聖書:出エジプト記23章4~13節・マルコによる福音書2章23~3章6節
説教:佐藤 誠司 牧師
「六日間はあなたの仕事をし、七日目には休みなさい。そうすれば、あなたの牛やろばが休みを得、女奴隷の子や寄留者は一息つくことができる。」(出エジプト記23章12節)
「安息日は、人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」(マルコによる福音書2章27~28節)
私たちは今、日曜日の礼拝で十戒を連続して学んでいます。今日は安息日を定めた第四の戒めを取り上げます。
「安息日を覚えて、これを聖別しなさい。六日間は働いて、あなたのすべての仕事をしなさい。しかし、七日目はあなたの神、主の安息日であるから、どのような仕事もしてはならない。あなたも、息子も娘も、男女の奴隷も、家畜も、町の中にいるあなたの寄留者も同様である。主は六日のうちに天と地と海と、そこにあるすべてのものを造り、七日目に休息された。それゆえ、主は安息日を祝福して、これを聖別されたのである。」
ユダヤの人々にとって、安息日は週の終わりの日、すなわち土曜日です。翻って、新約の使徒言行録を読みますと、初代教会の人々が、はじめから日曜日をまことの安息日として祝い、日曜日に礼拝をしていたことが分かります。例を挙げますと、使徒言行録20章7節。パウロが小アジアのトロアスの町で守った礼拝の様子が、次のように記されています。
「週の初めの日、私たちがパンを裂くために集まっていると」
週の初めの日というのは日曜日のことです。パンを裂くというのは、聖餐式のことです。礼拝の中心はパンと杯による聖餐式だったのです。パウロの手紙にも、初代教会の人々が日曜日に礼拝のために集まっていたことが記されています。当時、日曜日は休みの日ではありませんでしたから、日曜日に集まるというのは、大変だったことでしょう。初代のキリスト者の中には奴隷の身分の者が多くいましたから、彼らは一日の労働が終わって、さらに主人の許しを得なければ集まることが出来なかった。彼らは食事もろくにとることなく、空腹のまま、礼拝に馳せ参じたのです。それほどまでに、彼らは日曜日を「主の日」と呼んで重んじ、礼拝のために集まりました。
なぜか? 主が甦られた日だからです。新しい命の始まりの日だからです。だから、初代のキリスト者たちは日曜日を「まことの安息日」として祝いました。今日、与えられた物語は、安息日の主として、まことの安息への道を命を賭けて開いてくださった主イエスの姿を伝えています。
ユダヤの人々にとって、安息日は土曜日でした。土曜日は一週間の最後の日です。なぜ、この日を安息日として大切にするようになったか? それは旧約の創世記第1章に記された天地創造の御業に由来しています。
神様が六日の間働いて、世界とそこに住むすべての命をお造りになった。その最後の六日目に神は人間をお造りになったのですが、神はご自分が造ったすべてのものをご覧になって心から満足され、喜んで祝福してくださった。そこで創造の御業を完成なさった神は、七日目、すなわち週の最後の日に、安息を取られた。つまりお休みになった。
この「休み」の意味が大事です。どういうことかと言いますと、神様は「ああ、くたびれた」と言って休まれたのではないということです。満ち足りた祝福のうちにお休みになったのです。世界を喜ぶために休まれたのです。これが「神の安息」です。
それに対して、人間の安息とは、この神の安息に応えて、神の安息の中に身を置くことです。神様と共に休むのです。神様の場合は、創造の御業を完成させてお休みになりましたが、人間の場合は必ずしも仕事や務めが完成しているわけではありません。ですから、人間が安息を取るためには、仕事を中断しなければなりません。ここが大事なところです。安息日を表す「サバト」という言葉は元々、「中断する」という意味がありました。それまであくせく働いていた仕事を中断し、仕事場から離れる。自分の関心事や熱中から一旦離れる。それが人間の側の安息になりました。
では、仕事を中断して何をするのか? くたびれて、ごろ寝を決め込むのではありません。神が満ち足りた祝福をもってこの世界を見てくださっている。その眼差しに応えて、神を仰ぎ、礼拝をした。つまり、人間の安息というのは初めから礼拝と結び付いたものだった。人間の本来の休み、休息は礼拝という営みの中にあったのです。それは、まことに満ち足りた祝福と恵みの時だったのです。「安息日を覚えてこれを聖とせよ」という十戒の安息日規定は、ここから生まれました。
ところが、安息日を守ることが一旦規定になりますと、その規定がいつしか一人歩きを始めてしまう。人間社会には、よくあることです。決まり事や規則が、本来の意味から離れて、一人歩きしてしまうのです。つまり、安息日の規定には本来の心があったはずなのですが、規定が心を置き去りにして、一人歩きを始めてしまう。規定が新たな規定を生み出して、人をがんじがらめにする規則になってしまうのです。その中心になったのがファリサイ派の律法学者・教師たちでした。
ファリサイ派の人々といえば、主イエスの敵となった、いわば悪者の敵役を連想してしまいますが、実際のファリサイ派の人々は、真面目で誠実な教師タイプの人が多かったようです。そのファリサイ派の教師のところに、人々が質問しにやって来るのです。
「先生、安息日には働いてはならないと律法に書いてあるそうですが、いったいどこまでの労働なら許されるのですか?」
「家族のために食事を作るのは労働になりますか?」
庶民には差し迫った生活がありますから、質問も切実です。ファリサイ派の教師達は真面目ですから、故事を尋ね、聖書を調べて、律法の解釈に勤める。そして人々の質問に丁寧に答えていったのです。その結果、安息日に許された歩く距離というのが生まれましたし、料理は前日に作っておいて、安息日には火を使わなければ大丈夫などという決まりも生まれたのです。
まことに親切な生活の手引きではありますが、皆さんはどう思われるでしょうか? 神の満ち足りた祝福の中に身を置いて、身も心も解き放たれて神を仰ぐ。まことにおおらかで恵みに満ちた安息日の本来の心が、ほぼ完全に欠落していることに、皆さん気付かれたことと思います。これでは神の祝福の中に身を置くといより、自分たちが作り上げた規則に縛られていると言ったほうが、ふさわしい。規則にがんじがらめになって、安息どころではなくなっているのです。
主イエスは、このおかしな状況に何を語り、どう振舞われたか? マルコ福音書は安息日を巡って起きた主イエスの論争を二つ、続けて語っています。まず一つ目の出来事。それは麦畑の中で起こりました。
ある安息日に、主イエスが麦畑を通って行かれた。弟子たちも一緒です。きっと、お腹がすいたのでしょう。弟子たちが麦の穂に手を伸ばし、摘み取ったのです。すると、ファリサイ派の人々が主イエスに文句を言った。
「ご覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか。」
何を言っているのかというと、弟子たちが麦の穂を摘み取った。これが安息日規定で禁止されている刈り入れの行為に当たるではないかと、咎めたのです。
いくらなんでも、これでは言いがかりではないかと思われるかも知れませんが、それほどに、安息日規定というのはユダヤの人々にとって重大な定めだったのです。
主イエスというお方は、安息日規定をそれほど厳格にはお守りにならなかったようです。しかし、それは安息日を守らなかったということではありません。主イエスも安息日を守られた。いや、主イエスこそ、まことの意味で、安息日を守られたと言ったほうが良いと思います。身も心も神の祝福の中に置いて、会堂で礼拝を守り、礼拝後の食事の交わりを楽しまれたのです。しかし、主イエスは安息日規定に捕らわれることはなさらなかった。安息日を守ることと、安息日規定を守ることは全く別物だからです。だから、主イエスはこう言われる。
「安息日は、人のためにあるのであって。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」
ズバリお言い切っておられる。また、主イエスが会堂に入って御言葉を語っておられるときのこと。会堂の会衆席に一人の人がうずくまって座っているのをご覧になった。見ると、右手が萎えている。干からびたようになって、延ばせないのです。
すると、一緒に礼拝をしていたファリサイ派の律法学者たちは、主イエスの言動に注目していた。訴える口実を見つけようと、イエスがこの病人を癒されるかどうか注目していたのです。この非難がましい眼差しに主イエスは気付いておられたのでしょう。しかし、それだからこそ、主イエスは、言われる。右手の萎えた人に向かって、こう言われるのです。
「真ん中に立ちなさい。」
すると、その人は言われたとおりに、身を起こして真ん中に進み出た。その一歩一歩に重ねるようにして、主イエスはファリサイ派の人々を見て、こうおっしゃった。
「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」
厳しい問いかけです。主イエスはこれをファリサイ派の人々だけに向かって言われたのでしょうか? 私はそうではないと思います。今、ここで礼拝をしている人すべてに向かって問うておられるのです。安息日は何のためにあるのか? イエス様が問うておられるのは、そこです。
ファリサイ派の人々によれば、安息日とは何もしない日です。ファリサイ派の人々の教えが、そうさせてしまったのです。しかし、本当に神様はそういうことを望んでおられるのか? 神が私たち人間に望んでおられるのは、安息日に善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。二つに一つを問うておられる。真ん中の道はありえない。神の前では、善か悪か、どちらかです。あなたたちは、どちらに立つのか?
今日は出エジプト記23章の言葉を読みました。ここは20章に記された十戒の陰になって、あまり顧みられることの少ない箇所かと思いますが、どうしてどうして、大事なことが言われている。十戒の心が語られているのです。読んでみて、皆さん意外に思われたかも知れません。出エジプト記といえば代表的な律法の書です。だったら、もっと厳しい規定が細々と書かれていると思うのに、ここに記された安息日のための教えの、なんとおおらかで心やさしいことでしょうか。12節に、こう書いてありました。
「六日間はあなたの仕事をし、七日目には休みなさい。そうすれば、あなたの牛やろばが休みを得、女奴隷の子や寄留者は一息つくことができる。」
自分が休むだけではないのです。六日の間一緒に働いてくれた奴隷や家畜も休ませる。ここに脈々と流れているのは、命への慈しみではないでしょうか。天地創造のとき、六日の御業のあと、神がすべての命を慈しみの眼差しでご覧になり、これを祝福された。その命への慈しみこそが、安息日の心ではなかったか。主イエスはそれをご存知だったのです。だから、主イエスはおっしゃった。命を救うのと、滅ぼすのと、あなたたちはどちらに立つのか? そして一同を見回し、手の萎えた人に向かって「手を伸ばしなさい」と言われた。すると、手は元どおりになったのです。嬉しいことです。これこそ神が安息日に望んでおられることです。ところが、これを見た人々はどうしたでしょうか? こう書いてあります。
「ファリサイ派の人々は出て行き、すぐにヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談を始めた。」
主イエスを殺す計画は、このときすでに人々の心の中に芽生えていたのだとマルコ福音書は言うのです。主イエスを十字架につけて殺す計画。それは安息日を巡る論争から生まれたのです。ここは大事なポイントです。
さあ、今日の物語をお読みになって、主イエスはあまりに挑発的ではないかと思われた方もあるかと思います。ファリサイ派の人々を挑発しておられるようにも見える。主イエスは挑発しておられるのでしょうか? 私は違うと思う。挑発しておられるのではなくて、命を賭けておられるのです。まことの安息を取り戻すために、命を賭けておられる。安息日は神の祝福の日です。ご自分がお造りになった世界とそこに住むすべての命に、慈しみの眼差しを注いで、祝福してくださったのです。しかし、人間の罪というのはまことにしぶといもので、安息日という神の祝福の中にさえ、その姿を現してくる。礼拝の中にさえ現れてくるのです。主イエスはその罪から、安息日を取り戻してくださいます。しかし、主イエスというお方は、そこでは終わらない。取り戻した安息日を私たちに与えてくださった。礼拝の日として与えてくださったのです。だから、キリスト教会は、産声を上げた最初のときから、日曜日を安息日としたのです。主が十字架と復活の命をもって私たちを贖い取ってくださった日。それが今日という日です。週の初めの日に、私たちは当たり前のように礼拝をしています。しかし、これは、当たり前のことではない。主イエスが命をもって贖い取って、与えてくださった恵みの時です。だから、私たちは、神の祝福の内に身を置いて、身も心も安らいで感謝の礼拝をする。それが私たちの安息だからです。
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当教会では「みことばの配信」を行っています。みことばに牧師がショートメッセージを添えて、一年365日、毎朝お届けしています。ご希望の方は以下のアドレスにご連絡ください。
以下は本日のサンプル
愛する皆様
おはようございます。今日一日が主の祝福の内にあることを願い、今日の御言葉を配信します。
11月9日(日)のみことば
「彼は自分の魂の苦しみの後、光を見、それを知って満足する。私の正しき僕は多くの人を義とし、彼らの過ちを自ら背負う。」(旧約聖書:イザヤ書53章11節)
「イエスは自ら十字架を背負い、いわゆる『されこうべの場所』、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。」(新約聖書:ヨハネ福音書19章17節)
十字架を背負わされたと言うのではなく、敢えて「自ら十字架を背負った」と書いてあります。そして「ゴルゴタという所へ引いて行かれた」ではなく、「ゴルゴタという所へ向かわれた」と意志的な表現がとられています。じつは、これがヨハネ福音書の十字架の理解なのです。理性的に考えれば、主イエスは十字架刑の判決を受けて、それを執行されているのですから、十字架を背負わされたと表現するのが順当であり、「引いて行かれた」とするのがふさわしい。事実関係から言うと、無理やり、背負わされたのです。ヨハネもそれは十分承知していたに違いありません。
しかし、ヨハネは、それを重々承知の上で、これは主イエスが自ら十字架を背負われたのだと、言い表さざるを得なかった。救いの事実としては、主イエスが自ら十字架を背負われたのだと、そう表現しないわけにはいかなかったのです。そして、この「担う」「背負う」という言葉は、そこから発展して、やがて「忍耐する」「耐え忍ぶ」という意味をも持つようになったのです。