聖書:イザヤ書30章20~21節・マルコによる福音書14章53~72節

説教:佐藤 誠司 牧師

「するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、『鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。」(マルコによる福音書14章27節)

 

ペトロの裏切りの物語を読みました。先々週はイスカリオテのユダの裏切りの物語を読み、今週はペトロの裏切りです。福音書は、どうして裏切りの物語を立て続けに語るのでしょうか。

今日の物語は、主イエスの一番弟子であるペトロが、人々に詰め寄られて、主イエスを知らないと否認する。しかも、三度に渡って否認する。裏切ってしまうのです。裏切りといえば、私たちはすぐにイスカリオテのユダのことを思い浮かべます。銀貨30枚で主イエスを敵に売り渡したユダは、日本でも新聞・雑誌で裏切り者の代名詞のようにその名が使われる。しかし、四つの福音書が口を揃えて言うことは、裏切ったのはユダだけではなかったということです。ペトロの否認も、主イエスを否定したという点において、ユダと同じ裏切りであったと思います。

しかし、同じように主イエスを裏切ったペトロとユダではありますが、この二人は、その後、じつに対照的な歩みをたどります。ユダは手にした銀貨を投げ捨てて、自分で自分を責め苛み、ついに自ら命を絶ってしまいます。良心の呵責に耐えかねて、自分で自分を裁いたのです。自分が自分を裁いた。そこには他者が入り込む余地はありません。

ところが、ペトロは、どうでしょう。確かにペトロにも良心の呵責はあったでしょう。主イエスのことを「あんな人は知らない」と三度も否認したのですから、自分を責めるのは、むしろ当然のことです。ペトロだって自分で自分を裁いたでしょう。もうあの男は再起不能だと周りの誰もが思ったに違いない。敵でさえそう思った。だから、ペトロを捕らえて牢屋に閉じ込めようなどとは誰も思わなかった。あんな男、放っておいたら自滅するに違いないと、誰もが思ったからです。

ところが、そのどん底から、ペトロは立ち直るのです。どうしてなのでしょうか? どうして彼は立ち直ることが出来たのか? 私はそこに主イエスの御言葉の秘密があるように思うのです。

今まで裏切りということをユダとペトロに焦点を絞ってお話してきましたが、じつはこれは彼らだけではありません。12人の弟子たち全員が深く関わることです。最後の晩餐の席で、主イエスが、「あなたがたの中に私を裏切る者がいる」とおっしゃった。ユダの名前を挙げてはおられないのです。そのときに、弟子たちは、いっせいに「先生、まさか私ではないでしょう」と言い合った。不安げな彼らの表情までが目に浮かぶ場面です。ここから分かりますのは、彼らは皆、「裏切り」という言葉に鋭く胸をえぐられて、ハッとせざるを得ない何かがあったことということです。そして事実、最後の晩餐に続くゲツセマネの園で主イエスが祈りをささげられた。その直後に主イエスが捕らえられたとき、弟子たちはことごとく主イエスを見捨てて逃げてしまった。弟子たち全員が主イエスを裏切ったという見方も出来なくはないのです。

その中で、ペトロという人物の歩みを振り返りますと、不器用ながら心尽くして主イエスに従ってきたことが分かります。ガリラヤ湖の漁師をしていたときの出会いに始まって、主イエスに従うことが何よりの喜びであり、ときに主イエスに叱られながら、しかし、ペトロはそれを、むしろ喜びにして歩んだ。嘘偽りのない真正直な歩みだったのです。おおよそ、ペトロに関しては、嘘や偽りは全く無い。そういう人なのです。

最後の晩餐の席で、主イエスがご自分の最後について予告なさったときも、ペトロは、模範的な、勇ましい返答をすることが出来ました。「主よ、ご一緒になら、牢に入っても、死んでも良いとまで覚悟しております」と立派に答えることが出来たのです。私は、これは彼の偽りのない思いであり、正直な覚悟であったと思います。決して虚栄や強がりで言った言葉ではない。ペトロらしく、熱情を込めて、心底そう思って発言したに違いありません。

ところが今、主イエスは捕らえられて、犯罪人として裁かれておられる。大祭司の家に連行されたと書いてあります。大祭司の屋敷は裁判所を兼ねておりましたから、主イエスが重罪人として裁かれることは、誰の目にも明らかです。さきほどまで一緒だった弟子の仲間たちも、今は散り散りバラバラになって、どこへ行ったのかも分からない。

そんな中、ペトロは遠く離れてついて行くのです。主イエスに従うことも出来ず、さりとて逃げ切ることも出来ないでいる。この中途半端さが今のペトロを象徴していると思います。

さて、大祭司の家には広い中庭があったと伝えられる。そこに人々は集まって、松明を掲げ、あるいは焚き火を焚いて、中の様子をうかがっていました。その人々の中に、ペトロは紛れ込むのです。この時も、ペトロの心は揺れていたに違いありません。不安に揺れる心というのは、大勢の人ごみに紛れ込むことによって初めて、束の間の平安を得るからです。

彼は中庭の一角の焚き火の輪に入り、座り込みます。すると、炎の明かりに照らされて、闇の中にペトロの顔が浮かび上がった、その顔をじいっと見つめる目があった。大祭司の家に仕える女中がペトロの顔を見たのです。彼女はペトロを見つめて言います。

「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。」

しかし、ペトロはこれを打ち消して「あなたが何のことを言っているのか、私には分からないし、見当もつかない」と言った。そして屋敷の出口のほうへ出て行くと、鶏が鳴いた。女中はなおも食い下がって、周りの人々に「この人は、あの人たちの仲間です」と言い出した。ペトロは再び打ち消します。

しばらくして、今度は居合わせた人々が、ペトロに言います。

「確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから。」

すると、ペトロは、呪いの言葉さえ口にしながら、「あなたがたの言っているそんな人は知らない」と誓い始めた。

ペトロが三度目に主イエスを否認した、その言葉が終わらないうちに、鶏が鳴きました。マルコは、これによってペトロは主イエスのお言葉を思い出したと語ります。72節です。

「するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、『鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。」

ここに「思い出す」という言葉が出てきております。変わり映えもしない、何気ない言葉です。私たちも日常会話でよく使う言葉です。しかし、私はここに、今日の物語の急所があるように思います。ペトロは思い出した。主のお言葉を思い出すことが出来た。だからこそ、彼は、立ち直ることが出来たのです。

さあ、思い出すって、どういうことなのでしょうか? 私たちが「思い出す」という言葉を使う場合、それは大抵、過去に経験した出来事や、過去に聞いた言葉を、すでにおぼろげになっている記憶の片隅から引き出してくる。ほこりをかぶったようになっている過去の記憶を、もう一度取り出して、ほこりを払い、「ああ、こういうのがあった」と再確認をする。「思い出す」という言葉には、そのようなニュアンスがあると思います。

ところが、このペトロの場合、それが当てはまるかというと、どうもそうではないと言わざるを得ない。というのも、「あなたは鶏が二度鳴く前に私を三度、知らないと言うだろう」と主イエスがおっしゃったのは、そんなに遠い過去のことではない。つい先ほど、と言っても過言ではない。それを「思い出す」というのは、ちょっと大仰な表現にも聞こえます。

しかし、よく読んでみますと、福音書が使いましたこの「思い出す」という言葉は、そういう、私たちがよく知っているものとは違う、聖書独特の深い意味合いを持っていることが分かってまいります。それは、果たして、どういう意味なのか。

私たちが日常生活で使う「思い出す」という言葉は、あくまで「記憶」に関わることです。記憶のかなたに押しやられた過去の出来事や言葉を、もう一度、記憶の表舞台に呼び起こすこと、呼び戻すことです。その場合、主の言葉を思い出すというのは、どういうことになりますか? 「ああ、イエス様、ああ言っておられたなあ、こうも言っておられたなあ」と、単に記憶をよみがえらせるに過ぎません。それは記憶に関わることであって、生き方に関わることではありません。

しかし、マルコがここに使っている「思い出す」という言葉は、そういうレベルを超えている。確かにこの言葉も、過去の言葉や出来事を現在化することではありますが、その際に記憶のレベルを超えるのです。記憶ではなくて、今の生き方に関わることとして聞く。

主の御言葉を思い出すとは、過去に語られた御言葉を、過去の出来事として回想するのではなく、今の自分の生き方への語りかけとして聞くことです。主が今の私の生き様といいますか、生き方に向かって語っておられる。耳で聞くのではない。生き方で聞く。主イエスを三度「知らない」と否認した弱い生き方、そうすることしか出来なかった惨めな生き方で主イエスの御言葉を現在化して聞いたとき、ペトロは真に主の御言葉を聞くことが出来たのではないかと思う。そのときに、彼は、本当の意味で主の言葉を聞くことを学んだのではないか。

それにしても、不思議に思いますのは、マルコ福音書にはペトロのエピソードが圧倒的に多いということ。しかも、ペトロの場合、手柄話や成功談の類はほぼ皆無でありまして、主イエスに叱り飛ばされる話や、みっともない失敗談、失敗までは行かないまでも、愚かしさが露呈した発言や行動が目白押しになって語られる。どうしてなのでしょうか。

新約聖書には四つの福音書が収められていますが、四つの福音書の中でいちばん初めに成立したのがマルコ福音書であると言われます。しかも、マルコ福音書はペトロと親しい関係を持つ人々によって書き記されて、ローマで成立したと言われます。ローマといえば、ペトロが殉教の死を遂げた町です。皇帝ネロによる大迫害の中、ペトロは弟子たちに説得されて、ローマを脱出するのですが、何が起こったのか、彼は炎渦巻くローマに引き返すのです。そして捕らえられ、十字架刑に処せられます。その際、これは有名な話ですが、彼は、自分は主イエスを見捨てて逃げた人間なので、主イエスと同じ十字架につけられる値打もないと言って、頭を下にして、逆さに十字架につけられたと伝えられる。

もちろん、ペトロは主イエスの十字架を見てはいない。見てはいないのだけれど、彼に繰り返し十字架の主の御業と言葉を語った人物がいたのです。それはペトロの本名と同じシモンという人物です。以前に礼拝で読んだローマの信徒への手紙16章の13節に、こう書かれています。

「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。」

このルフォスの名前が、マルコ福音書の15章21節に出てきます。そこを読んでみたいと思います。

「そこへ、アレクサンドロとルフォスの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理にかつがせた。」

ルフォスの父シモンは、あの時、偶然通りかかったゴルゴタに通じる道で、十字架を背負う主イエスと出会ったキレネ人シモンだったのです。どうしてシモンの息子ルフォスの名前がローマ書に出て来るのでしょうか。ルフォスの父シモンも、その妻も、キリスト者になりました。そして、やがて彼らの息子ルフォスも洗礼へと導かれます。パウロはルフォスのことを「主に結ばれている、選ばれたルフォス」と述べていますが、ルフォスの父シモンは、まさに主の十字架に結ばれて、その十字架の重さを身をもって味わった人だったのです。自ら進んでイエス様の十字架を背負ったのではありません。イエス様を自分の救い主と信じていたわけでもありません。偶然通りかかっただけ。しかも、無理やりかつがされただけ。ただそれだけの事が、シモンの生き方を変えたのです。なぜでしょうか。おそらく、シモンは、聞いたのだと思います。十字架の上で釘打たれ、息も絶え絶えの中、主イエスがおっしゃった言葉を、聞いたのだと思います。

「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、分からずにいるのです。」

主イエスの執り成しの祈りです。この祈りを聞くことが出来たのは、ごく少数の人たちでした。主の十字架の近くにいた百人隊長と、主と共に十字架につけられた二人の犯罪人、そして主の十字架を背負わされてゴルゴタまでやって来たシモンも、その一人であったのでしょう。この出来事がシモンの生き方を変え、シモンの妻を救いへと導き、そしてシモンの子ルフォスをも導いて、彼ら家族をローマへと導いたのです。そこへ、ペトロも導かれてやって来ます。二人のシモンが出会いを遂げます。この二人の出会いがマルコ福音書成立の上に果たした役割は、非常に大きいと思います。

シモンはペトロに主の十字架を語りました。十字架の上で為された、あの執り成しの祈りの言葉を伝えました。

「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、分からずにいるのです。」

おそらく、ペトロは、この執り成しの祈りをシモンから聞いたのでしょう。そしてペトロは「彼らをお赦しください」と祈られた、この「彼ら」の中に、自分も入れられていることに気づくのです。これが契機となって、ペトロは証しを語り始めます。主イエスを三度知らないと言って否認したことも、主イエスにとんでもない願い事をしたことも、単なる失敗談ではなく、証しとして語った。福音の前進のために語ったのです。こんな取柄もない自分が罪赦され、証し人として生かされている。罪の赦しの福音を証しするために生かされている。これはペトロだけではない。私たちにも開かれている生き方であると思います。

 

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当教会では「みことばの配信」を行っています。ローズンゲンのみことばに牧師がショートメッセージを添えて、一年365日、毎朝お届けしています。ご希望の方は以下のアドレスにご連絡ください。

ssato9703@gmail.com

 

以下は本日のサンプル

愛する皆様

おはようございます。今日一日が主の祝福の内にあることを願い、今日の御言葉を配信します。

10月29日(日)のみことば(ローズンゲン)

「主よ、あなたは従う人を祝福し、御旨のままに、盾となってお守りくださいます。」(旧約聖書:詩編5編13節)

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(新約聖書:第二コリント書4章28節)

今日の新約の御言葉は、使徒パウロがコリント教会の人々に書き送った手紙の一文です。ここには「見える」という言葉と「見えない」という言葉が際立った対照を見せて使われています。一読して、すぐに分かることは、パウロが「見えるもの」よりも「見えないもの」のほうに大きな価値を見いだしていることです。じつは目に見えるものを証拠として信じるというのは、古代ギリシアの思想です。それに対して、聖書のヘブライ思想は見えないものを信じることを「信仰」と呼びました。

私たちも日常生活において、しばしば経験することですが、見えるものが私たちの心を捕らえてしまうことがあります。特に昨今の日本の社会は見えるものが一番重んじられます。学校に行けば見える形で成績を上げないといけない。会社に行けば、見える形で業績を上げないと評価されません。目に見える成果を上げよ、というのが社会全体の合言葉にすらなっている。それが今の日本の社会ではないかと思います。しかし、本当に大切なのは、主イエスがトマスに言われたように、見ないで信じることなのです。