2025年11月30日(日)

  『しずのめ』

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフと言う人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアと言った。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」

マリアはこの言葉にひどく戸惑って、これは一体何の挨拶かと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と呼ばれる。神である主が、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」

マリアは天使に言った。「どうして、そんなことがありえましょうか。私は男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを覆う。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類エリサベトも、老年ながら男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」

マリアは言った。「私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身になりますように。」そこで、天使は去って行った。

(ルカによる福音書1章27~37節)

まことに神にあっては、その語られた言葉が出来事にならないことはない=神様の「言葉」はすぐ出来事になります。マリアはその「言葉」を受けてお言葉が私の身の上に起こりますようにと言いました。

ルカはとても表現深く文章を書きます。目の前で展開されるように情景を描きます。たくさんの画家がルカ福音書の言葉から影響を受けて受胎告知を描いています。

 待降節に入りました。良い備えをもって、イエス様のご誕生をたくさんの方々と喜び祝うことができますように。それぞれの教会、それぞれの幼稚園のクリスマスを神様、祝福してください。

2025年8月31日(日)

  『若い人たちの集い Ⅱ』

また、よく言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を合わせるなら、天におられる私の父はそれを叶えてくださる。二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである。

(マタイによる福音書18章19~20章)

今月行われた中高生キャンプにて、福井神明教会から初参加の中学一年生の男の子がいろんな牧師から教会について学ぶことができました。彼の感想は『神様がわかった!』でした。いろんな”わかり方”がありますが、最初の”わかり方”『わかって嬉しかった』という感覚が大事だと思います。

中高生キャンプにしても、教会での同年代の交わりにしても、自分には仲間が居るんだと感じ神様の名によって集うところに神様もいらっしゃるんだとわかった事に感謝します。

若い人たちの上にも豊かな主の交わりが供えられますように。。。

仕事柄、子供たちのために風船を作ることがあります。一番簡単な剣をみんなで作ってみました。

風船が割れないかと「怖い、怖い」言ってた婦人たちも、段々慣れてきて皆さん上手に作ることが出来ました

大人も子供も楽しめる風船作り。レベルアップしてまた皆さんと作りたいです  (黒田)

2025年7月12日(土)

♪讃美歌21 470 やさしい目が

  『若い人たちの集い』

よくよく言っておく。あなたは、若い時は、自分で帯を締めて、行きたい所へ行っていた。しかし、年を取ると、両手を広げ、他の人に帯を締められ、行きたくない所へ連れて行かれる。

(ヨハネによる福音書21章18節)

今年も中高生キャンプがあります。中高生の中で行きたくて行きたくてキャンプに参加している子は、とても稀です。

それぞれの中高生たちにそれぞれの物語があります。若い方の集いはいいなと感じます。

今年は福井神明教会から中学1年生の男の子が参加します。中高生キャンプに参加して、ひと回り大きく成長していく魂を心強く思います。

この若い人たちが互いに仲間がいることを知って、支え合いながら歩んでいくことが出来ますように。。。

神様、ひとりひとりを導いてください。

2025年4月12日(土)

  『なにをすべきか(専念すること)』

私たちが、神の言葉をおろそかにして、食事の世話をするのは好ましくない。そこで、兄弟たち、あなたがたの中から、霊と知恵に満ちた評判の良い人を七人探しなさい。彼らにその仕事を任せよう。私たちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。

(使徒言行録6章2~3節)

今日の新約の御言葉は、初代教会で起こった配給をめぐるトラブルの解決を語っています。教会の内部にも葛藤や対立は起こります。しかし、それら交わりの危機を本当の意味で打開し、新しい道を開くのは、祈ることと御言葉を一緒に聞くことです。

使徒たちは、そこに気づくことができた

だから、使徒たちは、神の御言葉をないがしろにして制度改革に励むのではなく、むしろ、自分たちは祈りと御言葉の奉仕に専念し、ふさわしい働き手を立てることにしたのです。

東京の教会にいた頃、教会の人たちの仕事を手伝おうとすると「ここは私たちでやります。先生は先生でなければ出来ないことに専念してください」と言われて、身の引き締まる思いがしたことです。

教師・伝道者は祈りと御言葉の奉仕に専念することが大事です。さらに言うなら、教師を祈りと御言葉の奉仕に専念させる気風が教会に求められます。牧師が「こんなことまで」と思うような下働き・雑用に専念させられている教会があります。そういう教会は、概して教会論が弱いものです。教会論が弱いと、教会的な筋道よりも、熱心さや活気が重んじられて、教会が一種のムーヴメントになってしまいます。そのムーヴメントの維持・活性化のために牧師が雑用に走る。いかに活気に満ちていても、これは「好ましくない姿」です。

短い時しか楽しめない桜を題材に折り紙を切って友達に知らせるハガキを書きました

【字てがみ】と言って文字にメリハリを効かることで1枚のハガキに桜が散ったようでした

ハンコも楽しいです   (片岡)

2025年3月9日(日) 7名

久しぶりのオリーブの会でした

「鹿のように」をみんなで歌い楽しい時間を過ごしました

今日は珍しいお客様が見えました

初期神明教会の宣教師をしてくださったホームス牧師のお孫さんご夫妻がいらっしゃいました

お二人は戦災と震災によって私たちの手元から失われた貴重な写真・資料を見せてくださって、時と国境を越えた親しい交わりを頂くことが出来ました