聖書:エレミヤ書1章4~10節・使徒言行録22章1~16節

説教:佐藤 誠司 牧師

「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。」 (使徒言行録22章3~4節)

「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストの故に損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主イエス・キリストを知ることのあまりの素晴らしさに、今では他の一切を損失と見ています。キリストの故に、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。」(フィリピの信徒への手紙3章7~9節)

 

 

新約聖書には迫害の血のにおいが漂っていると、よく言われます。多くのキリスト者がその信仰ゆえに迫害され、血を流し、命を落としました。その時代の影響が新約聖書の言葉遣いにも現れているのです。典型的な例が、パウロの手紙の中にあります。テモテへの手紙一の6章12節の言葉です。

「信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。」

パウロが弟子のテモテに書き送った手紙ですが、この「戦い」という言葉は、じつは「多くの人の前」という意味を持つ言葉です。キリスト者が、その信仰故に多くの人の前に引きずり出されたのです。それは猛獣と戦う競技場であり、また裁きを受ける法廷でありました。多くのキリスト者がそういう四面楚歌の場に立たされて、信仰の戦いを全うした。そういう歴史の事実を、この言葉は映し出しているわけです。

また「信仰の戦い」といえば、もう一つ、パウロの言葉が思い出されます。それはテモテへの手紙二の第2章9節の言葉です。

「この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれてはいません。」

エルサレム神殿で人々の暴動に遭ったパウロは、今、囚われの身になっています。暴動を鎮圧しに来たローマの守備隊に保護されたパウロは、二本の鎖につながれて、犯罪人のように、身動き出来なくされている。しかし、パウロの中に生きて働いている神の言葉は、繋がれてはいない。

確かに、これ以降、パウロは二度と自由の身にはなりません。囚われの身のままなのです。教会で語ることも出来ず、会堂で語ることも出来ない。仲間たちと伝道旅行に出かけることも出来ません。しかし、そのような出来ない尽くしの中で、出来ることが、ただ一つだけ、ある。それは、信じて生きるということでした。御言葉を信じて生きる。そのときに、御言葉が生きて働く。私の中で生きて働く。私の生き方、死に方を通して、神の言葉が生き生きと、伝わって行く。だからパウロは言う。「神の言葉はつながれてはいない」と言うのです。

パウロを保護したのはエルサレムに駐屯するローマ守備隊の千人隊長でした。彼はパウロのことは何一つ知りません。彼に向かってパウロはこう述べています。21章の39節です。

「わたしは確かにユダヤ人です。キリキア州のれっきとした町、タルソスの市民です。どうか、この人たちに話をさせてください。」

ユダヤ人だけれど、市民なのだと言うのです。これ、どういうことかと言いますと、「市民」というのは大きな都市が成立するに伴って出来た概念でありまして、一定の権利を持つ人々のことなのです。大きな都市には富が集まってきますから、市民は「富を管理する者」という意味になり、これが都市の自治権に発展していきます。この「市民」を法的に整備したのがローマ法だったのです。パウロが言った「市民」とは、こういう法律によって保護された権利の持ち主のことなのです。

ペトロをはじめとする使徒たちは、その多くがガリラヤ出身ですから、「市民」ではなかった。エルサレムに住むユダヤ人も市民ではありません。その意味で、れっきとした市民であるパウロは例外中の例外だったのです。ただし、パウロは福音伝道の中で自分が市民であることをひけらかしたことは一度も無かった。捕らえられ、裁かれようとするときに、正当な裁きを受けるために、自分が市民であることを初めて公に口にしたのです。

パウロが千人隊長に話したのはギリシア語でした。パウロが話すギリシア語は立派なギリシア語であったと思われます。それは千人隊長がパウロの願いをたちどころに聞き入れていることからも分かります。言葉は人品骨柄を表すからです。さて、パウロは千人隊長の許しを得て、今度はヘブライ語で民衆に語りかけます。

「兄弟であり、父である皆さん、これから申し上げる弁明を聞いてください。」

人々はパウロがヘブライ語で話すので、ますます静かになったと書いてあります。あの男はヘブライ語が話せるのかという驚きもあったでしょう。というのも、当時すでに、ユダヤ人であってもヘブライ語が話せない人も多かったという事情がある。ヘブライ語が話せるユダヤ人とは、とりもなおさず、伝統的な教養を身につけたユダヤ人ということなのです。人々が静まり返ったのは、パウロを同胞として見直したという思いがあったと思います。これは弁明をする上で有利なことです。パウロは人々に「兄弟であり、父である皆さん」と呼びかけています。このようにパウロは人々に最大限の敬意を払ってから語り始めます。

「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。」

これを見ますと、パウロがかつてキリスト者を迫害していたのは、神様に対する熱心さからだったことが分かります。神様に対して熱心だったから、キリスト者を迫害した。どうしてそんなことが起こるのでしょうか? パウロはこの問題について、ローマの信徒への手紙の10章の初めに、こう述べています。

「兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています。」

この「彼ら」というのが、じつはユダヤ人のことなのです。続けてパウロは言います。

「わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。なぜなら、神の義を知らず、自分の義を求めようとして、神の義に従わなかったからです。」

これと先ほどの使徒言行録の言葉を合わせて読みますと、パウロは決して他人事のようにユダヤ人を批判しているのでないことが分かります。パウロがユダヤ人を批判するとき、そこには自分自身も入っている。パウロはかつての自分を顧みて批判している。だから、パウロは、彼らが救われることを心から願っているわけです。

さて、使徒言行録に戻りますと、パウロは「私の弁明を聞いてください」と言って話し始めたわけですが、話の内容が、いつの間にか弁明ではなく、証しになっていることに、皆さん、気付かれたかと思います。エルサレムからダマスコに向かう途上で復活の主イエスと出合ったことに、パウロとしては触れざるを得ないのです。どうしてでしょうか? これがパウロの生き方を180度転換させた決定的な出来事だったからです。それまでのパウロ、そのころはまだ名前をサウロと言っておりましたが、サウロの生き方は、どのような生き方であったか?

敬虔という言葉がありますね。物事を経験するほうの「経験」ではないですよ。「あの人は敬虔なクリスチャンだ」などと言ったりするほうの「敬虔」です。私たちはよく、信仰の深い人のことを「敬虔な人」と呼びます。しかし、キリストを信じる信仰と敬虔というのは、厳密に突き詰めていきますと、水と油なのです。決して混じることがないのです。

どういうことかと言いますと、毎日熱心にお祈りするとか、献金するとか、礼拝を欠かさないとか。もちろんこれは、どれもこれも良いことなのですが、そういうことを突き詰めていけば救われた人間が出来上がるように考える。じつはそれが敬虔の道なのです。サウロをはじめとするユダヤ人たちは、この道を信仰の道と取り違えたのです。ですから、敬虔の道というのは、こちら側から神様に到達しようとする道のことです。神様のほうに向かって行くのです。熱心の道です。

しかし、イエス様は、どうでしたか? イエス様のほうから来てくださったでしょう? 「私が来たのは罪人を招くためだ」とおっしゃった。罪人たちと食卓を共にしてくださった。人間が神様に受け入れていただくということは、人間の側にその値打ちがあるからではなくて、神様が私たち罪人を憐れみ、私たちを愛して、無条件で「我が子」として受け入れてくださる。無条件ですよ。この神様の永遠の決意こそが、私たちが神様に受け入れられ、神様の子どもになるということの、決定的かつ唯一の根拠です。そしてこの神様の永遠の決意のことを、パウロは「神の義」と呼んだ。そして、この「神の義」を伝えるものが「福音」なのです。

サウロが神への熱心に燃えてダマスコに向かっていたその道は、じつは敬虔の道だったのです。そしてその道の途上で、彼はキリストと出会う。だから、パウロという人は、そういう敬虔の道を歩む者、熱心に神様を信じ、自分の義を立てようと必死になっている人の心を、よく知っているのです。なぜなら、パウロ自身も、かつてはそうだったからです。「自分はこれだけやった」という、そういう誇りを持っていたのです。けれども、キリストにおいて現された神様の救いの御計画、恵みというものに出会ったとき、彼は目が見えなくなってしまうほど、圧倒されてしまった。180度の転換です。パウロはそのときのことを、手紙の中でこう語っています。

「わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非の打ち所の無い者でした。」

「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストの故に損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主イエス・キリストを知ることのあまりの素晴らしさに、今では他の一切を損失と見ています。キリストの故に、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。」

フィリピの信徒への手紙の言葉です。今まで、大事な大事な宝と思い、汗と涙の結晶であった「自分の義」。それは今や塵あくただと言うのです。無用であるだけでなく、むしろ邪魔なのだと言うのです。なぜでしょうか? もう皆さん、お解かりのことと思います。そういうものがあると、どうしても自分を頼みとするからです。自分を頼みにするということは、神様の恵みに自分を明け渡すことが出来ないということです。半分くらいは明け渡しても、後の半分は「いや、私はこれだけやっている」とか「こんなに熱心にやっている」とか「私はこんなに努力をしておる」というものが、自分の中に残っていると、それが邪魔になって、自分を全部キリストの恵みに委ねることが出来なくなってしまうのです。だから、パウロはそういうものは「塵あくた」だと言う。塵あくたって、ゴミのことでしょう? ゴミは早く捨てないといけません。そうでないと、周りまで段々と臭くなってしまう。そういうものです。パウロはダマスコに向かう道、敬虔の道の最中にキリストと出合って、そういうことに目が開かれた。だから、目からうろこのようなものが落ちたのです。

こういうことはキリストを信じている皆さんなら、もうすでにお解かりのことだと思います。知っておられることです。しかし、信仰生活というのは知っていること、分かっていることだけでは、おっつかないことが、多々あります。皆さん、どうでしょう? 実際の信仰生活において、自分の義を立てようとして、神の義に従えないということが、しばしば起こってきませんか? 信仰が大事だとよく言います。信仰によって判断すべきだと言われます。でも、そのときに、信仰、信仰と言っているその私たちの信仰は、ひょっとして敬虔ではないでしょうか? イエス様はおっしゃいました。「もし信じるなら、神の栄光を見るであろうと、あなたに言っておいたではないか」とおっしゃった。何を信じるのですか? 自分の義を信じるのではないです。この取り柄のない私が、無条件で神様に愛され、救われて、神様の子どもにされている。この福音を信じたときに、神様の恵みが私たちの中に形をとって現れてくる。パウロはそれを「キリストの香り」と呼びました。何か私たちの中に、信仰というえらい値打ちのあるものが先にあって、それを条件にして私たちを救ってくださるというのではない。私たちには何もない。何もない者を救ってくださると、信じたときに、神様の恵みが現実になります。「あなたの信仰があなたを救った」とは、そういうことだと思うのです。

 

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