2024年4月13日(土)

♪讃美歌21 575 球根の中には

  『 婦人たち、奉仕する 』

すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。

(ルカによる福音書8章1節~3節)

ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたというのです。

(ルカによる福音書24章22節~23節)

キリスト復活の最初の証人は婦人たちです。

天使が「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」という事実に対して婦人たちは「主は生きておられる」と現在形に置き換え、福音の言葉としてとらえ伝えています。

また、婦人たちは男性弟子たちよりもイエス様の体ごと愛し、男性弟子たちを支え続けました。

女性の強い信仰と働きがそこにあります。

今日はイースターエッグ作りを行いました。

ゆでたまごに専用のラッピングを通し、お湯にサッとくぐらせるだけで簡単に出来上がります。

大きな卵、小さな卵、ひび割れちゃった卵など、一つとして同じものはありません。

翌日の教会学校では子供たちにたくさん配ることができました。 感謝

次回の予定 5月18日(土)


2024年1月13日(土)

  『 食卓の下の子犬 』

「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、子犬にやってはいけない。」

(マルコによる福音書7章24節~30節)

女性は幼い娘を救ってもらうために、イエスさまの足もとにずっとひれ伏していました。

そこでイエスさまは、女性に謎かけのような言葉をおかけになります。

それに対して女性は「主よ」と呼びかけました。弟子たちでさえもイエスさまを「ラビ」「先生」と呼んでいたのですが、この異邦人の女性は「私の主」としてイエスさまを呼びます。

女性の「食卓の下の子犬も、子供のパン屑はいただきます。」という言葉にイエスさまは「それほど言うなら、よろしい」と言われました。聖書協会共同訳では「その言葉で十分である」と訳されています。

異邦人の女性の信仰によって、その娘も助かります。

この女性のように、ひれ伏さなければ聞き取れないみことばがあると思います。

ひれ伏すことで聴くことが出来るメッセージがあるのではないでしょうか。

今月の本の紹介

『 わが盲想 』 モハメド・オマル・アブディン  (ポプラ社)

現在、東洋大学の客員研究員であるモハメドさんは、1998年にスーダンから来日し、福井県立盲学校で学びました。そこで出会った日本の文化や食べ物、福井弁のことなど、目が見えないモハメドさんならではの感性で、ユーモアたっぷりに描かれています。

彼を支えてくれた個性豊かな人たちのことやカルチャーショック、結婚までのいきさつや東日本大震災の恐怖体験など、彼の心の目で見た日本、そして福井のことが興味深く、あたたかく描かれている本です。

次回の予定    2月10日(土)

2023年12月16日(土)

  「 歴史の事実、福音の事実 」

「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。」

(ルカによる福音書2章1節~7節)

高校生の受洗準備会を行なっています。そこでは聖書のことを歴史的事実として伝える一方、福音のメッセージとして伝えています。今日のルカ福音書では、歴史の事実である出来事を淡々と伝えていますが、8節以降になるとルカは「恐れるな」「この方こそ主メシアである」と事実がもっている福音的な意味をきちんと語っています。

キリスト教は事実に基づいています。でも私たちは事実に基づいて救いを信じているわけではありません。事実の背後にある福音の事実に耳を傾けることが大事です。

クリスマスという歴史の事実が、みんなの救いであることをわかることは大事ですが、それが自分のものであるという福音の事実を聴きとっていくことが大事なことです。

今月の本の紹介

『 クリスマスの祈りと歌 』より  (日本キリスト教団出版局)

「仔羊」から   ウィリアム・ブレイク詩

仔羊くん だれがおまえをつくったんだろう?

だれがつくったか知っているかい?

おまえにいのちをあたえ

ながれのほとりや 草原で 草を食べさせ

よろこびの着物―やわらかくて つやのある

ふかふかした着物をきせて

谷じゅうを よるこびでいっぱいにするー

おまえにこんなにやさしい声をくれたその方

仔羊くん ぼくは知ってるよ

仔羊くん おまえに神さまの祝福があるように

次回の予定      1月13日(土)

2023年11月18日(土)

 「人にしてもらいたいと思うことを」

「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。

罪人でも、愛してくれる人を愛している。」

(ルカによる福音書6章32節~35節)

今日のオリーブの会は、出席者が少なかったこともあり、讃美歌と聖書のあとで、クリスマスの祝会で歌う歌の打ち合わせと練習をしました。毎年恒例となったオリーブの会の皆さんの歌、今年も楽しみです。

今月の本の紹介

今回は、会の中では本の紹介はしませんでしたが、最近 目にとまった詩の一節を紹介します。

「 食卓 」  晴佐久昌英『 だいじょうぶだよ 』より

(女子パウロ会)

家庭には食卓がひとつ あればいい

古びてはいてもよく磨かれて

ひとつひとつの傷みまでもあたたかい食卓

寒い冬の夜ふけには 湯気が立ちのぼり

そこへみんなが戻ってくるような

そこからみんなが旅立つような

けっして消えることのない

いのちのごはんをいただけるような

人生には

そんな食卓がひとつ あればいい

次回の予定      12月16日(土)

2023年10月21日(土)

  「天に宝をたくわえる」

(マタイによる福音書6章19節~20節)  

四国の教会にいる時、ある婦人が「天に宝を貯えなさい」とはどういう意味ですか?と聞いて来られました。新共同訳聖書では「宝」という言葉ではなく「富」という言葉を用いています。「富」という言葉だと限定されてしまいますが「宝」という言葉は、いろいろな意味が広がります。その時の私は、その婦人の質問にうまく答えることが出来なかったのですが、そのことが今、メッセージを伝える上で大きく影響を与えています。駆け出しの頃の失敗や惨めな思いは、その後に良い影響を与えることが多いと思います。

ここでは「地上」と「天」、「目に見えるもの」と「目に見えないもの」が対比されています。目に見えるものを宝物にするなとイエスさまは言われます。天に蓄えることが出来る宝とは何でしょう?そこでは虫が食うこともさび付くこともなく、盗まれることもない。

皆さんは何だと思いますか?

見失った一匹の羊が見つかった時、「大きな喜びが天にある」とルカによる福音書15章7節に書かれています。

キリスト教幼稚園の子どもたちが、神様を信じて巣立ち、旅立って行く時、天に宝が積まれていくのではないでしょうか。

今月の本の紹介

祈りの詩人といわれた八木重吉の詩です。

「ねがひ」

人と人とのあひだを

美しくみよう

わたしと人とのあひだを

うつくしくみよう

疲れてはならない

人との関係の中で疲れ、傷つきながらも「美しくみよう」と願い、祈り続けていた八木重吉の思いが伝わります。

「素朴な琴」

この明るさのなかへ

ひとつの素朴な琴をおけば

秋の美くしさに耐へかね

琴はしづかに鳴りいだすだらう

秋の明るい日には、この詩のことを思い出します。

( 「単純な祈り」 関 茂著  日本基督教団出版局 )

次回の予定    11月18日(土)

2023年9月28日(木)

  「見ないのに信じる人は、幸いである。」

(ヨハネによる福音書20章24節~29節)

イエスさまが復活された後、弟子たちの間に現れましたが、その場にいなかったトマスは、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ信じない。」と言いました。

確実なものを「見て信じる」ことは古代ギリシャの思想です。それに対して「見ないで信じる」のは聖書のヘブライ思想です。

イエスさまはトマスに、見ないで信じる信仰を求めています。

見ないで信じる信仰は、聖書のいろんなところに出て来ます。

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブライ人への手紙11章1節)

「わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」(ローマの信徒への手紙8章25節)

聖書は天について語ります。主の祈りは「天にましますわれらの父よ」と祈ります。

目に見えないものを大事にし、見えないものを信じることを求めてきます。

エマオへの道で二人の弟子に現れたイエスさまは、二人の目が開け、イエスさまだと分かった時に、その姿は見えなくなります。

目に見えないイエスさまを、私たちは信じています。

今月の本の紹介

「 アンが愛した聖書の言葉 」( 「赤毛のアン」を大人読み )宮葉子 著

いのちのことば社

この本の紹介というよりも、本を下さった方についての思い出を語って頂きました。自分のお誕生日に、みんなにお花をプレゼントしてくれたり、何かを渡してくれる時も必ずひかえめな様子で分けて下さる。とても魅力的で素敵な女性だったということでした。

「赤毛のアン」には多くの聖書の言葉が引用されています。大人が読んでも、深く考えさせられる真実が込められており「その正体を探れるのは、大人ならではの知的な遊び」「大人読み」だと著者の宮葉子さんは語ります。

子どもの頃に読んだ「赤毛のアン」また改めて読んでみたくなりました。

次回の予定    10月21日(土)