聖書:エレミヤ書29章10~14節・使徒言行録28章11~22節

説教:佐藤 誠司 牧師

「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。」 (エレミヤ書29章11~12節)

「兄弟たち、わたしは、民に対しても先祖の慣習に対しても、背くようなことは何一つしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に引き渡されてしまいました。ローマ人はわたしを取り調べたのですが、死刑に相当する理由が何も無かったので、釈放しようと思ったのです。しかし、ユダヤ人たちが反対したので、わたしは皇帝に上訴せざるを得ませんでした。これは、決して同胞を告発するためではありません。だからこそ、お会いして話し合いたいと、あなたがたにお願いしたのです。イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖につながれていのです。」(使徒言行録28章17~20節)

 

2年前の5月から読み始めた使徒言行録も、いよいよ終盤に差し掛かってまいりまして、次週に最終回を迎えます。使徒言行録の終盤は、パウロのローマへの旅を丁寧に描きます。船旅です。それはまるで、来るべき大航海時代を予見したような感があります。著者であるルカは、福音が船によって世界に広まっていく幻を示されたのでしょうか。

エルサレムで産声をあげた福音は、陸路によって全ユダヤへもたらされ、そして小アジア、さらにエーゲ海を渡ってマケドニア、ギリシア、そしてさらにイタリア半島に渡ってローマに至っている。当時のローマというのは、世界の中心であり、ローマに至るということは、とりもなおさず、ここから全世界に出て行くということです。

もちろん、ルカも2千年前の人ですから、アメリカ大陸も極東も知らなかったでしょう。しかし、知らないのだけれど、この陸と海の向こうにも、福音を知らない人々、福音の到来を待っている人々がいるということを、ルカは確信していたに違いありません。使徒言行録にしばしば登場する「地の果て」という言葉は、そういう意味であろうと思います。ですから、使徒言行録はエルサレムに始まって、ローマに至っていますが、それはローマで終わっているという意味ではない。さらに大海を渡り、大陸を越えて、地の果てまでという大変に長いフォーカスがあるわけです。使徒言行録の冒頭に記されていた主イエスの約束が思い起こされます。

「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

さて、パウロを乗せた船は暴風に遭い、翻弄されるままに流されていきます。その中で人々は希望を失い、食べる意欲さえ失ってしまいます。そんな人々にパウロは言います。

「元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうち誰一人として命を失う者はないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜、わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは、必ず、どこかの島に打ち上げられるはずです。」

この言葉のとおり、船は難破し、大破しますが、不思議にも、一人の命も失われることなく、一同は島に打ち上げられます。流されるままにたどり着いたこの島は、イタリア半島が目前に迫るマルタ島だったのです。

パウロたちはこのマルタ島で冬を越します。そして南風が吹き始める春の到来と共に、やはりこの島で春を待っていたアレクサンドリアの船に乗って出航します。船はシチリア島を経て、イタリア半島の最南端に位置するレギオンに着きます。そして南風に乗ってプテオリに入港します。

パウロたちはこの港町で兄弟を見つけたと書いてあります。この兄弟というのは、もちろん、肉親の兄弟のことではなくて、キリストを信じる人々という意味です。パウロたちは、請われるままに、彼らのもとに七日間滞在したと書いてあります。囚われの身であるパウロが、七日もの間、自由に振舞えたことに驚きを禁じ得ませんが、おそらく、パウロは、この七日の間の滞在を最大限に利用して、ローマの最新情報をこの兄弟たちから聞き出したに違いありません。そして、この七日の間に、パウロのイタリア到着の知らせはローマにいるユダヤ人社会にまでもたらされたに違いありません。

パウロがローマについて最も心を砕いて心配していたのは、ローマのユダヤ人社会との関係であったと思います。ローマにはユダヤ教の会堂・シナゴーグがいくつも建てられておりました。そしてそれらと並んで、すでにローマ教会が形成されていたのです。パウロとしては、ローマ教会とユダヤ教の会堂との間に無用の葛藤を引き起こしたくない。少なくとも自分のローマ訪問が、両者の葛藤の新たな火種になることだけは、絶対に避けたいのです。

パウロは慎重に歩みを進めます。パウロの脳裏には、かつてアキラとプリスキラ夫妻から聞いたローマ教会の問題が、常に課題としてあったと思います。アキラとプリスキラ夫妻のことは、使徒言行録の18章に記されていました。この夫婦はユダヤ人キリスト者でありまして、もともとローマ教会の有力な信徒でした。ローマでは早くから教会の基礎が固まっておりました。しかも、ローマ教会は、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者が共に交わりを保っている、極めて珍しい存在だったのです。パウロはここに注目しました。パウロが夢見た本当の教会の姿が、ここにあったからです。

ところが、クラウディウス皇帝が全ユダヤ人をローマから退去させる勅令を出したものですから、ローマ教会のユダヤ人信徒たちはローマを出て行かなければならなくなりました。アクラとプリスキラ夫妻は、こうしてローマを出て来たわけです。それまで、ローマ教会はユダヤ人信徒と異邦人信徒が共に教会を形成していたとは言え、中心になっていたのはユダヤ人信徒でしたし、教師もユダヤ人だったでしょうから、これからは残された異邦人信徒たちだけで教会を維持していかなければなりません。これは大変なことです。おそらく、パウロは、そういうローマ教会の切迫した現状をアキラとプリスキラ夫妻から聞いたのでしょう。

パウロは、ユダヤ人たちとのトラブルが起こるたびに「私は異邦人の方へ行く」と言っておりますが、パウロの福音理解から言って、異邦人だけの救いというのは、有り得ないことです。パウロにとって、救いとは、ユダヤ人と異邦人が共に一つの福音を信じ、共に一つの食卓に与ることだからです。だからこそ、パウロはユダヤ人信徒と異邦人信徒が共に教会形成をしているローマ教会の歩みに強い関心を抱いていたのです。そのローマ教会の人々に宛てて、パウロはアキラとプリスキラ夫妻と出合ったコリント滞在中に手紙を書いた。それがローマの信徒への手紙です。その手紙の中で、パウロはローマ訪問に寄せる思いを、こう述べております。

「わたしは、祈るときには、いつもあなたがたの事を思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたの所へ行ける機会があるように、願っています。あなたがたにぜひ会いたいのは、霊の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなた方のところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。」

これを見ますと、パウロがいかにローマ行きを切望していたかが分かります。

何度もローマ行きを計画した。しかし、そのたびに、妨げられてきたのです。そのローマが、今、目前に迫っています。15節を見ますと、ローマから兄弟たちがパウロたちの到着を聞きつけて、迎えに来てくれたことが記されています。おそらく、この「兄弟たち」というのは、ローマ教会の人々だったのでしょう。あれほど会いたがっていたローマ教会の人々に、パウロはようやく会うことが出来たのです。その心躍る様が、こう記されています。

「パウロは彼らを見て、神に感謝し、勇気づけられた。」

この「勇気づけられた」というのは、おそらく、皇帝の裁判に臨む勇気が与えらた、という意味なのでしょう。パウロは、ローマ教会の人々を見て、その勇気が与えられたのです。この人々の信仰がローマで守られるために、パウロは皇帝の裁判に臨むのです。それはキリスト教信仰が世界宗教となるために、ぜひとも突破せねばならない関門でした。しかし、その前に、パウロにはしておかねばならないことがありました。それはローマのユダヤ人社会と平和を保っておくことです。そこで17節、パウロはローマ教会の人々に会ってから三日の後、主だったユダヤ人たちを招いて、こう言います。

「兄弟たち、わたしは、民に対しても先祖の慣習に対しても、背くようなことは何一つしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に引き渡されてしまいました。ローマ人はわたしを取り調べたのですが、死刑に相当する理由が何も無かったので、釈放しようと思ったのです。しかし、ユダヤ人たちが反対したので、わたしは皇帝に上訴せざるを得ませんでした。これは、決して同胞を告発するためではありません。だからこそ、お会いして話し合いたいと、あなたがたにお願いしたのです。」

いかがでしょうか。パウロが非常に慎重に言葉を選びながら弁明を試みていることが分かります。これまで、パウロは何度も弁明を求められてきました。千人隊長の前で、あるいは最高法院の議員たちの前で、総督フェリクスの前で、フェストスの前でも、そしてアグリッパ王の前で、パウロは弁明を求められました。

しかし、パウロは、その度に、弁明ではなく、証しを語ってきたのでした。自分のことを弁明するのを、潔しとしなかったのです。ところが、今回はどうでしょう? これはもう、隙の無い、完全な弁明です。自分のための弁明でしょうか?

違います。今、パウロは福音のための弁明を試みているのです。このローマで、キリストの福音は守られねばならない。これまでキリストを信じる信仰は、このローマで、ユダヤ教の一派と見なされ、それ故に、保護を受けてきました。

しかし、今やユダヤ教とキリスト教は全く異なる信仰として、別の道を歩もうとしている。民族宗教としてのユダヤ教と世界宗教としてのキリスト教です。その世界宗教としての道を一歩、このローマから踏み出すためには、キリスト教がユダヤ教の一分派として庇護を受けるのではなく、全く別の道を歩まなければならない。しかも、ユダヤ教との間にも、ローマ帝国との間にも平和を保って歩まねばならない。パウロはその両方の平和を勝ち取るために、今、福音の弁明をしているのです。だからパウロは、最後にこう述べています。

「イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖につながれているのです。」

私たちとあなたがたとは同じ希望を抱いているのだとパウロは言うのです。同じ希望とは何でしょうか? 救い主であるメシアを信じ、待望する希望です。しかし、ユダヤの人々は、ついに主イエスをメシアとは認めなかった。律法の中に救いはあると信じたのです。民族宗教の中に留まったのです。しかし、キリストを信じる信仰は、そこには留まらなかった。鎖につながれながら、世界に出て行ったのです。律法ではなく、割礼でもなく、人はただキリストを信じる信仰によって、救われる。信仰によってのみ、救われる。この福音のメッセージだけを携えて、キリスト教は世界に出たのです。なぜキリスト教は世界に出て行くことが出来たのでしょうか?

今日は、使徒言行録の言葉に併せて旧約のエレミヤ書の言葉を読みました。これは国が滅ぼされて、異国の地に人々が連行されて行く。その絶望のどん底でエレミヤが語った言葉です。そして、これはパウロを初めとするキリスト者たちが、異国の地で裁きのために連行され、奴隷に売り飛ばされ、死の恐怖にさらされた時に、口にした御言葉でもあります。

「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。」

これはローマ帝国による大迫害を蒙った際に、キリスト者が合言葉のように互いに交し合った言葉です。パウロはこれをよく知っていたのです。「私の時が来るまで、あなたがたは忍耐をして、連行されていった土地で、本当に平安に暮らす構えをしなさい」と、そう神様は言われるのです。あなたを迫害する国の中で、あなたは家を建て、畑を耕し、結婚をして、子どもを産み育てなさい。そして子どもたちを結婚させ、やがて来る時に備えなさい。そして、あなたを迫害する人々の町の平安を祈り求めなさい。その町のために祈りなさい。その国のために祈りなさい。その国、その町の平安があってこそ、あなたがたの平安もあるのだから。

これが異国の地におけるキリスト者の証しになりました。パウロは「あなたはローマでも証しをしなければならない」という主の言葉を聞きました。しかし、同じことを、この日本という国で、私たちも聞くのではないでしょうか。証しとは言葉ではありません。この国の中でどう生きるかということです。キリストを救い主と信じて生きるのです。打ち砕かれた心で、祝福を信じて、主の時を待つ。約束の実現を待つ。

「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」

希望とは与えられるものです。パウロはローマ書の中で「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。私たちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを」と書いていますが、彼がこの言葉の真の重みを知ったのは、このローマへの旅の中でではなかったか。この苦難と忍耐、練達の果てに神から与えられる希望を、パウロは見出したのです。そして、これは決して奪われることのない、まことの希望なのです。キリストこそ、私たちの希望。この希望を信じて、ご一緒に歩みましょう。

 

 

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