聖書:申命記29章9~14節・使徒言行録20章1~12節

説教:佐藤 誠司 牧師

「週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。エウティコという青年が、窓に腰をかけていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。『騒ぐな。まだ生きている。』そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。」(使徒言行録20章7~12節)

 

パウロの伝道旅行も、いよいよ終盤に差し掛かっております。パウロの最後にして最大の願いは、じつはローマに行くことでした。19章の21節に、こう書いてありました。

「このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通り、エルサレムに行こうと決心し、『わたしはそこへ行ったあと、ローマも見なくてはならないと言った。』」

いかがでしょうか? 「見なくてはならない」という言い方は、大変語気の強い言い方です。聖書独特の言い方に、「神的必然」という言い方があります。神様のご意思によって必然的にそうならねばならない、と言うときの言い方です。このパウロの言葉が、まさに、そうです。またほかに例を挙げますと、福音書の中の、主イエスの受難予告がそうですね。「人の子は渡されねばならない」という言い方です。神の御心によって、そうなるのだという意味の言い方です。そういう言い方をパウロは、ここでしているのです。

ということは、パウロは、もうこの時点で、自分の運命をすべて、神様のご意思に委ねていたということです。だから、彼は「ローマも見なくてはならない」と言ったのです。しかも、それはエルサレムに行ったあとでなければならない、とパウロは言うのです。どうしてなのでしょうか? エルサレムで果たすべき大仕事があるからです。それを果たした上でなければ、ローマ行きには何の意味もない。さあ、パウロがエルサレムに行って果たそうそしている大仕事とは、何なのでしょうか?

じつは、パウロは、自分が基礎を据えた異邦人教会からエルサレム教会支援のための献金を集めておりました。エルサレムを中心とするパレスチナ地方に深刻な飢饉が起こって、エルサレム教会も窮地に陥っている。そこで、パウロはこれを支援するための献金運動を、自らが基礎を据えた諸教会で行っていたのです。

しかし、この献金運動には飢饉によって窮地にあるエルサレム教会を支援するということ以外に、一つ、大切な目的がありました。以前にもお話しましたが、当時のエルサレムはユダヤ主義と言いますか、大変な愛国主義に席巻されておりまして、律法を遵守することが大変尊ばれておりました。エルサレム教会はその渦中にあるわけですから、律法問題には神経をとがらせている。福音を信じてはいるけれど、律法も大事という立場にならざるを得なかった。そこへパウロの異邦人伝道の噂が次々と聞こえてくるわけです。噂というのは、とかく尾ひれが着くものです。パウロが「人は福音を信じるだけで救われる」と説けば、いつしかそれに尾ひれが着いて、パウロは律法なんてどうでも良いんだと言っていると、噂というのは、そっちの方に力点が掛かって伝わるものです。

そういう噂の中で、エルサレム教会は、まさに薄氷を踏む思いをしていたわけでして、正直なところ、パウロには大人しくしていてほしいのです。自分たちはキリストを信じながら、律法も守っていく。こういう行き方があってもよいではないか。我々はパウロの異邦人教会も認めるのだから、パウロも我々のやり方を認めるべきではないかと。我々は我々、パウロたちはパウロたち。そういう考え方をエルサレム教会の人々はするようになっていたのです。当然、エルサレム教会は異邦人教会に対して交わりの門戸を閉ざし勝ちになります。

そこに起こったのがパレスチナの飢饉でした。パウロはいち早く献金運動に取り掛かります。コリントの教会も、フィリピの教会も、テサロニケの教会も、これに参加しました。これらは皆、異邦人をも受け入れる教会です。これら異邦人教会からの献金を、エルサレム教会が受け取ってくれれば、それは、とりもなおさず、エルサレム教会が異邦人教会に対して交わりの門戸を開いたということです。さあ、エルサレム教会は、異邦人教会からの献金を受け取るだろうか。それとも、受け取らないで、心を閉ざすのか。

ところで、パウロは、なぜ、それほどまでに異邦人教会とエルサレム教会の交わりに心血を注ぐのでしょうか? もう一度、19章の21節を振り返ってみると、パウロは、自分はエルサレムへ行ったあと、「ローマも見なくてはならない」と言っておりました。エルサレムへ行って、異邦人教会とエルサレム教会の交わりを確かなものとした上で、私はローマに行かなければならないのだとパウロは言うのです。さあ、これには、どういう事情があるのでしょうか?

以前、18章の初めに、こういうことが記されていました。パウロがコリントに来たときのこと。そこでパウロはローマから来たアキラとプリスキラというユダヤ人夫妻と出会います。どうしてこの夫婦がローマから出て来たかと言いますと、この夫婦は元々、ローマ教会の有力な信徒だったのですが、ローマでユダヤ人同士のトラブルが起こったため、時のローマ皇帝クラウディウスがローマからユダヤ人をすべて退去させる勅令を出したのです。アキラ夫妻はこれによって、ローマから出て来たわけです。そして夫妻はパウロにローマ教会の現状を詳しく語ったに違いありません。ローマ教会は、当時としては珍しくユダヤ人信徒と異邦人信徒が共に礼拝の恵みに与る教会でした。ユダヤ人信徒と異邦人信徒が共に手を携えて教会形成をしていた。とはいえ、ユダヤ人信徒たちが指導的な立場に立っていたことは明らかであり、そういう中心的な立場にあったユダヤ人信徒たちがあの勅令によって、ゴッソリ抜け落ちてしまったのですから、大変です。異邦人信徒たちだけで教会を支えて行かなければならない。しかし、それでも異邦人信徒たちは、頑張って教会を支え続けてきたのです。

しかし、本当に大変なのは、それから先のことでした。やがて、ユダヤ人追放の勅令が解かれて、ユダヤ人信徒たちがローマに帰って来ました。彼らが見たものは何だったでしょうか。それは、かつて自分たちが指導していた異邦人信徒たちが、教会の指導的立場に立っている有様でした。ユダヤ人信徒たちの心は穏やかならざるものがあったと思います。ひるがえって、異邦人信徒たちはどうであったかというと、教会が大変なときに、自分たちが教会を支えてここまで来たのだという自負があったでしょうし、教会がなんとか軌道に乗り始めたときにユダヤ人信徒たちが帰って来て、再び教会の指導的立場に立ち始めたのですから、こちらも心穏やかならざるものがある。いったい、これから先、ユダヤ人信徒と異邦人信徒は、本当に主にある兄弟として交わりを保って行けるのか。

パウロがエルサレム教会と異邦人教会の交わりを確たるものとしてから、ローマに行かねばならないと言ったことには、そういう背景があったのです。

さて、前置きが長くなりましたが、以上のようなことを踏まえて、今日の個所を読みますと、そこにエルサレム行きとローマ訪問をひかえた、独特の緊張感が漂っていることに気付かれるかと思います。パウロはエフェソを出発してマケドニア州を巡り歩いて、かつて伝道した人々を言葉を尽くして励ましながらギリシアに来たと書いてあります。「言葉を尽くして励ました」というところに、パウロの万感の思いが表れています。

そしてギリシアに来て三ヶ月をそこで過ごしたと書いてあります。このギリシアというのはコリントのことです。ちょうどコリント教会のゴタゴタが落ちついた頃です。この三ヶ月のコリント滞在の間にパウロは、ローマの信徒への手紙を執筆しています。そう思いますと、ローマの信徒への手紙というのは、ただ単にローマ教会の人々に宛てて書いた手紙というより、すべてのユダヤ人信徒と異邦人信徒に遺されたパウロの遺言のような趣があります。

さて、シリア州に向かおうとしていた、そのときにユダヤ人の陰謀があったので、パウロはこれを避けてマケドニアを通って帰ることにします。そのパウロに随行した人たちの名前が記されています。この人々を伴って、パウロはエルサレムに向かおうとしているのです。その中に、異邦人であるテモテの名前が見えます。ここからも、エルサレム行きに込められたパウロの悲願が汲み取れます。この一行はパウロよりも先にトロアスに向かい、除酵祭の後フィリピを発ったパウロは五日の後トロアスで彼らと落ち合い、そこで七日間滞在します。

さて、7節からは、トロアスの町で守られた礼拝と、そこで起こった不思議な出来事が記されています。「週の初めの日」と書かれています。日曜日のことですが、これは明らかに福音書の復活の物語を指し示す表現です。十字架で死んで葬られた主イエスが甦られた日のことです。「パンを裂くために集まった」と書いてあります。これは聖餐式のことです。つまり、聖餐を守ることがこの礼拝の目的だったわけです。これは会堂・シナゴーグでの礼拝では考えられないことです。会堂での礼拝なら、律法が読まれ、預言書が読まれて、パウロはその律法と預言書からキリストの福音を説き明かさなければなりませんでした。緻密に聖書を研究し、説教を組み立てて、ユダヤ人たちをも説得するような話をしたのです。

しかし、ここではどうでしょう。パン裂きが中心となっています。これは明らかにキリスト教会の礼拝です。教会と言っても、まだ独立した建物はありません。有力な信徒の家を開放してもらって、そこで礼拝が行われていたのです。三階建ての家であったことが記されています。たくさんの灯りが灯されています。たくさんの灯りから、その熱気が、立ち上っていきます。夜のことです。当時の日曜日は今でいえば月曜日のような感じです。これから労働が始まる日だからです。ですから、多くの人が夜、集まりました。一日の労働を終えて、やっとの思いで礼拝に駆けつけるのです。

この礼拝の最中に、異変が起こります。パウロの話が夜中まで延々と続くので、3階の窓に腰掛けていたエウティコという青年が眠気を催して落下するという事故が起こったのです。おそらく、彼も日曜日の労働を休むことが出来なくて、朝から働いて、やっとの思いで礼拝に駆けつけたのでしょう。人々が「起こしてみると、もう死んでいた」とハッキリ書いてあります。しかし、パウロは彼を抱き抱えると「騒ぐな、まだ生きている」と言ったのです。「もう死んでいる」と「まだ生きている」。こういう対比的な表現は、ルカが得意とするところです。パウロは何事もなかったかのように、席に戻り、再びパンを裂き、そして御言葉を語り続けました。生き返った青年も、その席に共に着いてパンを食べ、御言葉を聞いたのでしょう。人々は大いに慰められたと書いてあります。さあ、この物語は、何を語っているのでしょうか?

一日の労働と立ち上る熱気、そして長々と続くパウロの説教のために睡魔に襲われた青年が窓から転落して死にそうになったという、ただそれだけならば、エルサレム行きを前にして、緊張感高まるこのときに、何をか言わんやという感じがいたします。どうしてルカは、この不思議な物語を、ここに挟み込んだのでしょうか? 私はここらあたりにルカの特徴があると思うのですが、ルカという人は大事なことを描くとき、それを観念的に描くのではなく、ビジュアル的に描く。目に見えるように描くことが多いのです。

例えば、ペンテコステの有様です。聖霊という目に見えないものを、ルカは炎という目に見える形でビジュアル的に描きました。クリスマスの夜の出来事も、そうです。ルカでなければ、夜空に響く天使の歌と羊飼いたちの喜びを、あれほど鮮やかに目に浮かぶように伝えられなかったと思います。

また十字架の場面も、そうです。「一人は右に、一人は左に」と書いて、主イエスの左右に十字架につけられた二人の犯罪人を、あれほど鮮やかな対比を見せながら語れるのは、やはりルカをおいてほかにはないでしょう。エマオの物語も、放蕩息子の物語も、マルタとマリアの物語も、どれもこれも目の前に見えてくるような、つまりビジュアル系の語り方なのです。

この3階から落ちた青年の物語も、じつはそうでして、「青年」と訳してありますが、正確に言うと、これは「少年」と翻訳したほうが良い。しかし、どうして少年が真夜中に3階の窓に腰かけているのか、そこが不自然なので、「青年」と訳したのです。

ところが、ここにルカが「少年」という言葉を選んだのは訳があるのでして、これは象徴として出て来る言葉です。ではこの少年は何の象徴なのかと言いますと、やはり、まだ生まれて間もない異邦人教会、独り立ち出来るか出来ないか、今、その大切なときを歩んでいる異邦人教会の象徴ではないでしょうか?

疲れ果てて、3階の窓から落ちるのです。死んでいると誰もが思った。しかし、パウロは「いや、まだ生きている」と言う。「もう死んでいた」と「まだ生きている」。この鮮やかな対比は、この少年が異邦人教会の象徴だからこそ、ルカが用いた表現でしょう。そしてこれはまた、主イエスがお語りになった言葉の成就でもあります。あの放蕩息子の物語で、ダメな弟息子が父のもとに帰って来たとき、あの父親はこう言ったでしょう。

「さあ、一緒に喜び祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに、見つかったからだ。」

死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった、この息子とは、いったい、誰のことでしょう。これは主イエスの時代には、罪人、取税人たちのことでした。しかし、今や、そこに新たな意味が込められようとしている。死んでいたのに生き返った息子。いなくなっていたのに見つかった息子とは、異邦人たちのことです。

今日は旧約の申命記29章の御言葉を読みました。普段、あまり読まない箇所かも知れませんが、ここはじつは、初代キリスト教会の歴史の中で、異邦人伝道に一つの根拠を与えた記念碑的な御言葉です。9節に、こう書いてあります。

「今日、あなたたちは、全員あなたたちの神、主の御前に立っている。」

神様の前に立っているというのは、私たちが要求して出来ることではありません。神様が与えてくださる恵みによって、御前に立たせていただく。主の十字架によって、罪贖われて立たせていただくのです。それはいったい、どういう人々なのか? 13節14節に、こう書いてあります。

「わたしはあなたたちとだけ、呪いの誓いを伴うこの契約を結ぶのではなく、今日、ここで、我々の神、主の御前に我々と共に立っている者とも、今日、ここに我々と共にいない者とも結ぶのである。」

神様はモーセと一緒にいる人たちだけと契約を結ぶのではない。モーセと一緒にいる人々とはユダヤ人のことです。それに対して「今日、ここに我々と共にいない者」とは、誰のことか? モーセと一緒にいない人たちとは、誰のことか?異邦人なのです。

この申命記の御言葉がパウロたちの異邦人伝道の根拠になったのです。迫害にさらされて、誰もが「もう死んでいる」と思った異邦人教会を、パウロは「まだ生きている」と言いました。望みはあるのです。この望みの延長線上に、今の私たちがあるのです。

 

 

 

 

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