2025年8月31日(日)
『若い人たちの集い Ⅱ』
また、よく言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を合わせるなら、天におられる私の父はそれを叶えてくださる。二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである。
(マタイによる福音書18章19~20章)
今月行われた中高生キャンプにて、福井神明教会から初参加の中学一年生の男の子がいろんな牧師から教会について学ぶことができました。彼の感想は『神様がわかった!』でした。いろんな”わかり方”がありますが、最初の”わかり方”『わかって嬉しかった』という感覚が大事だと思います。
中高生キャンプにしても、教会での同年代の交わりにしても、自分には仲間が居るんだと感じ神様の名によって集うところに神様もいらっしゃるんだとわかった事に感謝します。
若い人たちの上にも豊かな主の交わりが供えられますように。。。
仕事柄、子供たちのために風船を作ることがあります。一番簡単な剣をみんなで作ってみました。
風船が割れないかと「怖い、怖い」言ってた婦人たちも、段々慣れてきて皆さん上手に作ることが出来ました
大人も子供も楽しめる風船作り。レベルアップしてまた皆さんと作りたいです (黒田)
2025年7月12日(土)
♪讃美歌21 470 やさしい目が
『若い人たちの集い』
よくよく言っておく。あなたは、若い時は、自分で帯を締めて、行きたい所へ行っていた。しかし、年を取ると、両手を広げ、他の人に帯を締められ、行きたくない所へ連れて行かれる。
(ヨハネによる福音書21章18節)
今年も中高生キャンプがあります。中高生の中で行きたくて行きたくてキャンプに参加している子は、とても稀です。
それぞれの中高生たちにそれぞれの物語があります。若い方の集いはいいなと感じます。
今年は福井神明教会から中学1年生の男の子が参加します。中高生キャンプに参加して、ひと回り大きく成長していく魂を心強く思います。
この若い人たちが互いに仲間がいることを知って、支え合いながら歩んでいくことが出来ますように。。。
神様、ひとりひとりを導いてください。
2025年4月12日(土)
『なにをすべきか(専念すること)』
私たちが、神の言葉をおろそかにして、食事の世話をするのは好ましくない。そこで、兄弟たち、あなたがたの中から、霊と知恵に満ちた評判の良い人を七人探しなさい。彼らにその仕事を任せよう。私たちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。
(使徒言行録6章2~3節)
今日の新約の御言葉は、初代教会で起こった配給をめぐるトラブルの解決を語っています。教会の内部にも葛藤や対立は起こります。しかし、それら交わりの危機を本当の意味で打開し、新しい道を開くのは、祈ることと御言葉を一緒に聞くことです。
使徒たちは、そこに気づくことができた。
だから、使徒たちは、神の御言葉をないがしろにして制度改革に励むのではなく、むしろ、自分たちは祈りと御言葉の奉仕に専念し、ふさわしい働き手を立てることにしたのです。
東京の教会にいた頃、教会の人たちの仕事を手伝おうとすると「ここは私たちでやります。先生は先生でなければ出来ないことに専念してください」と言われて、身の引き締まる思いがしたことです。
教師・伝道者は祈りと御言葉の奉仕に専念することが大事です。さらに言うなら、教師を祈りと御言葉の奉仕に専念させる気風が教会に求められます。牧師が「こんなことまで」と思うような下働き・雑用に専念させられている教会があります。そういう教会は、概して教会論が弱いものです。教会論が弱いと、教会的な筋道よりも、熱心さや活気が重んじられて、教会が一種のムーヴメントになってしまいます。そのムーヴメントの維持・活性化のために牧師が雑用に走る。いかに活気に満ちていても、これは「好ましくない姿」です。
短い時しか楽しめない桜を題材に折り紙を切って友達に知らせるハガキを書きました
【字てがみ】と言って文字にメリハリを効かることで1枚のハガキに桜が散ったようでした
ハンコも楽しいです (片岡)
2025年3月9日(日) 7名
久しぶりのオリーブの会でした
「鹿のように」をみんなで歌い楽しい時間を過ごしました
今日は珍しいお客様が見えました
初期神明教会の宣教師をしてくださったホームス牧師のお孫さんご夫妻がいらっしゃいました
お二人は戦災と震災によって私たちの手元から失われた貴重な写真・資料を見せてくださって、時と国境を越えた親しい交わりを頂くことが出来ました











