。パウロが言いたいのは、そういうことです。

もう一つ、「陰府にくだり」という言葉が使徒信条に加えられる有力な理由になった新約聖書の御言葉が、今日読んだペトロの第一の手紙第3章の御言葉です。この御言葉が初代のキリスト教会の人々の心を捉えたのです。その部分を実際に読んでみたいと思います。3章19節です。

「こうしてキリストは、捕らわれの霊たちのところへ行って宣教されました。これらの霊は、ノアの時代に箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者たちのことです。僅か八名だけが、この箱舟に乗り込み、水を通って救われました。」

この「捕らわれの霊たちのところ」というのが陰府です。この霊たちは誰かというと、ノアの洪水の時に、罪のために滅ぼされてしまった人々なのです。キリストは陰府にくだって、あの洪水によって滅びに定められた人々の霊に救いの御言葉を語り聞かせてくださった。それによって、滅びの中にいた人々にも、救いの望みが開かれたのだと、ペトロの手紙は語っています。でも、どうしてこの御言葉が初代教会の人々の心を捉えたのでしょうか。

初代教会の人々というのは、文字通り初代のキリスト者です。まず自分が救われて洗礼へと導かれると、次に夫や妻、息子や娘たちが救われて、そこにクリスチャンホームが誕生します。ところが、いかんともし難いのが、キリストを知ることなく亡くなった家族です。それは父、母かもしれませんし、祖父母かもしれません。早世した我が子かもしれません。愛する家族が、キリストを知らずに、キリストのお言葉を聞くことなく、死んで葬られ、陰府に移された。あの人たちは、このまま滅びに定められるのかと、そういう不安に陥る気持ちは、私たちにも大いに理解できるところです。イエス・キリストが陰府にまでくだられた事は、この人たちに大きな希望と慰めをもたらしました。

それは、中世以来、多くの画家がこのキリストの陰府くだりを描いたことからも想像することが出来ます。私が見た作品は、白地に赤の十字架が描かれた旗を持つキリストのもとに、陰府に閉じ込められていた人々が駆け寄って来る。白地に赤の十字架は復活を象徴しています。そしてイエス様のもとに駆け寄って来る人々の先頭に立っているのがアダムとエバなのです。聖書に立脚しながら、聖書のメッセージをダイナミックに描いた画家の想像力の豊かさを思いますが、それほどにキリストの陰府くだりは多くの人に希望と慰めを与えたということでしょう。

その希望と慰めとは、どういうことなのでしょうか。キリストは陰府にまでくだって、陰府の闇に閉じ込められていた人々に、福音の言葉、神の言葉を語ってくださった。これによって、キリストは陰府にいる人々の救いになると同時に、地上に残された人たちの慰めとなってくださったのです。まことに、主イエス・キリストが与えてくださる希望と慰めは、地上に限定されることがない。そういう恵みを今日、私たちは頂いたのです。

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当教会では「みことばの配信」を行っています。みことばに牧師がショートメッセージを添えて、一年365日、毎朝お届けしています。ご希望の方は以下のアドレスにご連絡ください。

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以下は本日のサンプル

愛する皆様

おはようございます。今日一日が主の祝福の内にあることを願い、今日の御言葉を配信します。

5月11日(日)のみことば

「あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたたちの神、主を試してはならない。」(旧約聖書:申命記6章16節)

「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより、無償で義とされるのです。」(新約聖書:ローマ書3章24節)

ユダヤの人々、わけてもファリサイ派の人々は自分の義を立てるために徹底的に律法を遵守しました。それに対して、パウロは、それとは全く違う道があると語ります。私たち人間の罪を、神様が全部引き受けてくださった。神の独り子が私たちと同じ人間として生まれてくださって、私たちと同じ地上の生活をしながら、私たちの罪を全部肩代わりしてくださった。これこそ、私たちが神様との間の問題を解決するただ一つの道なのだとパウロは語っています。そして、キリストの十字架の贖いが本当に効力を持っており、神様との間にある罪という問題がすっかり解決された、そのことを証明するものがキリストの復活です。十字架によって完全に贖われ、復活によって完全に証明される。これがパウロが宣べ伝えている福音の骨格です。

この福音の知らせを聞いて、これを信じ「ありがとうございます」と言って受け取るのが信仰です。キリスト教の信仰というのは、神様からの恵みを感謝して受け取ることなのです。ですから、信仰というのは、言うならば「空っぽの器」みたいなものです。空っぽなんですが、天に向かって口を開いている。そういう器です。ですから、信仰によって義とされるというのは、私の中に何か良いものがあるから、それを認めていただくということではなくて、神様が備えてくださった救いの知らせを聞いて信じる。受け取る。これが信仰によって義とされるということです。